3月11日。
今日であの東日本大震災から6年。
そんな日に母校の同窓会理事会がありました。
しかもそんな日に理事会の司会に当たりました。
なので、礼拝の讃美歌と聖書拝読の箇所、それにお祈りの文章を考えなくてはいけませんでした。
でも、司会だったことで、改めて3月11日という日を見つめ直す時間を持てました。
久しぶりに自分の聖書と讃美歌を出して、あれこれ悩みながら決めました。
それにググっちゃったりしたので、震災にふさわしい箇所をネットで教えてもらったりして・・・
まだクリスチャンじゃないので、どの箇所がふさわしいかなんて全然分からないから
本当に助かりました。
讃美歌は「祈祷」の310番の1番と3番にしました。
1
しずけきいのりの ときはいとたのし
なやみある世より われを呼びいだし、
父のおおまえに すべてのもとめを
たずさえいたりて つぶさに告げしむ。
3
しずけきいのりの ときはいとたのし。
そびゆるピスガの 山のたかねより
ふるさとながめて のぼりゆく日まで、
なぐさめをあたえ、 よろこびをみたす。
アーメン
聖書は「イザヤ書」9章1~4節
しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。
さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、
後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに栄光を与えられる。
暗闇の中に歩んでいた民は大いなる光を見た。
暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。
あなたが国民を増し、その喜びを大きくされたので、
彼らは刈入れ時に喜ぶように、
獲物を分かつときに楽しむように、
あなたの前に喜んだ。
これはあなたが彼らの追っているくびきと、
その肩のつえと、しえたげる者のむちとを、
ミデアンの日になされたように折られたからだ。
そして、お祈りも3.11のことを祈りました。
理事会中に14:46になってしまうであろうと予想して
礼拝後にまず3.11への黙とうを全員で捧げましたが、
神様の思し召しか、理事会は14:45に終わり、
再度14:46に黙とうを捧げることが出来ました。
まだまだ復興が進んでいないところがたくさんあったり、
未だに避難生活を余儀なくされている方がたくさんいらっしゃいます。
その方々が一日も早く震災前のような生活に戻れますように。
そして「普通の一日」が決して当たり前ではないのだということを改めて肝に銘じ、
常に感謝を忘れずに生活していかなくては。
と、改めて思いました。
今日は一人一人がそんなことを思いながら過ごす一日になればいいなぁと思います。
そして「決して3.11を忘れてはいけない」と改めて思いました。