よもやまカンボジア

カンボジアの日本語学校で起こった不思議な出来事を…。

砂利を集める人々

2006-07-08 12:47:10 | Weblog

引っ越してきた当時未舗装だった道路も、工事が始まりだいぶよくなってきた。今、砂利道までたどりついた。あとはアスファルトを流せば完了といったところだが、車が来る気配はさっぱりない。土道から石、そして、少し小さめの砂利というところまでは、運よく進んできたのだが、工事ももはやこれでストップか。一気にアスファルトまで行くかなと思っていたが残念な限り。でもあの土道のすごいホコリの日々を思えば、今では何倍もましか。道路工事の過程で忘れられない光景がひとつ。土の道からごろごろとした石がひかれた日のこと、朝、学校の門を開けると(朝5時!)、なんとそこには道路に敷かれた石をあつめる人々の姿が。さすがにこれにはびっくりした。みんな道路にしゃがみこんで、石を必死に集めていた。なんでもなくなるカンボジアだが、道路の石までもっていく根性はさすが。それにしても、近所中がみんな朝っぱらから道に出て、一心不乱に石を集めていたあの姿はちょっと恐かった。

七夕

2006-07-07 11:49:12 | Weblog
今日は七夕。ひさびさに学生と七夕飾りを作ってみた。学生は興味がある人と、ない人と半々といったところか。でもなんだかんだと、飾りを作ったり、短冊を書いたりと楽しそう。子供のころに作った飾りを何年?何十年?ぶりかで作ってみる。意外に手は覚えているもので、次々と飾りができあがり、ひさびさに見てみるとなかなかきれい。今思えば、私の小学校はこういう行事にかなり力が入っていたのだなと、改めて思う。たぶん美術の先生が熱心だったのだろう。小学校の6年間を通して、かなりいろいろな飾りを作ったものだ。まあ、日本人なら幼稚園や小学校で、家庭で、誰もが一度はやったことがあるだろう。しかし、ここはカンボジア。折り紙ひとつ折るにしても、きれいに折るのはなかなか大変。たかが折り紙、されど折り紙。日本の教育、おそるべしである。

それにしても、あらためて短冊を前にすると書くことがうかばない。もちろん考えればいくつかは思い浮かぶけれど、子供のころのように心から純粋に「~なりますように!」というお願いがないのは、なんだか悲しい。これも年をとったということか。「~なりますように」と書いたところで、なんだか気恥ずかしく、かなうはずがないことも知っている大人という生き物。「~したい」なら、言うより先にやればいいのではないか?それなりの努力をすべきではないか?と冷静な私が警告を鳴らす。だから、それを承知でお願いだけをさらさらと書くのも気がひける。

子供のころのように、素直な気持ちで書ければと思うが、それはいささか難しい。少し残念だが、それはそれで仕方がない。これが年をとるということか。時間ばかりはもどすことができないので、事実をうけいれるしかないだろう。子供のころももちろんよかったが、大人の時間もそれなりにいいものである。カンボジア人の学生を見ていると、ある程度の年がいった子たちも、けっこう真剣に書いている。こうした純粋さはときとしてはマイナスにもなるだろうが、少しうらやましくも思う。はたして今夜は晴れるだろうか?