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ビジネスマンじゅんごろうのONとOFF

ビジネスマンならではの視点で趣味やビジネス、社会について論じます。

「型」からみる欧米人の思考

2015-10-12 09:24:29 | Weblog
最近ビジネス関係のセミナーや講演会に元サッカー日本代表監督の岡田武史氏がよく登場している。今彼は今治FCのオーナーをしているため、資金集めに四苦八苦していることが大きな理由だが、ITとサッカーの共通性を見出し協力を得られると考えていることも一因だと思う。
講演の中で印象的な言葉は「型」である。岡田氏によるとサッカー先進国のスペインでは自由に個人技を発揮しているように見えるが、実は型、つまり共通認識のようなものが染み付いているという。例えばボールを持った時相手からプレッシャーを受けたとき、ボールに近い味方がどのような動きをするかということだという。今治の地で日本独自の「型」を作りたい、そのために昨年ドイツ代表チームが活用したデータ分析を取り入れたいと考えているという。
この「型」という考え方は欧州がチームスポーツで世界トップに君臨する大きな理由だと思う。何か解決しなければならない課題があったときに、応急的に対応するのか全体を考えて今取り得る解決策がいくつあるのかを考えるのか、など基本的な部分である。捨てることや選ぶことを判断する軸になるものと言ってもいいのかもしれない。
岡田氏の型の話を聞いて自分が携わるシステムの世界の中で身近に感じるところがあった。システムの「仕様書」と呼ばれる設計書である。建築の世界と同様、システムでも様々な設計書を作る。行程によって「基本設計書」と呼んだり「詳細設計書」と呼んだり、呼び方や内容は様々だが、モノを作るデザインであることは共通している。この仕様書は経験的に日本ではエクセルやパワーポイントで作ることが一般的だが、欧米はほぼ100%ワードで作られるのだ。
中身が同じなら見栄えが違うだけではないかと思われるかもしれないが、ワードで資料を作るというのは「型」を意識することを意味する。目次も自動でつくられるし、「1.1.1」など章を意識して文書を構成することになる。一方でエクセルやパワーポイントは作る人によって自由度は高まるが、資料によって構成も様々になってしまうのだ。ワードで作成することは全体感をつかむことにも役立つ。欧米系の技術者と会話したときになぜ日本人はエクセルで設計書を作るのか、と問われて答えに窮したことある。明らかに岡田氏の言う「型」についての認識の違いによるものだと思わずにいられなかった。日本人は文書の量で仕事の成果を測るところがあると思うのが、パワーポイントやエクセルなら図や表を挿入しやすいという点で量を稼ぎやすいのかもしれない。だが、ポイントは使うソフトの問題ではない。いかに型を意識するかではないだろか。相手にとっても型どおりに作られた文書のほうが受け入れやすいのである。

自転車のルールは変われるか

2014-10-05 21:10:52 | Weblog
自転車通として知られる自民党の谷垣氏が「自転車特区」構想を披露したという。自転車専用レーンの整備や交通法規のあり方を実験するということらしい。
自転車の交通ルールはかなり厳密に規定されているはずだが、守っている人は少ない。そもそも自転車は歩行者ではなく車両として位置づけられることを意識する人が少ないのが現状だと思う。
先のブログで中国に長期出張したことを書いたが、ひどい交通事情と思われる上海であっても街中で2輪車用のレーンと自動車のレーンが完全に分かれている。歩道を自転車やバイクを走る人は不思議なことにまずいないのだ。少なくとも歩道を歩いている限りは安全が保たれる。
日本ではどうだろうか。狭い歩道を歩いていると前後から不意に自転車がすごいスピードで走ってくる。危なくておちおち歩いてもいられないし、実際死亡事故も起きている。
日本で自転車ルールを徹底する一歩は、まず歩道から自転車を排除することからスタートすべきだと思う。あわせて車道に自動車用のレーンを設置することだ。
大阪では御堂筋の側道を自転車用に改造するというが、2輪車用に独立していないと駐車車両があって安全に走行できないから結局歩道に上がってしまうという悪循環に陥るのだ。
思えば大阪では無灯火、並走が多い。大阪の自転車マナーもひどいと思ったが意外に整備が進んでいるところもある。都市部での駐輪場である。前輪を固定するタイプの駐輪場が梅田や難波でもたくさんあり、東京の都心に見られるような放置自転車は少ないように見えるのだ。
大それたことでもないが、東京、大阪、上海と滞在してみてそんなことを思った。

いつ走るの?今しかないでしょー

2014-01-02 22:48:59 | Weblog
2013年は振り返る間もなくあっという間に過ぎ去ってしまった。昨年はいろいろと思うところもあったがブログの更新頻度はかなり低かったと反省しています。2014年一回目のブログとしてはやはりマラソンについて書いてみたい。
2013年は結局5回フルマラソンを走って3回サブスリーを達成した。残りの2回も3時間15分以内なので市民ランナーとしてはトップレベルにいると言ってもいいだろう。しかしトレーニングはトップレベルとは程遠い。ランナーズなどの雑誌を見る限り、サブスリーランナーは平均して月間300キロは走っていると思う。しかも多くは走友会などのランニングサークルに所属し、定期的に長距離やスピードトレーニングも重ねている。彼らの様子を間接的にも見聞きするにつけ、自分もその輪に入って高みを目指したいと思うこともない。マラソン大会に出場したときに自分の近隣の地名のついたランニングチームのジャージを見たりすると思わず、「メンバーになるにはどうしたらよいですか?」と声をかけたくなる。
実際はそんなことはすることなく練習では黙々と走りたいときに走りたい距離を走るということを繰り返してきている。走行距離はせいぜい月間120キロ程度である。それでも記録を出す秘訣をあえて言うと川内優輝と同じで「練習代わりにレースに出場する」ことだろう。レースはテンションも上がるし自分より速く走る人はわんさかといるわけだ。少しでも前に行こうと走ることで知らずに力がついているのかと思う。
しかし昨年自分の走りを変えるきっかけが一つあった。半年以上ぶりに走った10月の大阪マラソンである。前年にサブスリーを達成した相性のよい大会である。レースのコンディションも悪くなく途中までは快走していたが、ハーフを過ぎたあたりから急激に失速した。歩く寸前ながら前を目指す。大量のランナーに追い抜かれていくなかで1時間半あまりの屈辱を味わうことになる。フルマラソンを走るときは常にサブスリーを目指して走るわけだが、30キロでレースは「終わって」しまったのだ。
原因ははっきりしている。レースのスピードに慣れていなかったこと。もっというと2週間程度前に10キロかハーフのレースを走っていなかったことだ。レースと練習にスピードや距離に差がありすぎて、レースのペースに体がついていかなかった。この悔しさを糧に大阪マラソンの翌日に、2013年内に走れるもう一つフルマラソンにエントリーした。防府マラソンである。その前にハーフマラソンを走り調整も行ったこともあり、見事サブスリーを達成することができた。というのが昨年、自分に倍返しできた経験だ。
2014年はもう少しデジタルにトレーニングと結果を振り返ることを実践したい。つまりラップだとか練習量はスマホにデータが日々蓄積されているわけだが、これらは単なる自己満足以外に活用されることはなかった。走った翌日の疲労や食事との組み合わせ、走る時間帯などをパラメータに分析してみるとかなり面白い結果がでるのではないかと思う。朝走ったほうが長い距離走れるとか、走ってから30分くらいたつとペースアップする傾向があるとか。
もっと言うとトレーニングはマラソンで結果を残すためだけでなく、仕事や勉強においても応用するためでもあると思うのだ。仮説と検証を繰り返し、成功体験がまた次のチャレンジの糧となる。思い立ったが吉日。やるのは今しかないでしょー。

サイクルモード2013

2013-11-10 21:50:35 | Weblog
サイクルモード2013に行ってきた。サイクルモードとは東京(幕張)と大阪で年一回ずつ開かられるスポーツ自転車の展示会イベントである。自転車好きには見逃せないイベントで毎年楽しみにしている。値段の高い自転車も試乗できたり、自転車のコースの情報を仕入れたりすることができる。
今年は思いがけずトップアスリートのインタビューイベントを観覧する機会があった。日本が誇る世界の「シマノ」のブースで10名程度のアスリートたちが大会などのエピソードを中心に話をしていた。その中に私が注目しているトライアスロンの上田藍選手がいたのだ。上田選手はテレビのニュース番組で猛烈な練習をこなしていていることやスポーツを超えて絵画や人柄など人間的な魅力にあふれる人物だと思っていた。今年は結果がついてきていることもあるのか、表情もやわらかく終始笑顔でイベント会場を明るい雰囲気作りに貢献していた。
見た目は非常に華奢でどこにトライアスロンで優勝するほどのパワーがあるのかと思い起こさせた。その後彼女のブログをチェックしてみると、やはりすでに次の目標、リオがターゲットに入っているようだ。ロンドンオリンピックまでは日記に毎日「オリンピックで金メダルを獲ることができました、ありがとうございました。」という趣旨の文書を毎日手書きで記していたのだ。残念ながらロンドンオリンピックの結果は39位。当然満足のゆかない結果だっただろう。ブログを見る限り、リオのオリンピックまで同じように金メダルを獲ることを現実にするための日記を書き込んでいるのだろう。
まずは日記をつけるというだけでも普通と違うと思うのだが、意外とトップアスリートで日記をつけている人は少なくない。有森裕子氏もしかりである。今の時代では私のようなサラリーマンアスリートでもネットのサービスでトレーニングを管理できたりするのだが、重要なのは何時間、どれくらい練習したかという量だけでないということだ。その練習が自分の中で満足のゆくものだったのか、どんな気持ちで練習したのかというソフト面が重要なのだ。日記に毎日のトレーニングを振り返りその時の自分の気持ちをつづるのだろう。なぜその感想が必要かというとアスリートは大会に自分のピークを持っていく必要があるからだ。練習を抑えたり食事制限をするのは素人でもできることだが、気持ちのコントロールまでは普通ではできない。日記は気持ちのコントロールに重要な役割を果たしていると思えてならないのだ。
最近は「ビックデータ」というデータ解析に注目を浴びているが、アナログの情報が結果を出すことに一番大きく貢献しているのかもしれない。

富士登山競争について

2013-08-17 09:30:03 | Weblog
ずいぶんとブログの更新が滞ってしまった。。
3か月近くサボってしまい、サイトにアクセスしてくださった方には申し訳なかったです。
この3カ月の間に、ここ数年の恒例行事であるロングライドイベントの参加、サロマ湖100キロ、富士登山競争をこなしてきた。レポートを書く間もなく次のイベントに参加することを繰り返したことが更新できなかった言い訳か。。
さて、その中で特筆したいイベントは「富士登山競争」だ。
富士登山競争とは7月の最終金曜日に開催されるトレイルラン(と言っていいのか。。)レースである。富士吉田市役所から登山道を走って5合目を目指す5合目コースと山頂を目指す山頂コースがあるが、ほとんどの参加者は山頂狙いであり私もその一人である。富士山といえば今年世界遺産に登録され、例年以上に注目を浴びている。そんな貴重な地を走って登れるというのはランナーにとってこの上ない幸せを感じることができるだろう。
しかし今回山頂コース3回目の参加となった私だが、来年以降開催されることになったとしても参加することはないだろう。3回も走らせてもらってありがとうという感謝の気持ちはあるが、正直マラソン大会の運営としては落第点をつけざるをえない。

まずコースは面白味がほとんどない。途中の舗装されたのぼりの道をどれだけ走れるかが完走までのポイントになる。登山道に入ると走ることは困難だから前半に十分走れなければ完走はほとんど不可能だ。つまり後半にスタミナを残すとかレース展開を考える余地はない、前半の好タイムを稼げないランナーは何度走っても完走は無理だ。つまりエリートランナーのための大会といっても過言でないのだ。
7合目あたりになると岩場が中心になる。前半にタイムを稼げなかったランナーたちは5合目あたりからストレスを感じることになる。ところどころ1人ずつしか通れないので通路が詰まってしまう。制限時間が厳しいから前に進みたいところだが、刻々と時間が過ぎていくなかところどころ不本意に足を止めざるをえない。結果として多くのランナーは8合目の関門で涙をのむことになるのだ。そもそも登山道を大量のランナーが走ることに無理があるのだ!

そして大会運営だ。ゴールしたランナー、ゴールできなかったランナーとも5合目まで自力で下ってくる。5合目からバスでふもとまで下ってくるわけだが、このバスが思うように到着しない。長い列ができ日陰のない中待たされることになる。なんだか誘導している担当者の態度も誠実でなかったことも気になった。そして極めつけはふもとの到着地点である。ランナーは早く帰りたいと思っているところで駅や駐車場から離れた公園に連れて行かれる。そこでB級グルメと称して参加時に配られた食券で注文するわけだが、遅く到着したランナーはほとんど売り切れとなっていてうなだれることになる。運営者が参加者やその家族に滞在時間を長くして世界遺産富士山をたっぷりアピールしたいためだと思うがランナーにとっては最悪だ。早くゆっくりしたいのだ。
最後は駅や駐車場に行くバスで長い列に並ぶことになる。もし雨が降っていたらどうなっていたかと心配に思うくらいの体たらくだった。

人の流れがスムーズでないのだ。東京マラソンのような大規模マラソン大会であっても人が流れていくのでストレスが少ないが、富士登山競走は走っている間から走った後、帰るまでどこかでひっかかる。
たとえばトライアスロンや自転車で当たり前のスタート時間を少しずつずらすような「ウェーブスタート」をすればよいと思う。3回くらいに分けるだけでずいぶん違うはずである。海外からも参加者がある大会である。私はもう参加しないが来年からの改善に期待します。

世界遺産の旅

2013-04-29 23:34:34 | Weblog
世界遺産の旅、、といっても大阪の中心地難波から特急で1時間半程度でいける手ごろな地である高野山。連休を利用してビューっと行ってきた。
高野山は「出張のついでに寄れる」観光地として新書で紹介されているのを読んだことがあったので、装備がなくとも楽しめると期待していた。
新書
行ってみるとびっくり。特急は途中で山の中に入っていくわけだが、終点の極楽寺まで来るとかなりの高度まで到達してくる。そこからバスに乗って10数分。ようやく旅のスタート地点に到達するわけだが、山の中と思いきや突然1つの町が現れる。町のなかはアップダウンがあるわけでもなく、普通の街中と間違えるほどである。
金剛峰寺やお寺周りをするとあっという間に時間が過ぎてゆく。そして旅の最後となる奥の院に行くとさらにびっくり。織田信長や豊臣秀吉などの戦国武将の「墓標」があるだけでなく、各企業の墓が競うように並んでいるのだ。

ロケットや珈琲カップを形どった墓石を見ていると、さながら札幌雪祭りの雪像を思い起こすほどであった。詳しくはわからないが世界遺産の地で訪れる環境客に対して企業広告のためであろうと思う。
関連のリンク

「高野山」というが高野山という山は存在しないらしい。この都市一帯を高野山と呼ぶことを事前に立ち読みしたガイドブックで知った。司馬遼太郎はこの都市を「宗教都市」と呼んだという。確かに一帯が独特のオーラに包まれている雰囲気があってすがすがしい気持ちになって帰ってくることができた。

関西には京都だけでなく気軽に行ける観光地がたくさんあってお出かけする場所に困らない。

人生あと何食たべられるか

2013-02-12 23:47:04 | Weblog
大前研一氏のツィッターをフォローしている。氏のつぶやきは経営コンサルらしく「上から目線」と受け取れるものがほとんどだが、ごくたまにハッと気づかれれるものもある。
1月18日のtwitterを引用する。
「30代の頃、松下幸之助さんと同じだけ生きたとすると、あと何回夕飯が食べられるのかと計算したら、1万8000食という答えが出たんです。有限だと思い知ったその時から、いいかげんに夕飯を食べないようになりました。「日経ビジネスアソシエ」(2010年12月21日)」

レコーディングダイエットに触発されて何を食べたか、いくら使ったかを記録している人は多いがこの先の人生で何食たべるかを考える人は少ないだろう。ちなみに計算すると1日3食すると年に1095食、18000食というと17年弱ということになる。30代のビジネスパーソンはゆうにその倍、つまり4万食を食べることになる。

さてこの4万食の内訳はどうなるか、確かに有限と考えるといい加減に選ぶのではなく後悔のないようにしなければ、という気になるのが不思議だ。
特に私の場合は平日の夕食は帰宅時間によって食べるものが大体決まってくる。例えば22時までならスーパーまたは弁当屋の弁当、それ以降なら牛丼屋かコンビニ、、。今年の目標は少しでも食材を買い込んで自炊すことだ。手間をかけなくても必要な栄養を摂る方法はたくさんあるはずだ。1095食のうち3割くらいを目標にしたいところだ。
もちろん外食を避ける理由は経済的なことを気にするわけでなく、できるだけ糖質を避けて高たんぱくの食事をすることで、スポーツ体型を維持するためである。

朝食市場が熱い

2013-02-03 22:43:45 | Weblog
最近各飲食店が朝食に力を入れているらしい。なるほどマックは無料キャンペーンやすきやの200円卵ごはんなど行ってみようかなと思わせる広告が最近目に付く。彼らが狙うのは客層の拡大とリピーター獲得であろう。普段行かない人が行くことによって新たな価値を発見しまた行ってみようかということになって、毎日通うようになれば1日300円程度であっても10日では3000円にもなるので、十分採算を取れるということだろう。
このようなわかりやすい客寄せとは一線を画すサービスが先週のWBSで紹介されていた。IKEAの取り組みである。週末の朝に1皿500円の朝食バイキングを提供することで、多くの客が朝から訪れているというのだ。しかも彼らは朝食を食べることが目的ではなく朝食後に家具を買い物していく。結果としてIKEAは週末午前中の稼働率を上げることに成功したというのだ。朝食を飲食業以外の小売が集客ツールとして使っていることは注目に値する。
別の業種にも応用できる手法ではないかと思う。
一般企業でも朝食を戦略的に活用することはできないか。例えば社員食堂を朝食営業してみるのだ。思い切って無料にし、営業時間は始業の前7時から8時半までとかとする。社員には朝食を食べさせて9時の始業までに「一仕事」することを促すのだ。早く出社すれば生産性向上にも寄与するはずだ。ランチを無料にするよりははるかに効果が高いに違いない。(ちなみに楽天の社食では朝食も営業しているらしいが。)
普段朝食を食べない人も旅先では朝食を食べるという人が多いという。無料というだけでなく朝食を食べることが旅の一部であるという意識が働いているからだと思う。出社した後に朝食を食べる習慣ができれば日本では一般的ではない朝食ミーティングなんていうのも根付くきっかけになるかもしれない。

松井の引退を思う

2013-01-20 21:59:44 | Weblog
年末のあわただしい時期に松井秀喜の引退が正式に発表された。率直にこのニュースを聞いたとき残念でならなかった。まだメジャーでやれる可能性もあったし、松井の姿が見られるのなら日本の球界に復帰してもファンに歓迎されると思ったからだ。私はイチローよりも松井のプレーに好感を持っていた。ホームランを打ってくれるのではないかというワクワクするような興奮を提供してくれていた。
さて、このニュースに際し、先週日経新聞のスポーツ欄に「日本人のメジャー挑戦」というテーマで豊田が泰光氏のコラムが載っていた。彼曰く日本人がメジャーに通用するかという視点で挑戦するのは一区切りにしよう、と説いている。必ずしもメジャーが野球の最高峰ではないと見ているのだろう。マリナーズの川崎を取り上げ「日本ならもっと多くファンを楽しませることができた」といっている。
しかし私はあえて日本人のメジャー挑戦する空気はなくならないで欲しい。日本の球界をもっとメジャーのノウハウを取り入れて欲しいと思うからだ。
野茂がメジャーで活躍することになって日本の球界が受けた影響は少なくない。プロ野球のカウントもボール→ストライクに順番が変わったし、球場のつくりもメジャーを意識したものになっている。選手の調整方法など細かいところでも多くをメジャー式を取り入れていることだろう。日本人がメジャーに行かなかったらなかった変化である。
メジャーはファンを楽しませるため、それによってビジネスとして成功するためであることは明らかであるが、業界を中心に運営されている日本の球界とはまったく異なると思うのだ。日本のプロ野球で即刻改めて欲しいのは、雨天中止を少なくしていわゆる「消化ゲーム」を極力少なくすることだ。メジャーでは雨が降っていても深夜まで止むのをじっと待っている。待つのが当たり前のように。
せっかくのシーズン終盤の盛り上がっているのにリーグ優勝からクライマックスシリーズまでタイムラグがあるせいでその後すっかり冷めてしまって、結果的に優勝チームがどこかさえも忘れかかってしまう。現に昨シーズンの優勝チームが巨人だったことをどれだけの人が知っていることか。「鉄は熱いうちに打て」とは言ったものである。
メジャーリーグを見ることに慣れればこの習慣も改められることだろう。政治と一緒でファンの声が一番強いはずである。

第3四半期までを振り返り

2012-09-30 23:26:31 | Weblog
2012年も9月を終え、残り1/4となった。週でいうと39/52が終わったことになる。個人的に9月までの成果を振り返ってみる。ランニングでは2年連続の「グランドスラム」を達成。サイクリングでは2回のロングライドイベントの参加、来週の吉野を合わせると3回。旅行では国内だけだが、京都や奈良の近場以外に富士登山や北海道、2度の九州旅行など結構行っている。アカデミックな分野では久しぶりに受けたTOEICで最高得点をマークしたことを除けば取り立てての成果はない。仕事はどうか。大きなプロジェクトにアサインされ、ほぼ9ヶ月間フルでプロジェクトメンバーとしてそれなりの役割を果たし、クライアントにも会社にも客観的に評価できる成果を残せたと思う。何よりこの4月で勤続15周年を迎えて、一つマイルストンを超えることができたという満足感を得られたが大きい。

こう並べると順調そうに見えるが、体感的には達成感を感じるには程遠い状況である、といってしまとぜいたくに聞こえるだろうか。ランニングの記録は伸び悩みが続いているし、新たにチャレンジしたいと思っているスポーツにも二の足を踏んでいる。2度目のトライアスロンも結局挑戦せずに終わった。仕事においても、もう少しレベルアップしたロールを担わなければならないというある種の危機感がある。
つまり一歩踏み出せないでいるのだろう。

このようなときは目に見える形で結果を残していくことが大事だと思う。特に週末の過ごし方が重要だ。残りの13回の週末をどのように過ごすか、いや、どのような結果が自分にとって理想なのかを考えてプランを考えるかを意識する必要がある。
ビジネスパーソンとしてはまだ中間点にも来ていないのだから、「逃げ切り」を考えるにはあまりに早すぎる。そう思うのはどう見ても逃げ切ろうとしている中年サラリーマンを多く見かけるせいであろうか。。台風で足止めされた週末、そのようなことに思いを巡らせた。