1976年2月に アマチュア無線メーカーのヤエス社から販売され始めた FRG-7という通信型受信機を購入する決心をした。家に届いたのは5月初旬だった。
中学3年生の中坊の分際での貧困家庭では 1万円のラジオも親から買ってもらえず家業の手伝いをして地道に小遣を稼いでいた。
BCLラジオは1975年12月に1万5千円を握り締め 東芝のRP-1600Fを買いました。
その後 どうしても RP-1600Fでは物足りないとこが判明。
外部アンテナ端子が無い。12MHZまでしか受信できない。BFOが無いのでSSBが複調できない・・・などで 通信型受信機の購入を大決断!
当時 友人のKM君はR-300好み、NS君はSSR-1派。私はアマ無線を目標に八重洲派のようだったが 私以外は 別の趣味 ギター オーディオ・・・などへ変わっていった。
購入の際 当時の ”ラジオの製作誌”には 受信機の月賦での購入方法が記載されていて 未青年の分際で 親の承諾をもらい 3年近いクレジットを組んでいただいた。
しかし・・・これで2日に1回の牛乳配達の家業のバイトは高校2年生終わりまで続くのを覚悟・・・で 5KHZ直読の初期型 FRG-7をGETできた。
購入店では いろんなおまけをサービスしてくれた。逆Lアンテナやアドカラーのベリアルバム、BCLログ帳、アルバム、レポート便箋など付けてくれた。
FRG-7受信機本体は 使いやすく RP-1600F では受信できないハイバンドや ドイチェベレの待ちうけ受信や スリランカ、バチカン放送も受信できた。感激であった!
以来10ヶ月くらい 高校受験まではBCLというより国内中波受信やアマ無線のワッチなどで高級機を堪能していた。
しかし 高校生活が始まり BCLというより オーディオ系に興味が走り 頂いた入学祝を貯めて 8万円くらいのテクニクスのシステムコンポを購入。
音楽が好きになったのも BCLで海外POPSを聴くようになってからである。
段々 FRG-7の活躍も無くなりつつあって 高校二年になり まだ月賦中の同機を 私は 売りに出し JA8エリヤの局からの買い注文を受けたが 私のFRG-7は購入して頂く予定だった方の都合でまた出戻りになってしまい以来 1982年頃まで現役で活躍。
よっぽど我が家が気に入ってたかな?なんて思う。
大学時代 アマ無線免許を取得前に 南米方面や アフリカのキャピタルラジオも受信したりできました。南米方面を受信するのに ナローフィルターに交換したり 測定器無しで感度調整を行い 性能劣化もあり1990年から現役を退き 最近2007年にジャンク扱いでも 15Kくらいの高価で手元からQSYしていきました。
その後 昔のRXの感動を思い出し 旧BCLラジオなどと ともに 程度の良い FRG-7を再度GETでき(Fチューニング付きの後期型) 現在は 短波の日本語放送や中波BCLで楽しんでいます。