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『独去独来』『全ての人は秋の木枯らしの吹く寂しい荒野を一人で旅する旅人である』(お釈迦様)

仏教を判り易く知る資料(22)

2023年01月25日 | 仏教・親鸞聖人

 信心獲得するとどうなるか親鸞聖人(1/10)

 

(1)冥衆護持の益、

諸天善神ことごとく よるひるつねにまもるなりまず、冥衆護持(みょうしゅごじ)の益から解説しましょうましょうしましょう。

冥衆とは、こちら側からは見えないけれど、向こう側からは、よく見えるものを言います。

向こう側とは、天神・地祇(天の神、地の神)や梵天・帝釈(ともに仏法を守護する最上位の神)など、仏法を守護するものです。こちらからは見えませんが、それらの方からはこちらが良く見えて、護ってくれることです。

『教行信証』行巻には、経典から引用して、大悲の願船に乗じた者を阿弥陀仏は菩薩方を遣わして、いつでもどこでも悪神や悪鬼から護らせると説かれています。

『歎異抄』に親鸞聖人は、「大悲の願船に乗じた念仏者は一切が障りにならぬ、絶対の幸福者である。なぜならば大悲の願船に乗じた者には、天地の神々も敬って頭を下げ、悪魔・外道も妨げることができなくなる」と、見えざる冥衆の支持と援護に感謝されています。

それが次のお言葉です。

念仏者は無碍の一道なり。そのいわれ如何とならば、信心の行者には、天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし
(『歎異抄』第七章)

親鸞聖人の書かれた『現世利益和讃』にも、種々に詠み重ねられています。

「南無阿弥陀仏を称うれば
 梵天帝釈帰敬す
 諸天善神ことごとく
 よるひるつねにまもるなり」

「南無阿弥陀仏を称うれば
 四天大王もろともに
 よるひるつねにまもりつつ
 よろずの悪鬼を近づけず」

「南無阿弥陀仏を称うれば
 炎魔大王尊敬す
 五道の冥官みなともに
 よるひるつねにまもるなり」

「南無阿弥陀仏を称うれば
 他化天の大魔王
 釈迦牟尼仏のみまえにて
 まもらんとこそ誓いしか」

「天神地祇はことごとく
 善鬼神となづけたり
 これらの善神みなともに
 念仏の人を護るなり」

「願力不思議の信心は
 大菩提心なりければ
 天地にみてる悪鬼神
 みなことごとくおそるなり」

「南無阿弥陀仏を称うれば
 観音勢至はもろともに
 恒沙塵数の菩薩と
 かげのごとくに身にそえり」

(現世利益和讃)

もし銀30枚で買収されたユダ(イエス・キリストの直弟子)が、「これが、イエスだ」と捕り手に突き出さなかったら、彼はもう少し生き長らえられたかも知れません。しかし、その直弟子にも裏切られました。護衛官に射殺された大統領もいます。

当てにならない、そんな人間にガードされても、心がやすらぐのです。天神・地祇の冥衆に、よるひる常に護られるのです。こんな誇りはないでしょう。

親鸞聖人が関東でご布教中、剣をかざした山伏弁円が、稲田の庵室に押しかけた時も“殺すも殺されるも仏法を伝える因縁につながる”と、数珠一連で迎えられています。

そして懐かしそうな親密さで御同朋・御同行と諭された弁円は、真実の重さに耐えきれず、明法房と新生しました。

冥衆に護持された親鸞聖人の、たくましいご一生も頷けるでしょう。(続く)

 



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