台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

801 ブログ801  久しぶりに夢を

2013-10-23 15:32:45 | 台湾
昨日、と言うより2013年10月23日か。今日の夜中に夢を見ました。
とても良い夢でした。
私の息子が小学校に上がっていました。小学校一年生。
元気に学校生活を楽しんで居る姿を見ることができました。
家族全員元気に生活していて、わたしも、ギャンブルに塡っていないようでした。
家族を大切にせねばと言う思いが、この夢を見させてくれたのかもしれません。
 本当に久しぶりです。
いつの頃からか、余り夢を見ませんでした。それどころか、寝不足だったり、起きぱなし・・・・。生活のリズムを崩していたからかもしれません。
 健全な夢でしたが、いつの間にか目が覚めてしまい・・・。とても、残念ですが。
それでも、息子の顔を見られたのは、とても嬉しいことです。
 息子の話は、以前に書きました。
ここでは、書きません。

 人とひとは「縁」で繋がっています。
どういう人と「縁」を結ぶかは、人生の大切な選択です。
妻のことは、何度も書きました。彼女のお陰で今日の私があります。
台湾で生活して、思うことは、彼女への感謝の気持ちです。
いつかくると思うが、・・・。当分、「台湾に来る」ことは、ないようです。

 子供とは、「血」で繋がっています。
「血」とは、不思議です。子供への愛は、自然に湧いてきます。
それは、「血」だと思うのです。男より女の人の方が「血」が濃い様に思います。

 夫婦は、他人ですが、私は、今は、良い奥さんを貰ったという想いで一杯です。
「おしん」の旦那さんといっしょ。しっかり者の奥さんには、少し駄目な旦那。
世の中は、バランスを取る物です。両方で、しっかり者は、失礼ですが、「どこか」に落とし穴がある物です。世の中計算通り行かない物です。
そりゃ、そうだ。計算通りいっていれば、現在私は、台湾には、いない。今頃、・・・をやっていることだろう。これも「運命」。
 
 「運命」「寿命」とかは、信じています。
いつか、私の 「運命」「寿命」が尽きる時がきます。
それまで、適当にブログ書いて過ごします。
 今日、「夢」ありがとう。
再見。

800 ブログ800  生徒にとって一番イイ先生は。

2013-10-23 15:26:48 | 台湾
わたしは、そんなに良い先生ではありません。
私の知って居る人で、本庄市の先生をしているA先生は、とても良い先生です。
彼のスタンスは、いつも子供を励ます立場。
子供がんばりを応援しています。
勉強でも、部活動でも、生活指導でも・・・。いつも、生徒を励ましています。
彼は、生徒の悪口を絶対に言いません。生徒は、必ず、いい所があるというのが彼の信念。だから、彼から教わる生徒は、かれに親しみを込めて「A」ちゃんと呼びます。
彼もその呼び名が好きなようでした。A先生という生徒は、一人もいません。
いつも、生徒の立場を貫きます。たとえ、校長であろうが、教頭であろうが、生徒のためにならない規則は、反対します。当然と言えば当然なのですが、「世の中」の多くの教師は、校長・教頭のいいなり。信念がありません。事なかれ主義。
 そう言う教師が多い中、彼は、いつも自分の信念を貫きます。
もちろん、生徒を叱るときもあります。怒鳴るときも、けど、彼に逆らう生徒は、いません。生徒は、今日なぜ起こるのか彼の気持ちがわかるからです。
 彼は、いつも朝早くから、夜遅くまで教師としての仕事をしています。
私は、彼の悪口を1度も聞いたことありません。私より、六歳ぐらい若い。現在55歳ぐらい。生涯一教師をつらぬくと思われます。
 こういう先生が増えれば、日本の教育も、捨てたもんではありません。
Aさんの家に伺ったことがあります。どうしてですか?
それは、彼に教えて貰うため。どのようにしたら、地域に入ることができるか?
かれは、言いました。
「自分の自然の姿を見せるだけ。」「普段の姿をみせるだけ」そこには、気負いも何もありません。
 彼自身、もう生まれついての教師なのです。それは、彼の家族と会ってわかりました。
お母さんも、お父さんも同じ顔していました。
いつも「笑顔」。奥さんまで同じ顔「笑顔」
この人にこの家族有り。
 さすがと思いました。彼がどういう家庭に育ったか、一目でわかりました。
現在有るのも、この親のお陰。
 何一つ不思議なことは、有りません。
「教育は、ひとです。」
良い物にするのも、悪くするのも人。
 あなたは、どんな良い先生に出会いましたか。
それが人生を決めることもあります。
再見。

799 ブログ799 日本の英語教育について

2013-10-23 15:22:24 | 台湾
私は、中学校、高校、大学と七年間、八年間英語を勉強しましたが、全然しゃべれません。日本の教育のせいには、しません。
余り英語が好きでなかっただけです。
だって、ヒーとシーの区別が中々付かなかった。東京下町の為もありますが、英語の素質がなかっただけです。素質がない物をどんなに頑張っても中々身につきません。
 私たちの時代は、「英語」は、高校受験の手段、大学受験の手段で、それ以上もそれ以下もありません。だから、英文解釈、英文法、英作文等等一生懸命勉強しました。
ただの記号のような物です。単語をたくさん覚えて、試験の手立て・・・。
 話すこともできない英語。ただ覚えるための英語。だから、実用したことは、ほんの少しです。今思うと、もったいない気もしますが ・・・・。
 私たちの時代は、それで良かった。「英語」を話す機会は、そんなにありません。
アメリカ映画を見るときぐらい。アメリカ英語で英語を覚えた高校時代の友人も居ます。
彼の家は、自転車やさん。広告を貼らせる代わりに映画のただ券をもらい、それを使って彼は、年中自由に映画館へ行っていました。
 現在英語は、国際化のために、必須になって、小学校三年から勉強するようになりました。それも一つの方法。小さい頃から話せば、自然に身につくかもしれません。
自然ではありませんが、小さい頃に発音等を身につければ・・・・。
それと、余りテスト、テストで追い詰めない方が良いと思います。
テストをすると、「知識」となり、実用から離れてしまいます。
日本は、何でもテストしますが、「テスト」で計れるのは、知識量で。その人が英語が好きか、一生懸命しているか、内面的な物は、計れません。
 何でも大切なことは、外面ではなく、内面です。
もしかしたら、テストができなくても、「英語」が好きかもしれません。
テストは、かんたんなものでいい。難しいテストやると、「塾 」へ言っている人が有利になります。金持ちも、貧乏人も、同様になるような教育して欲しい。
 英語教育の早期化は、昔から言われていました。ただ、日本では、「英語」を使う環境がないだけです。現在は、有ると言えばあるかも・・・。会社勤めしたとき、海外の企業との取引で・・・。恐らく、企業の要請でうまれた教育内容です。
ま。それも時代です。ま。時代の流れを感じます。
 そりゃ、しょうがありません。時代遅れの人間ですから。
ま。台湾人も、『英語』を使う人が増えてきました。これも時代です。
では、さよなら。
時代遅れの人間より。