よもやまカンボジア

カンボジアの日本語学校で起こった不思議な出来事を…。

来たくて来ている人と来たくないけど来ている人

2006-02-01 16:12:44 | Weblog
旅行者はカンボジアへ来たいから、遊びに来る。アンコールワットを見たい、アジアを放浪したい、タイのついでに寄って見る、理由はともあれそれなりの時間があり、お金があり、余裕があって、来たいから来る。日本語教師である私も自分で求人を見て応募し、ここへ来ているのでまあ好き好んでこの地に来ているうちの一人だろう。嫌なら別に帰ればいいわけで、そもそも来たくないなら、応募しなければいい。

ここプノンペンにも意外に日本人は多く、いろいろな日本人がいる。いろいろな志をもって活動しているNGO職員や国際機関の職員、研究者、留学生といった人たちも、多かれ少なかれ、自らチョイスしてきているわけだから、まあいいだろう。青年海外協力隊もしかり。もちろんカンボジアが好きでこちらに来ている人も問題ない。なかにはいわくつきの理由がある人もいるだろうが、その人たちも何らかの理由があってここにしかいられないのだから、まあ仕方がない。

でも、一方で同じ日本からカンボジアへ来ている人でも駐在員やその家族など、必ずしも自ら欲してこの地に来ている人ばかりではない。もちろん人によってさまざまな背景があるだろうが、おそらく上からの辞令では、基本的に選択の余地はないだろう。私も日本のサラリーマンをやっていたので、そこらへんはわかる。最近は制度もかわりつつあるだろうが、ここカンボジアへ駐在員を置くような大きな会社はやはりまだまだ日本体質がぬけていないに違いない。そのうえその家族と来たら、お父さん(お母さんもまれにある)の仕事の都合で何もわからないままやってくる。奥さんはもちろん、子どもに選択の余地はほとんどない。

薄給の私たちに比べればその人たちの生活は豪華アパートメントやヴィラでの、運転手付きの夢のような生活だが、それは私たちが来たくて来ているからこそ、うらやましい生活であって、しぶしぶ来ている人にはいくらメイドやコック、運転手がいても、やはりつらい生活はつらい生活であろう。意外にもこちらの生活になじんでいる人、楽しんでいるの人もいるにはいるが、会社の命令である以上、あきらめている人、任期の間はがまんする人など、人によっていろいろあるだろうが、やはり自ら来ている私に比べれば大変なことが多いに違いない。アメリカやヨーロッパ、アジアでもバンコクやシンガポールならいざ知らずここカンボジアでの生活は現代においてもいろいろ大変であろう。ここ数日「沈まぬ太陽」(山崎豊子著)を連日深夜まで読みふけりつつ、僻地への赴任は大変だろうなあとしみじみ思う今日このごろ。