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『独去独来』『全ての人は秋の木枯らしの吹く寂しい荒野を一人で旅する旅人である』(お釈迦様)

仏法を判り易く知る資料(25)

2023年01月28日 | 仏教・親鸞聖人

 (4)諸仏護念(しょぶつごねん)の益

大悲の願船に乗じ南無阿弥陀仏を称うれば、大宇宙の無量の仏方(諸仏)は、最高に幸せな人だと寿ぎ、百重・千重に取り巻き喜び護ってくだされるのである”

南無阿弥陀仏を称うれば
十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して
よろこびまもりたまうなり
(現世利益和讃)

イヤイヤでもなければ、付き合いでもない。

百重・千重に取り巻く諸仏は、喜び護ってくださるのです。

限りなく幸せな宣言ですが、これでもか、これでもかと十方衆生(すべての人)の深い疑いの闇を開かんとする、親鸞聖人の信念の冴えでもありましょう。

さればどんな人も恐怖観念や孤独感から解放され、心おだやかに安住できる。病気なども静養できて、全快も早まるに違いありません。

雛が育って飛び立てば、巣は空っぽになり老人だけが残される。年寄りをさいなむ虎狼は孤独感です。
その深刻さが、警察庁の調査で伝えられています。万引きした高齢者の動機に、約9割が「孤独感」や「生き甲斐がない」ことをあげているといいます。
秋田大の調査でも「生き甲斐」のある人は脳卒中のリスクが低かった、と報じられています。
明るい気持ちを失うと、肉体に種々の障害が起きるのでしょう。

現代医学では、全く器質的な病気とされていた目の病や皮膚病、糖尿病、じんましん、月経異常、ぜんそくなど、それまで精神と無関係と考えられていた病気も、不安や心配、イライラやカリカリなどと深い関係があると言われるようになっています。いわゆるストレスです。

或る働きざかりのサラリーマンが、夜明けのトイレの帰りに、中庭へタンを吐いた。それが真っ赤だったので、結核だと思いこんで意気消沈、発熱して医者さわぎになった。
夜が明けて妻が庭を確かめると、吐いたタンは散った椿の花の上だと分かった。早速、話すと夫はケロリと起き上がり、いつものように勤めに行ったという話があります。
妻の証言がなければ、本当の病人になっていたかも知れません。

精神的な立ち直りが、生活すべてに好影響を及ぼし、職場の人々や取引先の対人関係も好転する。経済的に恵まれることにもなりましょう。
誰もそうありたいと願うところですが、思うようにならないのが心です。

良くないと知りながら腹をたて、いけないと思いながらクヨクヨ感を拭えないでいます。
どうにも制御しがたい心に、静かな安らぎを与えられるのが、諸仏に護念される利益なのです。

南無阿弥陀仏を称うれば
この世の利益きわもなし
流転輪廻の罪きえて
定業中夭のぞこりぬ
(現世利益和讃)

“南無阿弥陀仏を称えれば、この世の利益は限りなく、望外にみちてくる。永久の闇が晴れ渡り、特に若死(中夭)が除かれ濃密な余生が送られる”と、説かれています。

古来、人の願いを5つに絞ると、こうなると言われます。

(1)何時も三月花のころ、
(2)お前十八、ワシャ二十歳、
(3)死なぬ子三人、みな孝行、
(4)使ってへらぬ、金百万両、
(5)死んでも、命のあるように。

なかでも一番は、達者で長生きでしょう。

「まだやりたい事があるので、いましばらく長命の祈祷を、お願いしたい」
80歳の老翁が、高徳の噂を聞いて良寛の所へやって来た。
「長命と言っても、何歳くらいまでをお望みかな。それが分からぬと、祈祷のしようがない」
「90では10年しかない。100歳までお願いしましょうか」
「あとたった20年。101になれば、死なねばならぬが、いいかな」
「もっと、お願いできましょうか」
「一体、何歳まで生きたいのか、思いのままに言ってみなさい」
「それじゃ、150歳までいかがでしょう」
「150歳で、よろしいか」
「あんまり、厚かましくても……」
「そんな遠慮は、無用じゃ」
それでは200歳、300歳、500歳と、次第に寿命をせりあげてくる可笑しさに耐えながら、良寛。
「どうせお願いする、ついでだ。本心いってみなされ」と促すと、
「それじゃ、いっそのこと、死なぬ祈祷をお頼みします」。
本音を吐いたという。

そういえば各宗の開祖の中でも、弥陀の救いを説く善知識方のズバぬけた長命に、感銘します。
禅宗の道元は54歳、天台宗の伝教は56歳、日蓮は61歳、真言宗の弘法は62歳で死んでいます。
親鸞聖人の90歳、蓮如上人は85歳、法然上人また80歳の長命と比べても、若死(中夭)を除くとは、真実の薫る利益でありましょう。  (続く)



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