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ラスクの工場見学の後は、富岡市に移動し、世界遺産に登録された富岡製糸場に行きました。
この画像…よくTVで見る画像ですが、工場の中でも繭をおいていた場所のようで、操糸所は南側の建物(この画像の左側)のようです。
明治3年に、明治政府が本格的な機械製糸工場を建設する計画をたて、明治5年に10月に操業開始したとありました。正面入り口から直ぐに見える東置繭所には、ちょうど明治5年のプレートが見てとえます。
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明治5年のイメージは、ここまで近代的なイメージではなかったのですが、工場建設にあたってフランスから技術者を招き建築したようです。
画像の東置繭所は、1階は事務所・作業場として使い、2階は乾燥させた繭を貯蔵していたようですが、長さ104.4m、幅12.3m、高さ14.8mと、とても大きな建物になります。
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木骨煉瓦造という西洋の手法らしいですよ。木の骨組みに煉瓦を積み重ねた構造で、主に、柱や梁といった骨組みに屋根の重さなどがかかり、煉瓦部分には煉瓦の重み以外の力はかからないそうです。
また富岡製糸場の初期の建物は、煉瓦の向きを長い面と短い面で交互に並べていくフランス積みという手法をとっているそうです。この東置繭所の明治5年の部分を拡大した画像には、その上側の煉瓦が交互に並んでいるのが見えるかな・・・。
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