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アルコール依存症は不治の病?その8:甘えと甘やかし

2006-05-23 12:54:53 | アルコール依存症
さて、アルコール依存症の説明(メカニズム)に関しては、この「甘え」と「甘やかし」の説明で一段落です。この概念を理解すると「共依存」の意味もおのずと判明するというありがたい(笑)理論です。

甘える(甘えさせる)、甘やかしはどう違うのでしょう。
・「親が子を甘えさせる」というのは肯定的、または中立的な意味合いで使われる
・「親が子を甘やかす」というのは否定的な意味合いで使われる
つまり、甘えには肯定的及び否定的な二つの側面があるのを、日本人はわかっているわけです。

前に説明した基本的欲求と越行・退行の項目を思い出して下さい。
アルコール依存症は不治の病?その3:退行と越行」の説明を参照
結論から言うと、「越行や退行ではない、本来の欲求に基く甘えを満たす行為を甘えさせる」と呼び「退行や越行で出ている欲求に基く甘えを満たす行為を甘やかす」と呼びます

例えば
「ママー、これ買って」と言われて「はいはい、いいわよ」
という行動を見たとき、これを「甘やかし」と判定する人はいないでしょう。
しかし、
「ママー、これ買って」「はいはい、いいわよ」
「ママー、これも買って」「はいはい、いいわよ」
「ママー、これも買って」「はいはい、いいわよ」
「ママー、これも!」「はいはい、これもね、いいわよ」
の場合、多くの人はこの行動を「甘やかし」と判断するでしょう。

正常な甘えの場合は、現れている甘えを満たしてやると満足します。しかし甘やかしの場合は、現れている甘えを満たしてやっても満足せず、欲求がエスカレートします。 際限なく欲求が現れます。

前にも使った例ですが、空腹の人間が空腹を紛らわすために水を飲むという場面を思い浮かべてください。この例は食事をしたいというのが本来の欲求であるのにも関わらず、欲求が満たされない事をごまかすために水を飲むわけです。この例に当てはめると、

空腹のときに食事を食べる→本来の欲求に基づく甘えを満たす
空腹のときにまぎらわすために水をのむ→越行・退行の欲求に基づく甘えを満たす(甘やかし)

という事になります。本当は食事(甘え)をして血糖値を上げない限り満足できないわけですから、いくら水を飲んで(甘やかし)も欲求がおさまりません。また、おさまらないからこそ、より過度に水を求める事になります際限なく欲求が現れます。このように「甘やかし」の場合はいくら現れている甘えを満たしても満たされず、それどころか要求が過大になっていく傾向があります。際限なく欲求が現れ、欠けている欲求が脅かされる(安全欲求が欠けているのなら、安全が脅かされる状況)が生じると、要求がエスカレートしていきます。

アルコール依存症になる人は、安全欲求に基く甘えが満たされず、それを何とか充足したいという渇望があります。それを普段は越行で埋めているわけです(多くは承認欲求)。これはいわゆるガンバリズムであり、相当の精神的緊張を伴うのが普通でしょう。

しかし越行の部分がを満たされても「甘やかし」であるために、一向に欲求が満たされません。越行に伴う忍耐が切れると、飲酒(生理的欲求)という退行にはしるのですが、これもまた「甘やかし」であるためにまた欲求が満たされません。

越行と退行による甘やかしのシステムは、摂食障害の「拒食」「過食」のサイクルや「過食嘔吐」のメカニズムも同様の構造があるといえるでしょう。
なお、共依存の場合例えば「飲酒する夫は退行している」「夫を支える妻は越行している」という関係が、双方を甘やかす事になるため、満たされることなく、次第にエスカレートしていく事になります。

5/24・7/6に文章を一部修正しました。

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