1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 結婚は何歳でも出来るが、子供は何歳でも、という訳にはいかん。いかんが「結婚は、何歳でも出来るんだよ」と檀家独身女性達に。

2021-12-13 17:41:26 | 法話
法要直後にリモート参加の80代母親から「住職。娘の結婚が決まり、今月中に家を出ます」と突然の報告が。「えっ、えっ、えー。どういう事」「話が降って湧いてきて」「近所、遠方、どっち」「駅2つ」「娘さん、出さんかい」「住職。嫁げました」「真実は小説よりも奇なり、やな」「はい。人生、捨てたもんじゃ」と。

【追伸】
このリモート会話を法要参列者達が「何じゃ。どうした」の顔で拙僧らの会話を。会話終了後、1人の檀家爺様が「住職よ、常日頃から何があっても冷静沈着なあんたが、それほどに驚く事かい」と。「頭の片隅にもなかった事が起こった。絶対に結婚など出来ん、と確信していた47歳の娘さんの結婚(初婚)が決まった」「住職、あんた、その言い方は失礼過ぎるで」と。「失礼でも何でも構わん。大どんでん返し、の大大大吉報や。いや〜、こりゃ、めでたい。いや〜、何ですな、やっぱ、世の中には『絶対』は、ないですな」と。暗い表情しか見た事のなかったこの娘さんが、リモートで結婚報告を拙僧にした時の、別人の様なあの笑顔。「ほうー、こんなにこやかな表情も出来るんだ」と。昨今、最高の吉報にて。拙僧にとっても、年末のご褒美だね。





















【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に。2336話目】 息子の自殺が縁となり、牛に引かれて善光寺と。捨てた菩提寺、捨てたお墓を、再び探す事に。捨てた親の遺骨は戻らんが。

2021-12-13 11:44:45 | 法話
ある夫婦が「1周忌法要と納骨堂契約をお願い出来ませんか」と突然、遺骨と白木の位牌を持ってお寺に。理由を聞くと「息子が自ら命を。私達の夫婦不仲が原因で。葬式は葬儀社でお寺を紹介して頂いて」「そこのお寺に納骨堂は」と。「納骨堂を見に伺うと遺骨を大事にしているお寺とは思えず」「兎に角、供養を」と。

【追伸】
1周忌のあとに「あなた達夫婦両家の菩提寺は、どこにあるの」と。「ありません」「両家共に、かい」「はい」「親の遺骨は」「火葬場にそのまま」「両家共に、かいな」「・・・」「それで、私のお寺をどこで知ったの」「ツイッターの法話で。ここなら、と。怒られるを覚悟で」「それで」「ここの檀家にして頂いて、納骨堂の契約をさせてもらえれば」と。「住まいは」「関西です」「関西とは、ちょっと遠いですね。あなた達が『供養を長続きさせたい』と本気で思うなら、無理なく続けられる環境を考えた方がいい。関西の方で菩提寺を探しなさい」「ここじゃ、駄目ですか」「あかん。居住地の仏壇屋さんに行って『人格者の住職が座する、納骨堂保有のお寺を教えて下さい』と。仏壇屋さんはお寺とのお付き合いがあるから、そこに聞くが最も間違いがない」「そうですか。わかりました」と下山を。親の遺骨は捨てられても、流石にわが子の遺骨は捨てられなかったんでしょうね。牛に引かれて善光寺、ですね。道理のわかるご住職に出会えたら、捨てた親の供養も一緒に供養するを、勧められるでしょうね。良きお寺さんとのご縁があります様に。