風の樹人日記

写真付きで日記や趣味を書く

atelierは、ときどき覗いて下さる人があるのです。

2014年04月25日 | アート・文化

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 atelierが留守がちになっているのですが、今日も写真家・阪上さん、印刷会社の小松原さんが、偶然やって来てくださいました。

 

 話をしながら制作を続けていますと、いつの間にか身辺の話から、行政・産業・雇用・企業経営・市長の施策など、おおよそこの5か月間全く関心を失っていたような話題が次々に出て来ました。

 新しい市長も、多忙なようですし、議長も東奔西走の様子です。

 「facebook」等で概ねの動きは知っている積りでしたが、矢張り、5か月の空隙の時間は大きいのでしょうか、初めて聞くような話も聞きました。

 この地方では最も大きな事業所の、ごく最近の閉鎖が、市の運営に大きく影響を与えているのでしょうね。  何となく元気のない町が見えてきます。   2060年代辺りの活況の時代を生きてきた私には、随分淋しい時代が来たものだとの感慨が、悲しさに代わって行きます。

 カルチャーパークや図書館、美術館、資料館、青年の家、地球科学館、駅前再開発、杉原川リバーサイド計画などの建設や運営に、ほんの少し関わって来たこともあって、「あれは何だったのだろう?」と、虚無的な気持ちに苛まれます。

   時間は「夢」を包みながら消えて行くような気持ちにも…。

 サムホールの作品が、そんな話をしながら進みました。  作品も、1点だけが出来上がったのです。
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 でも、以前の「sketch」作品は、失せることなく繊細で新鮮な「心の動き」を情報として残してくれているような気がしました。


「作品化」などと構えないでいたいもの。

2014年04月24日 | アート・文化

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 作品化するとはどんなことかな?

 かっては「テーマ」を決めて主張すべきものがどのように表現すれば、うまく進むのだろうというようなことを考えながら選び続けていたものです。

 

 でも今では、何となく描きたいものをイメージしながら「心の動き」を素直に受け入れて、描き足したり、消し取ったりして、その都度作品と自分の想いのバランスがうまく表現できているところで筆を止めるようになっています。

 そんな中で、どこで筆を止めても、「これで好い」と思ったとたんに「加筆したい」と思って筆を加えることを繰り返してしまうのです。

 つまり、「完成した」と思っても「常に未完」なのか「「心の変化」がその都度微妙に動いていることに気付くのです。

  どの状態で壁にかけても、それはそれで、何とかfitすることも解ります。  制作とは、心の今を定着することを目しながら、詰まる所「サインを入れた時」が、一区切りの「作品」に位置づけられるのです。




    同じように、出かけた先のワンショットで気になったものを、スケッチして記録するのも「作品」なのでしょうね。

 


頂戴した花を活けて頂きながら、いろんな思いに耽ってしまいました。

2014年04月23日 | アート・文化

Dsc_7355     自宅療養を続けますが、一先ず「リハビリ」はここまでと、20日に家に帰ってきました。

 


  家は整理が出来ていません。

  でもその玄関に「花」が、サラリーマンをしていた頃からの親友I・Fさんご夫妻から届きました。

  花の大好きな家内も、大喜び。

  手術の時などを含めて、何度も大変な時に立ち会って頂いたのです。 花を活けて頂いたあと食事にと言うことになって、また…。  

  少しだけ後輩の彼の長男夫妻も今月帰省するそうです。 と言ってもカナダに長年住んでいるのですが・・。

  そういえば、昨日はカナダに行っている教室の幸ちゃんから、国際結婚した御嬢さんに、長男が生まれたとの嬉しいメールが入りました。  
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 折り返し電話してみますと5月下旬まで、私も滞在するというのです。

 随分グローバル化した身辺に、今更ながら驚く始末です。

 思い出せば、G君の長女もアメリカ人と、Hさんの長男夫妻は、ケニヤのナイロビで「ドクター・チャイルド」と言うNPO活動をしていますし、Sさんの長女もイギリス人と結婚してロンドン住まい。  私の同級生Y君などはドイツ人と結婚、奥さんの母国で骨を埋めると電話してきたことがあるな・・と。    やっぱり、時代に取り残されているのかなとの錯覚を持ってしまった次第。Dsc_7364

  でも、今日も4号程度の作品を仕上げて見ました。 最近の小品たちは、いろんな顔を見せて呉れます。 「寓話シリーズ」の延長と思っている積りですが、匂いが変わってきているのが解るのです。   



パソコンも自動車も故障です。 何もかも老朽化しているのでしょうね。

2014年04月22日 | アート・文化

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 ブログが遅れています。

 

 大急ぎで、本体のチェックをして頂きました。

 xpのd使用期間が切れたこともあって、プロバイダーはてんてこ舞いなのだそうです。

 無理をして頂きました。 大急ぎで修理をして頂いたのです。

 私はその間(vista)、今は「window7」に変えていたので、その修理ではなかったのです。
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 取り急ぎここまでで…。

 

 



日常の生活表情。

2014年04月21日 | アート・文化

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 通りから見る風景は日常です。

 建物の一番奥の部屋に案内されると、殆どどんな場合でも、裏側が見えるのです。

 その風景は、日常の風景であるはずなのに、どんな建物の場合でも、まるで新しい風景を観るような新鮮な光景を醸し出しています。

 どんな建物も、表の表情と、裏側の表情が大きく異なることに気付きます。

 ほとんど人に見せない表情こそが、本当の生活の姿のような気がします。

 野菜たちだって、ちょっと目を凝らして見ますと、面白い独自の特徴が見えてきます。

 つまり、観る人の心が「ふと見る」だけでない時に「正直な表情」を見せてれるのでしょうね。つまり、それを「日常」と言うのでしょうか?

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 5か月ぶりで「老々同居」の「家内の退院」が出来ました。  輪禍に遭って、受け入れ病院探しを経て「検査のためのMRI撮影」に始まって、「カンファレンス、手術」「入院」「転院」「転院」「リハビリ」を長期に亘って進めました。

  いきなり日常生活は、ちょっと無理です。

 当然です。  歩くという基本的な作業が大変なのです。  歩くことが出来ることは、もっとも基本的なことなのです。  常に見守りが必要です。