老人の戯言

当年85歳になります。戦前戦後の経験語り部も居なくなります。貴重な経験を構成に残して今後の日本の発展を期待したい。

戦後70年(6)学制改革

2015-07-09 19:33:16 | 日記
戦後やってきた米国の教育使節団のアドバイスを得て東大南原 繁総長等が起案され、1946年春から順次導入された現行の制度である。
米国は日本を再び立ち上がるのを嫌い日本の教育水準の低下をねらlた制度とも言われている。
 表向きは明治以来のドイツ流の制度は社会階層に応じた複線型教育で、新たに機会均等を狙った複線型の教育と言われている。目玉は義務教育の6年から9年への延長であるが、聖職と言われた教育者は戦後労働組合員となり勝手の道徳人格的な憧れの的から大きく下落した。
 私は旧制度の最後の学生として学び、新制度の最初の学年と同時期の昭和28年に社会に出た。
一番のショックは旧帝大の東大では80%が東京都外からの出身で埋まり、新制度では80%が地元の出身者で満たされたことである。
 ああこれで東大も一地方大学に成り下がるのかと思った位である。
旧制度の帝国大学の紀要には国家に枢要な学問を修めて国のために勉学するとなっていたが、こんれも削除された。
 現在の旧帝大の学生の親は中流階級以上で占められ当初の目標から外れているのも事実である。
我々の時代は物の考え方を教えたので、具体的な螺子一本の寸法などは専門学校で教えたのである。
 我々は社会に出てからknow howto know whyの深度をきょういくされたのであるが、現在は米国と同様なハンドブックにいくらでも出ている技術を教えてているから、応用が効かない。
 定型的な職場はそれでも良いが日進月歩の世界の技術をリードしていくには、なぜなぜと追及姿勢が必要である。
 また大学以前の家庭の教員は教育委員会の市道で落ちこぼれを出さない最低レベルを基準にして教育しているから、レベルが低い職能大学化している。
戦前にあった飛び級のような制度もほとんど無くなり英才教育もないので残念である。
 日本の学生はオールB形でインドなどの学生は少数であるがAクラスとDクラスが混在しているから、ソフト面などでは日本は後れを取っている。
物づくりからソフトに移行しなければ非資源国で国民の数も少子化になるのを支えて行けないのである。
 践祚中育ちの我々は碌な高等教育や語学教育を受けなかったが、戦中に鍛えらえた頑張り精神でこれ等を克服し、奇跡といわれる戦後の発展を成し遂げたのである。
 教育の効果を変えるには時間が掛かる。現在の親や先生を先ず洗脳するにはどうすれば良いかから始めなければできない。
現在の団塊世代以下の親は誤った個人主義で育ち自分の子供さへ良ければそれで充分と思いすぎている。
 区にあっての国民であることを忘れてはならない。石垣は大きい石と中小の意思が混じって初めて強固な石垣や城壁ができるのである。
個人個人の子供の特徴を伸ばすような教育体制への改革を期待する。JUNTARO

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