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オリンピックあれこれ(13)

◎みごとな情景描写
 大学のマスコミ論の講義のようになりますが、新聞のニュースにとって重要なのは「5W1H」といわれます。5Wは Who(だれが)、When(いつ)、Where(どこで)、Why(なぜ)、What(なにを)で、1HはHow(どのように)です。これだけ揃えば、新聞の文章として完璧というわけです。例文を挙げます。
 「福田首相はX月X日首相官邸で、プロ野球での長年の功績を讃え、王貞治氏に国民栄誉章を授与した」
 これで5Wは最低限そろっています。問題は、最後の1Hです。ここが記者としての腕の見せどころです。最近は、どの新聞も署名入りの記事が多くなりましたが、情景描写ともいえる1Hの巧妙さがあってこそ、署名が生きてきます。
 王さんの国民栄誉章の記事の続きの1Hです。たしか毎日新聞だったと思います(切り抜きを無くしたので筆者もわかりません)が、それは
 「祝福の拍手の中で、授与される王貞治氏よりも、授与する福田首相の方が、よほどうれしそうだった」
 うなりましたね。すばらしい。だいたい勲章とか表彰などは、もらう側よりも与える側が目立ちたがるものです。その最たるものが、年末の各新聞社やテレビ局による「年間、最優秀スポーツ選手」の表彰でしょう。他人の名声を利用して、自分たちを権威づけカッコよく見せようとしている。しかも軒並み。
 ことし年末は、女子柔道の松本薫、卓球の石川佳純、福原愛らが引っ張りだこで、ニギニギしく各社から表彰されそうです。宣伝臭ぷんぷんです。
 国民栄誉章は王さん以後、多くの人が表彰されていますが、政府はその有名人の業績に便乗して、善政のポーズを見せている感じです。そこらあたりの微妙な経緯を「福田首相の方が、よほどうれしそうだった」という1行でズバリ表現しています。すごい。

◎室伏事件での提訴
 最近、私はみごとな1Hを発見しました。それは、ハンマー投げの室伏広治選手が、ロンドン五輪期間中に行われたIOC選手委員の選挙で、事前の活動違反を問われて、当選が無効になった事件にまつわるものです。苦慮したJOCは対策を協議した結果、選挙対策責任者の野上義二理事が記者会見を開き、「JOCはスポーツ仲介裁判所(CAS)に当選無効の取り消しを求めて提訴することを決めた」と発表しました。以下は、それを報ずる毎日新聞(芳賀竜也記者)の1Hです。それは
 「記者から(CASに提訴することは)20年東京五輪招致への影響も懸念されるのではないかとの問いに、野上理事は『関係のない話。なぜ影響があるのか』と気色ばんだ」
 「気色ばんだ」とは、すごい表現です。私は記者会見に出たわけではないので、どのように気色ばんだのかわかりません。しかし、野上理事がなぜ気色ばむのか。冷静に「招致とは関係ないと思いますよ」とでも答えればいいものを……。
 私のつたない取材経験では、この種の記者会見で、挑戦的(?)になる人は、何か裏に弱みのような物を持っている。そんな様子がアリアリと感じとれる。挑発すると、つい本音が出る。これこそ、すばらしい記者会見であり、記者魂です。さすがの1H。
 新聞報道で見ただけですが、前回の北京五輪の時の選手委員の選挙では、各国とも派手な事前運動をしていたそうです。それでIOCの取締りが厳しくなっていた。JOCは気が付かなかったというか、油断していた。あわてて用意していた室伏選手の名前入りの携帯クリーナーの配布をすぐにとりやめ、写真入りのドーピンング禁止のポスターをはがしたといいます。だから、というのでしょう。IOC委員を増やす千歳一隅のチャンスを逃したJOC関係者の無念の気持ちはわかります。
 だが、実際のところ(私の個人的な感想ですが)、裁判所に訴えられて愉快な者はいないでしょう。ましてやIOCは保守的な連中が多いところです。招致にマイナスにならないにしても、決してプラスにはならない。室伏選手個人はCASへの提訴は「五輪招致などに悪影響が出る恐れがある」と消極的だった(朝日)と言いますからなおさらです。

◎招致の見通しは半々
 日本人は、自分で考えていることを、外国人もそう思っていてくれるのではないか、と早とちりすることが間々あります。五輪招致の旗印の一つに「東北大震災の復興」を掲げようという意見があったと聞きます。これこそ、自分に都合のいい勝手な思い込みでしょう。IOCがいちばん嫌うのは「オリンピックを利用して何かをやろう」という考え方です。
 オリンピックは平和運動だといわれますが、オリンピックはことさら平和を意識してやっているわけではありません。自然な形で平和に貢献し、各国選手が仲良くしようというものでしょう。もし選手の一人が「平和を守ろう」という旗を会場内で振れば、たぶん「竹島は韓国のもの」とのプラカードを掲げたサッカー選手と同じように罰せられるでしょう。
 「平和」という言葉ほどいい加減なものはありません。極端な例ですが、アラブとイスラエルが考えている平和は、言葉は同じでも考え方は正反対です。ただ「平和の祭典」とか「平和のために」という言葉に踊らされるのは、非常に危険な場合があります。
 数年前、広島がオリンピック開催の意志を示しました。そして、長崎も加わりました。立候補の理由は「原爆の悲惨さを世界に知らせ、恒久的な平和のために」というもので、これは五輪精神と合致するとしていました。
 だが、果たしてIOCが、原爆の悲惨さを知らせる運動に加担するでしょうか。これこそ、日本人の「初の被爆地であり、世界の人々も理解してくれるだろう」と思い込んでいる自分勝手な思い違いです。
 東京に五輪招致する理由として、日本人の意識改革とか、青少年の健全な育成、都市改革、経済復興、世界平和への寄与などといわれています。国民の支持率をあげるためかもしれませんが、国際的にはキャッチフレーズとして通用しません。これらは自分勝手な、あくまでも内向きものです。
 1964年東京五輪は「アジアで初めて」という強いメッセージがありましたが、こんどの2020年五輪を開く本当の理由付けが見当たりません。
 それよりも率直に言って、招致の立役者、石原知事のいろんな過激(?)発言が決定的にマイナスに作用しています。いま中国にはIOC委員が3人、韓国には2人(2012年6月現在)もいます。4年前の立候補のときもそうでしたが、この5票はほぼ期待できないでしょう。
 日本のIOC委員は先日就任した竹田恆和さん1人(投票権なし)。アジアには北朝鮮、香港、タイ、シンガポールや湾岸諸国などに、全部で24人のIOC委員がいますが、ここが重大な票田です。だが、どれだけが東京に投票してくれるやら。
 南海トラフとやらの大地震で、32万人が死ぬだろうといった一大予測も決してプラスには働かない、と私は思っています。今回も、膨大な招致費をドブに捨てることになるのではないでしょうか。
 (以下次号)

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