次世代総合研究所・政治経済局

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『硫黄島からの手紙』はアカデミー賞落選して良かった 

2007年03月02日 01時54分42秒 | Weblog
映画『硫黄島からの手紙』がアカデミー賞候補にノミネートされたということで随分とマスコミが騒いでいたようだ。
http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/academy.html
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20070226i408.htm

 私は他のノミネート作品を見ているわけではないので何ともいえない部分もあるが、少なくとも『硫黄島からの手紙』は作品、監督などの部門で受賞する作品とは言いがたい。

 まず、この作品には「芸術性」がない。あるのは断片的な事実の恣意的な縫合である。

 映画の感動には「世界性(世界観)」と「人間性(人生観)」が必要だ。すなわち、1個の人間を取り巻く時代や世界の必然性とその中に生きる主人公の人生観(生き様)が見事に描ききられることが必要不可欠なのだ。

 思うに、硫黄島の決戦はこのための舞台装置としては十分だったと思う。しかし、残念ながら米国人の監督は探究心が少なかった。憲兵や上官の横暴さ、玉砕作戦の理不尽さが描かれているが、断片的な事実の寄せ集めになっていて、それが戦争そのもの、あるいは日本陸軍の度し難い体質の理不尽さにまで迫っていない。

 また、歴史考証にも難がある。例えば、映画の中では、歴史上日本軍の中心的存在であったはずの下士官(兵長、伍長、軍曹、曹長)らが全く出てこない。出てくるのは兵と大尉以上の指揮官だけである。大尉が鞭を振るって兵を作業させている場面が出てくるが、旧日本軍の人々はこんな事実がなかったのなら抗議すべきではないだろうか。

 また、栗林中将が硫黄島に赴任する際に勲章をゴテゴテと着用しているのはいかにも不自然だ。更におかしいのは栗林司令官が参謀肩章(金モール)を着用している点である。参謀でもない者がどうして肩章をしているのか。太平洋戦争時、首相兼陸相の東条英機が参謀肩章をしていたのは参謀総長を兼任していた(しかも参謀総長の職の遂行時のみ着用)からである。

 折角のよい題材であったのに十分に感動性を引き出せなかったのは監督の不勉強による。日本人監督によるリメイクを望みたい。


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