日記主体に書いてゆきます宜しく

『独去独来』『全ての人は秋の木枯らしの吹く寂しい荒野を一人で旅する旅人である』(お釈迦様)

仏教を判り易く知る資料(21)

2023年01月24日 | 仏教・親鸞聖人

 親鸞聖人の一枚看板である平生業生とは

阿弥陀仏の本願に救い摂られ、正しい信心を獲得した人は、絶対の幸福に生かされます。その世界を親鸞聖人は、次のように教えられています。

“大悲の願船(大船)に乗じて見る難度の海(人生)は、千波万波がきらめき、至福の風が静かにそよいでいる。禍の波も福と転ずる、不思議な劇場ではないか”

大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず
(『教行信証』行巻)

苦しみの絶えない人生を「難度の海」に例えられた親鸞聖人は、その海を明るく楽しく渡す弥陀の本願を「大悲の願船」と呼ばれています。

大悲の願船に乗じた人は、この世から不可称・不可説・不可思議の無上の幸せ(絶対の幸福)が身に満ちあふれると、親鸞聖人は説かれています。

「不可称・不可説・不可思議」とは、言うことも説くことも、想像さえもできないということ。スイカを食べたことのない人に、スイカの味を説明して分からせるのさえ難しい。いや不可能です。

しかし親鸞聖人は、その言葉にならぬ絶対の幸せを、それでも何とか言葉にして伝えようと、生涯を懸けられました。その教えの一つが「現生十種の利益」です。

主著『教行信証』には、

金剛の真心を獲得する者は、―乃至―
必ず現生に十種の益を獲。何者をか十と為る。
 一には冥衆護持の益、
 二には至徳具足の益、
 三には転悪成善の益、
 四には諸仏護念の益、
 五には諸仏称讃の益、
 六には心光常護の益、
 七には心多歓喜の益、
 八には知恩報徳の益、
 九には常行大悲の益、
 十には入正定聚の益なり
(『教行信証』信巻・末)

“弥陀に救われた人は、阿弥陀仏のお力によって永の迷いの打ち止めをさせられ、必ずこの世で十種の幸福を頂くのである”

と説かれています。

現生とは「現在生きている時」。利益とは「幸福」のこと。弥陀に救われた人は、この世で十の幸せを賜るということですが、十種と言われているのは、決して数量ではありません。

十は満数で無量の意味ですから『浄土文類聚鈔』には、「また現生に、無量の徳を獲しむ」と言われています。「無量の徳」とは、無上の幸福にする働きであり、無上の幸福のことです。

『和讃』にも「この世の利益きわもなし」と、歳月はさんで変わらぬ歓びが、詠まれていることでも明らかです。

では、正しい信心を獲たら、どんな幸せに生かされるのか、「現生十種の利益」を通して学んでいきましょう(続く)



最新の画像もっと見る

コメントを投稿