気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
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その様な人生を追及しています

‘13. カダフィー・橋本徹 またまた大暴走 !!

2013年01月18日 | ニュース

  大阪の橋本、名実共にかのカダフィー大佐の日本版を目指している・・・こう指摘しても、強ちそれは間違いとは言えまい。桜ノ宮高校で起こった体罰事件に端を発するこの問題。事態はとんでもない方向に向かってしまった。

 

  体罰を行使した教員には当然の事ながら問題は有るのですけれど、それよりも問題なのは、橋下が向けた矛先です。どうしてこの問題に教育委員会が出て来るのか? そして更におかしいのは体育科とスポーツ健康学化の入試までをも中止させるといった方針を打ち出した事。入学試験を受けに来るのは何の関係も無い学生である筈なのに、どうして彼等が(彼女達が)まるっきり無関係のとばっちりを被らなければならないのでしょうか? 確かに立場上、或る種の治安の安定を担う責任は有るものの、やり過ぎてはならない事、踏み入ってはならない事なども有る筈。それなのに橋本のやる事為す事、それ等は暴言乱舞、何様のつもりなのであろうか? 体育科とスポーツ健康学科を受験希望者の120人に対して、『普通科を受ければいいとは何事か。彼等(彼女達)の将来に関る、敢えて言うなら一生の問題を決める大事な選択である受験。真面な打開策を持ち合わせていない愚かな権力者の愚策としか言い様がありません。そしてこれは決して許される事の無い『職権乱用』に他ならないものです。前途ある若者たちに対し、自分の愚かな・狭い了見を押し付ける様な者を権力の座に居座らせておいても良いのでしょうか? 教育委員会に対する要求も、元々の個人的思考と感情の表れでしかないのは明らかな事。思い付くまま公私混同を正当化しているのです。《よくもまあ弁護士に成れたものか》。挙句の果ては、運動部の顧問を全員解雇しなければ学校に対し予算を付けない・・・と声高に感情むき出しで宣言をする始末。これは余談ですが、そんな者が維新の会なる政治団体をまとめているとなると、維新の会そのものの存在自体が怪しいものとなってきます。

  政治が何処迄教育に踏み込んで良いものか、どの様に関って行くべきなのか・・・という微妙な問題を抱えているという事を、初めから内包しているのだと改めて考えさせられる事件です。同時に、体罰の中に在る教育的指導と暴力との線引きが何処に有るのか、何を基準とするのか・・・と云う答えの出し難い問題をも含んでいます。後者の方は多分に時代の流れと共に変化している様です。社会や経済が豊かになって来ると、人々の物の見方にも変化が現れ、あらゆるものに対して要求が高くなり膨らんでくるからです。並行して教員の質の劣化も有り得ますね。サラリーマン化している事でも解ります。しかし、だからと云って、今回の橋本徹のカダフィー踏襲は、元々その気が有ったとは云え許せるものでは有りません。絶対に。俗っぽく言うならば、我が儘に育った、世間を広く見渡す事の出来ない者が、ひょんな事から手に入れた権力の座に胡坐をかいて、やりたい放題の傍若無人振りを世間に見せびらかしている・・・と云ったところでしょう。

 

 最後に一言。この事に限らずこういった問題が出て来る事に関して、些か疑問を感じます。被害を被った生徒(生徒達)には酷な話しだとは思いますが、明らかに暴行傷害事件であるのにも拘らず、どうしてその時直接警察沙汰にしなかったのか?・・・という事です。自ら警察沙汰に出来なかった理由が存在し得たのか? 真面目にクラブ活動をしていたのだから、決して泣き寝入りをしなければならない道理は決してない筈。私にはその事がどうしても解せません。これからの事も有ります。相手が教員であろうといじめっ子であろうと、傷害事件と判断される時には、迷わず「その時・即座に」警察に行くべきです。暴力を伴わない・傷害事件にはならない所謂「いじめ」で苦しんでいる諸君も同様です。弱者は弱者なりの反撃の仕方が有るものです。どうかその事を忘れずにいて下さい。


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