次世代総合研究所・政治経済局

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東京都議会議員は特権に居直るな

2007年03月02日 23時21分11秒 | Weblog
 議員特権コンテスト(「なくそう!議員特権 つながろう!みどり・共生・平和の市民派議員キャンペーン2007」(事務局・東京都小金井市)主催)
で都議会がワースト大賞をとった。
http://www.sankei.co.jp/shakai/wadai/070209/wdi070209008.htm

 2位は政務調査費とは別に当選1期目は60万円、2期目以上は120万円を上限に海外視察の実費を支給している横浜市議会、3位は埼玉県議会だという。

 統一地方選を意識して、横浜市議会では市議に支払われている費用弁償(本会議や常任委員会、特別委員会などに議員が出席した際、交通費や諸雑費を補てんする制度。同市会では二〇〇六年度、一人につき日額一万円支払われている)の廃止を盛り込んだ条例の一部改正議案が市会本会議に議員提案され、同弁償は二〇〇七年度から廃止となる。
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiifeb2010/

 
神奈川県議会でも費用弁償(県議の居住地に応じて一日につき一万二千円から一万四千五百円の六段階の定額制で支給)について、全国の都道府県議会で初めて交通費実費のみの支給に大幅削減され、政務調査費問題をはじめ議会改革について話し合う検討組織を設置こととなった。
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiifeb324/

 一方、統一地方選に無関係の東京都議会ではワースト1などどこ吹く風だ。

 私が民主党の国会議員政策秘書をしていたとき、同党所属の都議会議員が「政務調査費を公開しろなどというとんでもないヤツがいる。俺は生活のタメに議員をやっているんだ。」と放言していた。

 とにかくコイツラ、130人もいるのだが、せめて4分の1に削減したらどうか。

『硫黄島からの手紙』はアカデミー賞落選して良かった 

2007年03月02日 01時54分42秒 | Weblog
映画『硫黄島からの手紙』がアカデミー賞候補にノミネートされたということで随分とマスコミが騒いでいたようだ。
http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/academy.html
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20070226i408.htm

 私は他のノミネート作品を見ているわけではないので何ともいえない部分もあるが、少なくとも『硫黄島からの手紙』は作品、監督などの部門で受賞する作品とは言いがたい。

 まず、この作品には「芸術性」がない。あるのは断片的な事実の恣意的な縫合である。

 映画の感動には「世界性(世界観)」と「人間性(人生観)」が必要だ。すなわち、1個の人間を取り巻く時代や世界の必然性とその中に生きる主人公の人生観(生き様)が見事に描ききられることが必要不可欠なのだ。

 思うに、硫黄島の決戦はこのための舞台装置としては十分だったと思う。しかし、残念ながら米国人の監督は探究心が少なかった。憲兵や上官の横暴さ、玉砕作戦の理不尽さが描かれているが、断片的な事実の寄せ集めになっていて、それが戦争そのもの、あるいは日本陸軍の度し難い体質の理不尽さにまで迫っていない。

 また、歴史考証にも難がある。例えば、映画の中では、歴史上日本軍の中心的存在であったはずの下士官(兵長、伍長、軍曹、曹長)らが全く出てこない。出てくるのは兵と大尉以上の指揮官だけである。大尉が鞭を振るって兵を作業させている場面が出てくるが、旧日本軍の人々はこんな事実がなかったのなら抗議すべきではないだろうか。

 また、栗林中将が硫黄島に赴任する際に勲章をゴテゴテと着用しているのはいかにも不自然だ。更におかしいのは栗林司令官が参謀肩章(金モール)を着用している点である。参謀でもない者がどうして肩章をしているのか。太平洋戦争時、首相兼陸相の東条英機が参謀肩章をしていたのは参謀総長を兼任していた(しかも参謀総長の職の遂行時のみ着用)からである。

 折角のよい題材であったのに十分に感動性を引き出せなかったのは監督の不勉強による。日本人監督によるリメイクを望みたい。