次世代総合研究所・政治経済局

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内乱化するインド

2007年03月18日 17時19分31秒 | Weblog
昨年の4月18日の記事で「インド-経済の歪みと共産主義」と題し、隣国ネパールから「マオイズム」(反政府武装組織・共産党毛沢東主義派)が密かにインドに「輸出」されていることを紹介した。

 具体的にはインドの東部を中心に、ビハール、ジャルカンド、チャッティスガル、オリッサ、アンドラ・プラデシュ、マハーラーシュトラなどにおいて「毛沢東主義」を標榜する武装共産主義勢力が跋扈し、シン首相自らが懸念と警告を表明するにいたったこと、地域名をとって「ナクサリズム」と呼ばれるこの思想の根底にはインドの貧困があること、死者は昨年の1~3月で235人に上っていることを述べた。

 その後、この問題についてはECONOMIST誌などが詳細を紹介していたが、つい最近FT紙に最新情勢が記載されたので紹介したい。

http://www.ft.com/cms/s/e51671b6-d362-11db-829f-000b5df10621.html
(3月16日FT電子版より以下抄訳)

 資源豊富なチャッティスガル州で、左翼過激派により少なくとも50名の警官が殺害され、インドの経済成長の地域不均衡が浮き彫りになった。

 この虐殺では南部のビジャプール地区の警察キャンプに手榴弾や火炎瓶が数百人のマオイストによって投げられた。同地区は繰り返しナクサ主義者(インド東部を中心に反資本主義を掲げて武装襲撃を行うグループ)の攻撃を受けている。

 この騒擾は、西ベンガルにおいて警察が経済特別地区(インドネシアのサリムグループの化学工業コンビナート建設計画)のための土地収用に反対する村民に対して発砲したことへの報復とみられる。この事件では少なくとも14名の村民が死亡、70名が負傷したとされる。村民の背後にマオイストがいるとして警察が弾圧したのだ。

 香港の人権擁護委員会のバジル・フェルナンドは「これがイギリスを非暴力運動で排斥した同じ国か?」と疑問を投げかけている。


 西ベンガルにおける暴力は1977年の(マルキスト)インド共産党が治める州の野党に対するものがその始まりである。同共産党は過去の脱産業化を反転させるべく、投資を活発に誘致している。

 バラティア・ジャナタ党に近い「パイオニア」紙によると、西ベンガル州首相ブッダーデブ バッタチャルジーは、天安門事件の小平にインスピレーションを喚起され、虐殺をけしかけているという。 インド政府紛争管理庁のアジャイ・サフニ局長は、「マオイストは西ベンガルのタタ・モーターの特別経済区のプロジェクトなどの反対運動に主要な役割をしているが、中央政府の認識は甘い」という。

 インド国内ではこうした左派過激派の騒擾は全602行政区のうち14州165行政区に及ぶ。

 シン首相は昨年ナクサ主義運動に触れ、同主義の指導者がインドが革命的状況にあると規定していることに触れ、インド建国以来最大の憂慮すべき治安状態にあるとした。

 紛争管理庁によれば、ジャムアンド カシミールのテロは12自治区に影響を与得ているのに対しインド北東部のこの地域の騒擾は50自治区に影響を与えているという。

 ちなみに首相が虐殺を公認しているとされる西ベンガル州だが、「左翼戦線」ということで日本共産党がかつてその選挙での勝利や志井委員長の首相訪問を「赤旗」で大きく取り上げていた。この党は未だにカンボジアのポルポトや中共の毛沢東のしてきたことから何も学んでいないようだ。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-05-12/2006051201_05_0.html
http://www.shii.gr.jp/pol/2002/2002_12/2002_1226_1.html




勝海舟の遺訓(アジアにおける日本考2)

2007年03月18日 03時02分42秒 | Weblog
先日のブログ記事(アジアにおける日本考1)で後藤田正晴(元副総理・法相・官房長官)のコメントを引用した。

 昨日のTBS「ブロードキャスター」で外交コンサルタントで元首相補佐官(沖縄担当)の岡本行夫氏が6カ国問題での「日本はずし」を危惧していた。実際、6カ国協議は事実上の5カ国協議で、米国の経済制裁解除を目前にして金正日の高笑い、そして金桂冠外務次官のせせら笑いだけが耳につく結果となった。
 また、岡本氏はここ最近の「慰安婦」に関する安倍総理の発言の真意が結果として他国に正しく伝わっていないこともこうした流れと一致するものと述べていた。

 現在、日本国民の北朝鮮に対する嫌悪感、敵視姿勢は強まっているように思う。しかし、その発端は「1972年の「ニクソンショック」に続く「米国による梯子外し」を招いた外務省の外交の拙劣さ、「外交」の名に値する交渉ができない日本政府首脳の無能さに起因するものではないだろうか。

 そもそも外交において「梯子外し」などは日常茶飯である。にもかかわらず「イラクで日本は米国の手伝いをしたのだから拉致問題でもきっと味方になってくれるはず」という稚拙な予定調和的な発想が政府内に存在していることが諸悪の根源なのだ。結果として北に対する敵愾心を高めるとは自縄自縛というもので二重の誤りを犯している。

 これについて思い出されるのは明治期の日本の対アジア戦略である。日本人がほぼ揃って支持していた日清戦争に対し、旧幕臣で明治政府のご意見番でもあった勝海舟は一環して反対していた。

 そもそも台湾出兵のころから一貫して清との戦争に反対していた海舟は、下関条約で遼東半島を伊藤博文や陸奥宗光が要求することにも反対、三国干渉を歓迎した。そして、遼東半島には講和で得た賠償金で清やロシアと共同で鉄道を敷設し、旅順港を東洋発展の拠点港とすべきだと主張していたのだ。

 海舟は欧米のアジアへの侵略に対してアジアが結束して対抗するという基本理念を堅持しており、伊藤、陸奥、福沢らの姿勢に反対していた。福沢が「脱亜論」によって日本のアジア支配を正当化したことはあまりにも有名である。

 しかし、海舟のように三国干渉をむしろ歓迎する人物は圧倒的少数であり、当時の世界情勢からして無理筋だった遼東半島の要求が却下された結果、「臥薪嘗胆」の掛け声のもと、日本国民はロシア憎しの感情に染まり、日露戦争へと突き進むことになるのだ。日露戦争で台湾以外にはじめて事実上の植民地である朝鮮半島を獲得した日本が韓国併合の次に触手を伸ばしたのが満州(中国東北部)、そして北支(中国華北部)であった。

 私には今回の6カ国協議は結果が「ニクソンショック」、そしてそれが「三国干渉」、の二番煎じになるような気がしてならない。まだまだ歴史から学ぶことも多いのではないだろうか。

「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として二度目は茶番(farce)として」(マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール 18 日』)

 最後に、戦前のジャーナリストで外交評論家の清沢洌(きよし)の『暗黒日記』昭和20年4月7日を引用する。
「日本は国際関係を見るのに極めて勢力均衡的(日本がソ連と近づけば米国はヤキモキして日本に手をのべてくる。日本が米国と和平工作でもやればソ連は日本のご機嫌権を取って来る、などという考え)で、それが特に右翼や軍人に多い。リアリスチックではなしにかえって自己独断的である。」