「アルピニスト」野口健氏の講演会に行ってきた。
彼はテレビ番組などで見ることは多かったが、講演を見に行くのは初めて
だった。
全国で講演しているだけあって、話がうまい。
登山から環境問題など途中に笑いをとりながら、様々な話題で会場を盛り上げ
いた。
ところで、「アルピニスト」という言葉。
講演の冒頭でこの言葉について話していたが、アルピニストとは登山家の
ことらしい。その中にゴミを拾うという意味は必ずしも含まれない。
登山をしながらゴミ拾いをするというイメージがつきまとっているので、
日常生活でも人の目が気になる、といって聴衆の笑いを誘っていた。
この講演は結局3時間にも亘る長時間だったのだが、富士山の清掃活動
の話が印象的だった。
富士山のふもとにある樹海に投棄されるゴミは、想像を絶するもの
らしい。注射などの医療機器など悪意のあるゴミが多いという。
これらのゴミを拾う活動の大変さは作業的なものだけでなく、精神的に
つらいという。
それらのゴミを捨てた人間の悪意が見て取れるからだ。
この話を聴いて次元の違う自分の仕事を思い起した。
私はIT業界で仕事をしているのだが、たまに人が作ったプログラムを
見ることがある。
コンピュータのプログラムというと、無味乾燥なロジックの世界と思われがち
であるが、実はその中には設計者の「想い」のようなものが詰まっている。
例えば、「支払先」という項目を入力する際に、間違ったコードを
選ばれることを避けるために、入力する度に自動的に画面が開いて、その支払先の
住所や口座番号を表示させる、という設計をしているプログラムを
見たことがある。
自動的に画面が開くので、設計者の思想として「きちんと確認しなさい」という
メッセージが込められているのだ。
一方で、プログラムを見るとがっかりすることも多い。
明らかに「事故」が内在していることがわかっていて作られているとしか
いいようのないプログラムになっているのだ。
これを富士山の「ゴミ」になぞらえるのは飛躍しすぎかもしれないが、
お金をもらってするプロの仕事にも関わらず、たくさんのゴミ(バグ)を
内在させたまま知らん振りということだ。
明らかな欠陥であれば、瑕疵責任ということで、治す必要があるが、
多くの場合は顧客のレビュー責任などと理屈をつけられることが多い。
このような事件に遭うたびに、がっかりした気持ちになる。
ちょうど野口氏が樹海でゴミを拾うときの気持ちに通じるものがあると思う。
「後で誰かがゴミ拾いしなければならないだろう」ということがわかっていて
やっている。
まさに「モラルハザード」だ。
例えばこんなことがあった。
ある値が「初期値」の場合、という設計書になっていた。初期値とは平たくいうと
空白のだが、このプログラムは文字通り日本語の「初期値」だった場合とプログラム
されていた。
これは極端な例だが、設計、開発どちらに問題があるかは別としても顧客の意図とは
明らかに異なるプログラムがたくさんあるのである。
ゴミ拾いはモティベーションを維持するのが大変である。
彼はテレビ番組などで見ることは多かったが、講演を見に行くのは初めて
だった。
全国で講演しているだけあって、話がうまい。
登山から環境問題など途中に笑いをとりながら、様々な話題で会場を盛り上げ
いた。
ところで、「アルピニスト」という言葉。
講演の冒頭でこの言葉について話していたが、アルピニストとは登山家の
ことらしい。その中にゴミを拾うという意味は必ずしも含まれない。
登山をしながらゴミ拾いをするというイメージがつきまとっているので、
日常生活でも人の目が気になる、といって聴衆の笑いを誘っていた。
この講演は結局3時間にも亘る長時間だったのだが、富士山の清掃活動
の話が印象的だった。
富士山のふもとにある樹海に投棄されるゴミは、想像を絶するもの
らしい。注射などの医療機器など悪意のあるゴミが多いという。
これらのゴミを拾う活動の大変さは作業的なものだけでなく、精神的に
つらいという。
それらのゴミを捨てた人間の悪意が見て取れるからだ。
この話を聴いて次元の違う自分の仕事を思い起した。
私はIT業界で仕事をしているのだが、たまに人が作ったプログラムを
見ることがある。
コンピュータのプログラムというと、無味乾燥なロジックの世界と思われがち
であるが、実はその中には設計者の「想い」のようなものが詰まっている。
例えば、「支払先」という項目を入力する際に、間違ったコードを
選ばれることを避けるために、入力する度に自動的に画面が開いて、その支払先の
住所や口座番号を表示させる、という設計をしているプログラムを
見たことがある。
自動的に画面が開くので、設計者の思想として「きちんと確認しなさい」という
メッセージが込められているのだ。
一方で、プログラムを見るとがっかりすることも多い。
明らかに「事故」が内在していることがわかっていて作られているとしか
いいようのないプログラムになっているのだ。
これを富士山の「ゴミ」になぞらえるのは飛躍しすぎかもしれないが、
お金をもらってするプロの仕事にも関わらず、たくさんのゴミ(バグ)を
内在させたまま知らん振りということだ。
明らかな欠陥であれば、瑕疵責任ということで、治す必要があるが、
多くの場合は顧客のレビュー責任などと理屈をつけられることが多い。
このような事件に遭うたびに、がっかりした気持ちになる。
ちょうど野口氏が樹海でゴミを拾うときの気持ちに通じるものがあると思う。
「後で誰かがゴミ拾いしなければならないだろう」ということがわかっていて
やっている。
まさに「モラルハザード」だ。
例えばこんなことがあった。
ある値が「初期値」の場合、という設計書になっていた。初期値とは平たくいうと
空白のだが、このプログラムは文字通り日本語の「初期値」だった場合とプログラム
されていた。
これは極端な例だが、設計、開発どちらに問題があるかは別としても顧客の意図とは
明らかに異なるプログラムがたくさんあるのである。
ゴミ拾いはモティベーションを維持するのが大変である。