昨年の4月18日の記事で「インド-経済の歪みと共産主義」と題し、隣国ネパールから「マオイズム」(反政府武装組織・共産党毛沢東主義派)が密かにインドに「輸出」されていることを紹介した。
具体的にはインドの東部を中心に、ビハール、ジャルカンド、チャッティスガル、オリッサ、アンドラ・プラデシュ、マハーラーシュトラなどにおいて「毛沢東主義」を標榜する武装共産主義勢力が跋扈し、シン首相自らが懸念と警告を表明するにいたったこと、地域名をとって「ナクサリズム」と呼ばれるこの思想の根底にはインドの貧困があること、死者は昨年の1~3月で235人に上っていることを述べた。
その後、この問題についてはECONOMIST誌などが詳細を紹介していたが、つい最近FT紙に最新情勢が記載されたので紹介したい。
http://www.ft.com/cms/s/e51671b6-d362-11db-829f-000b5df10621.html
(3月16日FT電子版より以下抄訳)
資源豊富なチャッティスガル州で、左翼過激派により少なくとも50名の警官が殺害され、インドの経済成長の地域不均衡が浮き彫りになった。
この虐殺では南部のビジャプール地区の警察キャンプに手榴弾や火炎瓶が数百人のマオイストによって投げられた。同地区は繰り返しナクサ主義者(インド東部を中心に反資本主義を掲げて武装襲撃を行うグループ)の攻撃を受けている。
この騒擾は、西ベンガルにおいて警察が経済特別地区(インドネシアのサリムグループの化学工業コンビナート建設計画)のための土地収用に反対する村民に対して発砲したことへの報復とみられる。この事件では少なくとも14名の村民が死亡、70名が負傷したとされる。村民の背後にマオイストがいるとして警察が弾圧したのだ。
香港の人権擁護委員会のバジル・フェルナンドは「これがイギリスを非暴力運動で排斥した同じ国か?」と疑問を投げかけている。
西ベンガルにおける暴力は1977年の(マルキスト)インド共産党が治める州の野党に対するものがその始まりである。同共産党は過去の脱産業化を反転させるべく、投資を活発に誘致している。
バラティア・ジャナタ党に近い「パイオニア」紙によると、西ベンガル州首相ブッダーデブ バッタチャルジーは、天安門事件の小平にインスピレーションを喚起され、虐殺をけしかけているという。 インド政府紛争管理庁のアジャイ・サフニ局長は、「マオイストは西ベンガルのタタ・モーターの特別経済区のプロジェクトなどの反対運動に主要な役割をしているが、中央政府の認識は甘い」という。
インド国内ではこうした左派過激派の騒擾は全602行政区のうち14州165行政区に及ぶ。
シン首相は昨年ナクサ主義運動に触れ、同主義の指導者がインドが革命的状況にあると規定していることに触れ、インド建国以来最大の憂慮すべき治安状態にあるとした。
紛争管理庁によれば、ジャムアンド カシミールのテロは12自治区に影響を与得ているのに対しインド北東部のこの地域の騒擾は50自治区に影響を与えているという。
ちなみに首相が虐殺を公認しているとされる西ベンガル州だが、「左翼戦線」ということで日本共産党がかつてその選挙での勝利や志井委員長の首相訪問を「赤旗」で大きく取り上げていた。この党は未だにカンボジアのポルポトや中共の毛沢東のしてきたことから何も学んでいないようだ。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-05-12/2006051201_05_0.html
http://www.shii.gr.jp/pol/2002/2002_12/2002_1226_1.html