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共依存について その1:従来の共依存の解釈

2007-04-13 13:07:07 | 共依存
パコのパチンコ日記の件で、改めて共依存について考えさせられたので、従来の共依存の考え方に関してと、今私が勉強している又吉先生の共依存の考え方に対する考察を書いてみたいと思います。

共依存になる人は非常にいい人が多いです。困った人を黙ってみてられない慈悲とボランティア精神に富み、社会的にも人格者として高く評価されるでしょう。

一方共依存の人の依存対象である「アルコール・薬物・ギャンブル等々の依存症者本人」は、飲む打つ買うで経済や肉体を破綻させ、場合によっては周囲の人を巻き込み苦しめます。明らかにやってはいけないこと(飲酒・ギャンブル・薬物等々)を繰り返すため、学習能力や意思の力の弱い人と見られますし、飲むため・ギャンブルをするため・薬を買うためには嘘やお為ごかしや果ては犯罪まで手を染めることもあり、社会的には落伍者、ダメ人間、しょうもない人と評価されるでしょう。

そして、共依存の人が一般的な依存症者のケアをする姿はある意味「マザーテレサかナイチンゲールか」であり、その献身的な姿は感動的ですらあります。
「そんなに素晴らしい人を病気と呼ぶとは何事か!」と第三者は感じるでしょう。また共依存症者本人も「ひどい!こんなに一生懸命なのに、何ていう誤解なのだろう」と感じるのはある意味当然です。

ただ、アディクションの治療という観点からは、この「世話を焼く」という行為そのものが依存症者の依存を継続させる力となり、治療の大きな妨げになるという事が多くの例から明らかになっています。
しかも世話焼き自体はしばしば他者から評価・応援されるもので(他者からの評価こそが共依存症者が最も欲しいエネルギー源であり、これを得るために世話焼きをやってるといっても過言ではないです)、それが問題行動であるというのはなかなか理解されません。これはACが「良い子として頑張ってしまう」病気であるのと似ていて、周囲から問題行動として認知されないのでケアが遅れてしまうのと良く似た構造と言えるでしょう。

さて、ここまでは従来の心理学でのアディクション治療の考え方です。

今私が勉強している又吉先生の理論にはそもそも「共依存」という考え方が希薄で、むしろ一般には共依存と呼ばれる状態を利用して、夫、子供、親子の関係を改善していく手法です。
次回は又吉先生の手法に関して書きます。

なお、共依存について知りたい興味があるという人は、本なら「愛しすぎる女たち」あたりが入門書となりましょう(文庫版も出てるし、古本なら安い)。
ネットでは 共依存 あたりがわかりやすい説明じゃないかと思います(たまたまパチンコに関して記述してるので、パコ日記からおいでの方も参考になるかも)。

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