写真日記, etc.

写真, etc. で綴るなんでも気儘にモノローグ

北欧4カ国の旅 (JTB旅物語)

2005-06-04 23:59:59 | Weblog
第3日目 6月4日(土)

ストックホルム市内観光

フィアールガータン市展望台より旧市街地を展望。 300年位、風景は変わっていないそうだ。日本だったらどう変えてしまっているのか。 この街は1600年代の建物が殆どで、修復をしながら昔の佇まいを維持している。 いかにも北ヨーロッパの風景を今に伝えており、風情のある街並みである。

港は小雨、はるばる持ってきた折りたたみ傘が役にたっている。
バスは海岸通りに沿って走り、女優イングリッド・バーグマン(ゲーリー・クーパーと共演の 誰が為に鐘は鳴る-For Whom the Bell Tolls- だったかな?)の生家のマンションの前を通過して市庁舎に到着。内部を見学。

ノーベル賞受賞者の晩餐会が行われる所だ。 「青の間」 が晩餐会場になる。 テーブルは特別なものではなく、普段普通に使われているものを使うそうだ。 中には破損しているものもあるがその上にクロスを敷くので別に構わないのだそうだ。 合理的な考えだが日本人には相容れないものがある。 晩餐会後のダンスパーティは 「黄金の間」 で開催される。 そしてこの黄金の間の上にはキッチンがある。 我々のグループの後に続々と観光客が入ってきた。 一番乗りだったのでゆっくりと見学出来た。

ガイドの説明の中に、行政監察官を意味する「オンブズマン」はここスウェーデンの言葉というのがあった。 英語ではないことを知らなかった。

旧市街地 「ガムラ・スタン」 をノーベルミュージアム広場など30分ほど見学。

時間に余裕が出来たので、バスのドライバーの取り計らいで新興住宅地巡りをすることになった。住宅の箱自体はシンプルでその中を各自で好きなように作り上げるのだそうだ。
そしてこの新興住宅地の中にこのドライバーの住宅があった。 住宅地は山の中にあり、道路も狭く、対向車は脇に待避しなければならなかった。 普通、他のガイドはここまで入ってきて観光案内はしないそうで住民からは 「またあのガイドのバスが入ってきた。」 と思われているだろうとそのガイドは言っていた。 何を隠そう、ドライバーはガイドと結託をし、自分の住宅をみんなに見せたかったのではと穿ったりもする。 まあまあ立派な住宅ではあった。

昼食は ”竹林亭”で中華。 期待したほどの味ではなかった。 天井には桜の造花が垂れ下がっていた。 日本人の来客を意識しての飾り付けだ。 雨はようやく上がった。

この後はオスロへの出発便の18時までは標準スケジュールは無し。 オプションで世界遺産のドロットニングホルム宮殿の見学がある。 最初は8組の参加希望だったが最終的に全員参加となり、バスはそのままドロットニングホルム宮殿へと向かうことになった。

13:10 ドロットニングホルム宮殿 (オプショナルツアー)
前宮殿が1661年末に消失後、王妃エレオノーラは建築家テッシンに新宮殿の建築を命じたが20年経っても完成せず、息子のニコデームが跡を継いだ。 ベルサイユ宮殿を模範としたが、戦争による財政難や持ち主の交代による様式変更などで混乱。 18世紀半ばに完成したが、1792年グスタフ3世あ付属宮廷劇場で暗殺されて以降、次第に寂れていった。 最終的に大規模な改修工事を終えたのは1960年代。 現在は国王一家が住んでいる。 衛兵が警護にあたっている。

15:20 アーランダ国際空港へ出発

18:05 オスロへ向けて take off
機内サービスでワインを2種類見せられ、どっちにしようかボトルのラベルを見つめていたら、2本とも渡された。 この時初めて黒人女性が好きになった。

19:00 オスロ到着
空港には明日の現地ガイドの純子(字不詳)さんが出迎えに来ていた。 JTBのガイドのお友達らしい。 嬉しそうに純子さん、純子さんと言っていた。 ノルウェー在住40年のベテラン。 現地の人と結婚している。 濃紺のユニフォームがよく似合う。 近づいてみるとやっぱりそれ相応に見えた。
ホテルに着いて、純子さんから明日の予定について、レクチュアがあった。 この場所はもとは空港の敷地だったのだそうだ。 話し方が丁寧過ぎて妙な感じがした。 「・・・ですのよ。」 が印象的。 もとはお嬢様だったのか。 「日本語を勉強させて戴きました。」 というグループ仲間も出る始末。