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オリンピックあれこれ(11)

◎卓球を五輪から除外?
 私は外出した時には、夕刊紙を買うことにしています。つまらぬ芸能情報やエロイ話が詰まっていますが、時たま政治や経済、スポーツなどを鋭く切る記事があって、発想の転換、目の保養という意味でおおいに参考になることがあります。
 ロンドン五輪後、ゲンダイに「卓球が五輪から外される可能性」という記事が載っていました。事情通の目を引く記事です。
 野球やソフトボールは、世界でやっている国が少ないという理由でロンドン五輪競技から外されました。しかし、卓球はサッカーや陸上と並んで、たしか200カ国近くでやっているはずです。欧州のサッカークラブには、必ずといっていいほと卓球台が置かれています。普及度からいえば、広いコートが要るテニスより高いでしょう。それなのに五輪から外す、なぜだろう?
 記事には「中国の代表から漏れた中国の有力選手が、世界各国に散らばって各国の国籍を取得。この先も『中国人』だらけの上位争いが続けば『国際化不十分』として、卓球がオリンピックの正式種目から外される可能性が浮上してくるからである」。
 さらに、ある卓球関係者の話として「卓球は五輪だけでなく、世界大会のほとんどが『中国選手権』の様相を呈している。これを問題視するIOCが、五輪種目から外すことを検討しはじめたといわれる」とあります。
 なるほど、そうか。しかし、「ある関係者の話」という点に、なぜ実名が出せないのか、という夕刊紙らしいおかしさがあるものの、たしかに日本の女子が対戦したアメリカ、ドイツ、シンガポールには、必ず中国から帰化した(あるいは、その2世らしき)選手がいました。
 また、この8月の世界ランキングは、4位まで中国選手が独占。日本の石川佳純、福原愛が続き、あとシンガポール2人(ともに中国出身)と中国、韓国の選手が1人づつ。つまりベスト10に中国系が7人います。11位以下に中国出身と思われる選手はスペイン、オランダ、ポーランド、オーストリアなどにぞろぞろといった感じです。
 たしかに中国卓球の世界への侵食ぶりはすごい。これでは、五輪会場にきた欧州の記者や観客に「なーんだ。試合しているのは中国選手だけじゃないか」といわれてしまうのも当然。それがゲンダイの記事になったのかもしれません。

◎2番シードで銀メダル
 話をそらすようですが、このような中国主流の中で、日本女子団体は銀メダルをとりました。ここ4年間たいへんな苦労だったようです。
 団体戦のシードは参加選手個人のランキングの合計できめられます。個人でベスト4を占める中国代表は、当然ナンバー1でシードもトップ。
 日本は彼我の個々の強さから言って中国には勝ち味が薄い。準々決勝や準決勝で中国に当たれば、そこでおしまい、メダルはとれない。決勝まで中国と当たらないようにするためには、どうしてもシード2の地位を保っておくしかない、というわけ。
 それには個人のランキングを上げておくしかない。ランキングは世界中で、ほぼ一年中やられるオープン大会の結果で決められます。ランキングを上げたい選手はせっせと、いろんな大会に参加しておかなくてはならない。プロだから仕方ないとはいえ、それはもうたいへんな労働です。だが、もし一つの大会で優勝すればランキングはグーンと上がります。
 石川も福原も、ほぼ1年中、五輪直前まで世界を渡り歩くようにしての各地のオープン大会に参加していたのは、こんな事情があったからです。それも中国選手が参加しない大会を選んで……。その成果がランキング石川5位、福原6位、という結果なのです。それでめでたく決勝まで中国と当たらないような第2シードとしてトーナメントが組まれました。
 と書いてくれば銀メダルは簡単だったようですが、ランキングを上げるためには、各国を転戦し、中国から帰化した元中国選手に勝たなければならない、たいへんなことです。中国選手の打球の回転を実現する機械が、1千万円もかけて作られ、味の素ナショナルトレーニングセンター(国立のはずなのに、なぜ味の素がつくのでしょうね)に置かれたことも大きい(といわれます)。中国本土の選手に通用しなかったかもしれませんが、移籍した元中国選手との試合には、たぶんプラスになったでしょう。

◎国際化の当然の成り行き
 中国から日本に帰化した女子の小山ちれさんは8回も日本チャンピオンになったし、男子でも井関晴光選手が4回、吉田海偉選手が2回も日本チャンピオンになっています。
 このような中国選手の世界への拡散の傾向を、中国の最近の経済発展になぞらえる人もいます。だが、もともと中国人の海外指向は『華僑』という形で、いまに始まったことではありません。世界の大都市のどこにでも中華街があります。
 いや、この傾向は中国に限りません。日本だって南米に移民したし、かって欧米の植民地だった国々の人の子孫がロンドンやパリにあふれています。サッカーのラモスや呂比須らの日本サッカー界に残した功績は大きいでしょう。
 国単位でモノを考えるのは時代遅れかもしれない。日本代表サッカーチームの面々は、かつては日の丸のもと、日本国のため戦ったでしょう。だが、いまは(もちろん私の想像ですが)国のためというより、選手個々の気持ちの中には、そのプレーぶりをヨーロッパの有名チームのスカウトの目に止めてほしい、という個人の欲望みたいなものが半分くらいあると私は思います。
 先日の五輪メダリストの銀座パレードで、選手団や観衆の間に「なぜ日の丸の旗が無かったのか」を残念がる人々がいます。私個人は、日の丸ナシでよかった、にわかナショナリストのどんちゃん騒ぎにならなくてよかったと思っています。それは愛国無罪の思想につながるからです。日本選手団が故意に日の丸を持たなかったとすれば、たいしたものです(たぶん忘れていたのでしょう)。6日夜のキリン杯で日本代表が日の丸を使わず、協会旗の「3本足のカラス」を使ったのもたいしたものです。
 未来のオリンピックが、国家と国家の対抗でなく、つまり「メダルをいくつとった」と、ことさら国家を際立たせ、自慢するようなものでなく、何か別の形で個人の技を競うイベントに脱皮してほしい、と願わずにはおれません。
(以下次号)

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