パチンコ依存症の人を支えている人が書いているブログにコメントを何件かつけたのですが、これ以上他人のブログのコメント欄で書き連ねるのも気が引けますし、書かれるほうも話を終わらせたいようですので、トラックバックで色々と書いてみます(と思ったけど、トラックバック機能が相手先にないので、リンクをコメントに貼ってきました)。
まずはコメントしたブログの以下の書き込みには答えておきたいと思います。
元ブログは パチンコ依存症 パコ日記 出口(3)
>「実際のトモさんとパコさんには当てはまらないかもしれない」とお書きになっており、また実際当てはまっていようがいまいがどうでもいいとお思いのようですから、私もこれ以上いたずらに言葉を費やすのはやめておきましょう。
1:実際のトモさんとパコさんに当てはまるかどうか
実はコメントでは遠慮していたのですが(あれで遠慮かよ!と言われそうですが)、基本的にパコさんはもちろん、トモさんはさらに重篤な病気であるようにしか読めませんでした。もちろん違う可能性もありますが、焚き火を見て「あれは炎じゃなく、薪の上で赤い布がひらひらしている可能性を否定できない」程度のもんです。アディクションの専門家100人に読ませたら100人が「双方病気だな」と判断するでしょう。
2:当てはまっていようといまいとどうでもいいか
これはどうでもいいかというより、「当てはまってるけど、現状では誰が何を言ってもどうしようもない」と無力感を感じてるという事です。つまり「どうでもいい、じゃなく、どうにもならないよなぁ」です。「熱があって鼻水を出している人に"風邪だ"と言ってもそれを認めないうえに、どんどん熱が上がってふらるら状態になるのがはたからみえていても結局何も出来ない」といったイメージでしょうか。
きっとトモさんに「トモさんこそが重篤な病気」と言っても通じないのは明らかで、百万言を費やしてもそれを理解させることは出来ないでしょう。「だめんずウォーカー」の作者へのインタビュー記事の中に「あれを読んで"自分もだめんずかもしれない"と思う男はまともな男で、本物のだめんずは"ぎゃはははは、こんなやついねーよ"と笑う」という作者の体験談が思い出されます。人と言うものはただでさえ自分自身の行動の客観的な判断が難しいのですが、アディクションという病気はそれを促進するようです。アディクションの世界では自分自身の行動の問題点の認識を拒否する現象を「否認」と呼びます。
無駄とわかっていながら書いたのはどうして?と言われると、まあ「自助の事をよくわかっていないのに"GA依存"とかわかったようなこと書くな!」とカチンと来て脊髄反射的に書いたというのが真相です。この手の事に関する私の許容度が最近低下しているのが原因でしょう。
3:有効なアドバイスはないか?
「ありません!」では話にならないので、実行されるかどうかはともかくとして、
・「愛しすぎる女たち」を読む
・ギャマノンに出席する
・アディクションに強いカウンセリング施設に行って見る
あたりでしょうか。しかし「相手が現在受け容れられない提案は間違った提案である」という事を自助では言うのですが、その観点からすると上の提案も間違った提案なのかもしれません。
コメントに対する返答は以上。以下は考察というか随筆。
ギャンブル男とそれを助ける女という一般的な共依存の事例では、女性の方が問題の解決が難しいと感じます。なぜなら男はパチンコ依存で生活がままならなくなるという、誰が見てもはっきりとした症状を呈しているので助けの手が届く可能性はありますが、女性の方は「しっかりとした人助けまでするよい人」と評価されまさか問題を抱えているとは判断されないでしょう。
また、トモさんパコさんは恋人なのかどうか実はわからないのですが、恋人だとしたらまあ普通の共依存と言えますが、もし違っているのならよりトモさんの問題は深刻であるように思えます。
短い間のコメントのやりとりでありましたが、おかげで男女の心の違い、西洋と日本人の心の違い、ボランティアとアディクション、自助グループとボランティア等々、共依存に関係するいろんな事を考えるきっかけになりました。このへんもおいおいブログで少しづつ書くことにしたいのですが、「その前にアル症の件を書き上げろよ」という先祖の声が聞こえてきたりします(笑)。
まずはコメントしたブログの以下の書き込みには答えておきたいと思います。
元ブログは パチンコ依存症 パコ日記 出口(3)
>「実際のトモさんとパコさんには当てはまらないかもしれない」とお書きになっており、また実際当てはまっていようがいまいがどうでもいいとお思いのようですから、私もこれ以上いたずらに言葉を費やすのはやめておきましょう。
1:実際のトモさんとパコさんに当てはまるかどうか
実はコメントでは遠慮していたのですが(あれで遠慮かよ!と言われそうですが)、基本的にパコさんはもちろん、トモさんはさらに重篤な病気であるようにしか読めませんでした。もちろん違う可能性もありますが、焚き火を見て「あれは炎じゃなく、薪の上で赤い布がひらひらしている可能性を否定できない」程度のもんです。アディクションの専門家100人に読ませたら100人が「双方病気だな」と判断するでしょう。
2:当てはまっていようといまいとどうでもいいか
これはどうでもいいかというより、「当てはまってるけど、現状では誰が何を言ってもどうしようもない」と無力感を感じてるという事です。つまり「どうでもいい、じゃなく、どうにもならないよなぁ」です。「熱があって鼻水を出している人に"風邪だ"と言ってもそれを認めないうえに、どんどん熱が上がってふらるら状態になるのがはたからみえていても結局何も出来ない」といったイメージでしょうか。
きっとトモさんに「トモさんこそが重篤な病気」と言っても通じないのは明らかで、百万言を費やしてもそれを理解させることは出来ないでしょう。「だめんずウォーカー」の作者へのインタビュー記事の中に「あれを読んで"自分もだめんずかもしれない"と思う男はまともな男で、本物のだめんずは"ぎゃはははは、こんなやついねーよ"と笑う」という作者の体験談が思い出されます。人と言うものはただでさえ自分自身の行動の客観的な判断が難しいのですが、アディクションという病気はそれを促進するようです。アディクションの世界では自分自身の行動の問題点の認識を拒否する現象を「否認」と呼びます。
無駄とわかっていながら書いたのはどうして?と言われると、まあ「自助の事をよくわかっていないのに"GA依存"とかわかったようなこと書くな!」とカチンと来て脊髄反射的に書いたというのが真相です。この手の事に関する私の許容度が最近低下しているのが原因でしょう。
3:有効なアドバイスはないか?
「ありません!」では話にならないので、実行されるかどうかはともかくとして、
・「愛しすぎる女たち」を読む
・ギャマノンに出席する
・アディクションに強いカウンセリング施設に行って見る
あたりでしょうか。しかし「相手が現在受け容れられない提案は間違った提案である」という事を自助では言うのですが、その観点からすると上の提案も間違った提案なのかもしれません。
コメントに対する返答は以上。以下は考察というか随筆。
ギャンブル男とそれを助ける女という一般的な共依存の事例では、女性の方が問題の解決が難しいと感じます。なぜなら男はパチンコ依存で生活がままならなくなるという、誰が見てもはっきりとした症状を呈しているので助けの手が届く可能性はありますが、女性の方は「しっかりとした人助けまでするよい人」と評価されまさか問題を抱えているとは判断されないでしょう。
また、トモさんパコさんは恋人なのかどうか実はわからないのですが、恋人だとしたらまあ普通の共依存と言えますが、もし違っているのならよりトモさんの問題は深刻であるように思えます。
短い間のコメントのやりとりでありましたが、おかげで男女の心の違い、西洋と日本人の心の違い、ボランティアとアディクション、自助グループとボランティア等々、共依存に関係するいろんな事を考えるきっかけになりました。このへんもおいおいブログで少しづつ書くことにしたいのですが、「その前にアル症の件を書き上げろよ」という先祖の声が聞こえてきたりします(笑)。