「ウチの子、
いつになったら
やる気になるんだろう?」
明確な答えが返ってこない
と、わかっていても、
聞いてみたくなるのが親心。
元々ヤル気がない子はいない。
幼児の頃はいろいろなことに
好奇心旺盛だったのでは
ないだろうか。
それが成長とともに
外からは
見えにくくなるのが
ヤル気だ。
その中でも、
自分に自信が持てない子ほど
ヤル気がないように見える。
「やってもどうせできない」
「もともと頭が悪いから」
「今からやっても無駄」
もし、子ども自身が
こんなふうに思っていたとしたら、
ヤル気にならないのも頷ける。
それが大人からの一言、
特に親からの言葉が
原因の場合もあるので、
気をつけなければならない。
大人からすれば、
何気なく言ったことでも、
子どもにとっては
本気と冗談の区別がつかず、
言葉通りに
受け止めてしまうことがある。
一番近くにいる大人である親が
信用してくれていないと思ったら、
安心できる場であるはずの
家の中でも
気持ちが落ち着かない。
小学校高学年以上になると、
子どもは
家族とは違う外の世界に
関心が広がる。
自然に
親から自立しようとする時期が
思春期だ。
周りから指図されることを嫌い、
自分で決めたい
という意思が芽生えてくる。
しかし
未熟で非力な現実に直面し、
身体の変化も相まって、
様々なことに悩むようになる。
その反面、
「親には頼りたくない」
という自立のプログラムが働き、
反抗的な態度をとるようになる。
そして、
「親は私のことを
何もわかってくれない。
信用できるのは友達だけ」
などと
思い込むようになる。
親も
理由がはっきりしない
子どもの態度に苛立つ。
反抗期が
成長の過程だと分かっていても
言わなくてもよいことを
つい言ってしまい、
後悔するようなことが
日常的に繰り返されます。
野生の動物の多くは、
ある時期になると
あえてわが子と
離れるように行動する。
自然界で
生き延びるためには、
自分が食べるものは
自分で手に入れる。
そのためには、
自立させなければならない。
親には
そうした実行すべき
子育てのプログラムが
備わっている。
しかし人間の親は、
様々な理由で子離れできず、
我が子の自立を
阻んでしまうことがある。
自立させるということは、
その子のありのままの成長を
認めることである。
同じ年齢でも
成熟の度合いは異なるのだから
その子なりの成長を
認めてあげることが大切だ。
一人ではできないことでも、
時間をかけて
できるようになるまで
待ってあげる。
そうした中で
自分の力で
できるようになったとき、
子どもは
自信を持てるようになる。
ところが、
人から言われたことを
無理してやっているうちは、
自分事として捉えられないので
たとえうまくいっても
達成感が乏しい。
大人でも
仕方なくやらされている仕事は
自分で試行錯誤しながら
やり遂げたことに比べて、
心の底から楽しいとは
感じにくいのではないか。
この心の底から楽しい
と感じる経験こそが、
次も自分でやってみたい
というモチベーションに
つながっていく。
内発的動機とも言うが、
それこそが
本物のやる気を生み出す
原動力になる。
しかし、
そこには一つ
気をつけなければ
ならないことがある。
それは失敗したときの
大人の関わり方だ。
自らの意思で
始めたことであれば
失敗したときでも、
「自分ではこう考えたのに
どうして
うまくいかなかったんだろう」
と原因を考え改善しようとする。
ところがそこに
「ほらみなさい。
言ったようにやらないから
うまくいかなかったのよ」
というような
結果だけを評価する
対応をしてしまうと、
心が冷めてしまい、
意欲もなくなってしまう。
失敗は
成長には欠かせないプロセス。
大人になれば
なおさら失敗の大切さを
わかっているはずだが、
我が子のことになると、
「失敗してほしくない」
という気持ちが先行し、
うまくできる方法に
目が向きがちだ。
しかし
失敗を乗り越えて
達成できたときほど、
大きな自信につながる。
だからこそ、
多少の失敗や挫折は
必要なことだと
鷹揚に見守ることが、
自立を促し、
やる気を育むことに
つながるのだ。
頭では理解できるけど
実践するのは
なかなか難しいことでもある。
その点では
受験は
親も一緒に成長できる
機会だと言える。