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『独去独来』『全ての人は秋の木枯らしの吹く寂しい荒野を一人で旅する旅人である』(お釈迦様)

仏教=浄土真宗の意味を考える

2023年12月06日 | 仏教・親鸞聖人

 仏教=浄土真宗の真の意味と仏教は南無阿弥陀仏と言えば助かると言うのは間違いです

浄土真宗を名乗る寺の僧等で殆どの人は南無阿弥陀仏と唱えれば救われるのでありると言う。学校では浄土真宗は親鸞聖人の開かれた仏教の一宗派であると教え、南無阿弥陀仏を10回唱えると救われると教えるのが浄土宗であると教えているようですがこの事は全く間違っています。何故なら親鸞聖人のお書きになった正信偈には・本師源空(法然上人)明仏教・憐民善悪凡夫人・真宗教証興片州・選釈本願弘悪世・(本師法然上人は仏教を明らかにして善悪の凡夫人を憐れんで真宗の教証を日本に興し、撰釈本願を悪世に弘めたもう。)

又、高僧和讃には智恵光の力より・本師源空あらわれて浄土真宗を開きつつ選釈本願のべたもう。と親鸞聖人が書いておられます。この事からも法然上人と親鸞聖人は全く同じ解釈を経本から行っておられるのが真実であり、学校で教えている事は事実とは全く異なることがよく分かります。親鸞聖人は『珍しき法を広めず』とも言っておられます。

念仏で助かるのか信心で助かるのかも親鸞聖人ははっきりと信心で有り、凡夫の自力の念仏で助かるのではなく、仏法は聞く一つで助かるのであり念仏を称える事で助かるのではなく、信心を他力=阿弥陀仏から頂いた一念(時刻の極速)で助かるのだと教えられています。十悪五逆の凡夫の心では救われないのであり、阿弥陀仏のお力をそっくり頂いた時が信心決定した=絶対の幸福者になったというのです。

自力の称名はしなくては良いと言うのではなく信心決定に必要な道のりで有り南阿弥陀仏の称名は善であり多いに良い事であります。仏教の根幹は因果の道理で有り、よい事は進んでやることが信心決定への第一歩です。

念仏には称え心の違いによって、三通りあると教えられています

1、万行随一の念仏(観無量寿経)

2、万行超過の念仏(阿弥陀経)

3,自然法爾の念仏(大無量寿経)

親鸞聖人の称えられる念仏は自然法爾の念仏で有り、お釈迦様の教え・乃至十念(多くの信心決定のお礼の念仏する身にする)であると親鸞聖人が仰っています。        合掌


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