大きいバックを持って行ってきます。不安は、たくさんありました。兄の言うとおり、仕送りもなく大学生活出来るか?
何とかなる。 そんな想いで、堀切の家を出て、駅へ向かう途中。
その時、駅の近くの映画館から、寅さんの映画音楽が・・・。「ちゃちゃんしゃーしゃしゃん」そうだ堀切立つ前に「映画見ていこう。」映画見てからでも遅くない。
わたしは、二本立ての寅さんの「男は、つらいよ。」何だったか忘れました。
けど、寅さんの有名な台詞「故郷を離れるって言うのは、とても寂しい」と言う台詞が頭をよぎりました。この映画私の人生を変えたのです。
「ただいま」「えー治郎どうしたんだ。大学は、・・・。」
「おれ。高知の大学辞めた。」「東京の中央大学に行く。」国立の滑り止めに受けた中央大学へ。
中央大学へ。
目的は、教師になるため。
その為には、このドモリと闘わなくては、・・・。なんでたろう。吃音というは、なぜ?
どうしておこるのか。自分ではわかりませんでした。同じように単語を言おうとすると・・・。同じ言葉が続いてしまうのです。何なのかわかりませんでした。
だから。わたしは、余りみんなの前では離しませんでした。恥ずかしくて恥ずかしく・・・・。みんなが笑うのがみえるのです。
このままでは、教師したら、バカにされる。生徒に笑われる。
一大決心で。中央大学落語研究会へ入部。
入部試験は、有名な試験でした。あなたの知って居るお○●こと言う言葉を言えるだけ他の言葉で書きなさい。わたしは。同然。野坂の本を読んでいましたから。14・15個答えられました。晴れて、落研の仲間入り。
落研では、たくさんの出来事が起こりました。喧嘩ごっこ。飲み逃げ事件。アルバイトも紹介してくれました。三越デパートでマネキン店員。もちろん、当時三越というデパートは、日本最大の。だから。余りお金に困りませんでした。夏と冬。アルバイトすれば、有る一定のお金は、稼げました。一日、二千四百円から三千円。時給三百円ぐらいには成りました。八時間働けば、もう十分。大体、一年間の授業料は、6万円の時代。
国立で一万八千円。翌年、三万六千円の時代。大学の授業料も安かった時代。
これぐらいなら、アルバイトでも払えます。
喧嘩ごっことは、部員が他人同士になり、路上で殴り合う。もちろん、互いの了解があってのこと。そして、周りの反応を見るのが楽しみなのです。年中殴られ役。先輩が私を殴り、私は、助けを求める役。
殴る先輩は、I先輩。この人は、プロレス大好き人間。殴ることに快感が有るようです
ある時は、周りの人が本気だと思い、警察に連絡。パトカーに追われる目にも遭いました。飲み逃げ事件とは、5・6人で酒を飲み、最後の一人が、店員から、支払いを逃れるという無銭飲食。もちろん。捕まれば犯罪。翌日。一番の支払いに。あまり、捕まった人は、居ないようです。冗談とは言え、その時点で犯罪であることには、変わり有りません。
こんなことばかりしていました。もちろん。落語の稽古も一時間。毎日。月から、金曜日。土曜日もあったかも。当時は、週休二日ではありません。昭和46年のことです。
落語の方は、全然うまくなりませんでした。相変わらず、力が入りすぎ・・・。
ついオーバーな表現。与太郎の時なんか、よだれを流してしまい。
何とかなる。 そんな想いで、堀切の家を出て、駅へ向かう途中。
その時、駅の近くの映画館から、寅さんの映画音楽が・・・。「ちゃちゃんしゃーしゃしゃん」そうだ堀切立つ前に「映画見ていこう。」映画見てからでも遅くない。
わたしは、二本立ての寅さんの「男は、つらいよ。」何だったか忘れました。
けど、寅さんの有名な台詞「故郷を離れるって言うのは、とても寂しい」と言う台詞が頭をよぎりました。この映画私の人生を変えたのです。
「ただいま」「えー治郎どうしたんだ。大学は、・・・。」
「おれ。高知の大学辞めた。」「東京の中央大学に行く。」国立の滑り止めに受けた中央大学へ。

中央大学へ。
目的は、教師になるため。
その為には、このドモリと闘わなくては、・・・。なんでたろう。吃音というは、なぜ?
どうしておこるのか。自分ではわかりませんでした。同じように単語を言おうとすると・・・。同じ言葉が続いてしまうのです。何なのかわかりませんでした。
だから。わたしは、余りみんなの前では離しませんでした。恥ずかしくて恥ずかしく・・・・。みんなが笑うのがみえるのです。
このままでは、教師したら、バカにされる。生徒に笑われる。
一大決心で。中央大学落語研究会へ入部。
入部試験は、有名な試験でした。あなたの知って居るお○●こと言う言葉を言えるだけ他の言葉で書きなさい。わたしは。同然。野坂の本を読んでいましたから。14・15個答えられました。晴れて、落研の仲間入り。
落研では、たくさんの出来事が起こりました。喧嘩ごっこ。飲み逃げ事件。アルバイトも紹介してくれました。三越デパートでマネキン店員。もちろん、当時三越というデパートは、日本最大の。だから。余りお金に困りませんでした。夏と冬。アルバイトすれば、有る一定のお金は、稼げました。一日、二千四百円から三千円。時給三百円ぐらいには成りました。八時間働けば、もう十分。大体、一年間の授業料は、6万円の時代。
国立で一万八千円。翌年、三万六千円の時代。大学の授業料も安かった時代。
これぐらいなら、アルバイトでも払えます。
喧嘩ごっことは、部員が他人同士になり、路上で殴り合う。もちろん、互いの了解があってのこと。そして、周りの反応を見るのが楽しみなのです。年中殴られ役。先輩が私を殴り、私は、助けを求める役。
殴る先輩は、I先輩。この人は、プロレス大好き人間。殴ることに快感が有るようです
ある時は、周りの人が本気だと思い、警察に連絡。パトカーに追われる目にも遭いました。飲み逃げ事件とは、5・6人で酒を飲み、最後の一人が、店員から、支払いを逃れるという無銭飲食。もちろん。捕まれば犯罪。翌日。一番の支払いに。あまり、捕まった人は、居ないようです。冗談とは言え、その時点で犯罪であることには、変わり有りません。
こんなことばかりしていました。もちろん。落語の稽古も一時間。毎日。月から、金曜日。土曜日もあったかも。当時は、週休二日ではありません。昭和46年のことです。

落語の方は、全然うまくなりませんでした。相変わらず、力が入りすぎ・・・。
ついオーバーな表現。与太郎の時なんか、よだれを流してしまい。
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