甚六ぶらぶら日記

岩手の穀潰し主婦・甚六の覚書

観自在王院 哭まつり

2008-05-06 18:10:49 | 平泉散歩

  毛越寺の東側の生垣越しに外側を見ると、手前に玉砂利が広がり、その奥に観自在王院の「舞鶴が池」が見えます。玉砂利は「車宿(くるまやどり)」といって牛車の駐車場です。
 観自在王院は藤原基衡の妻(安倍宗任の娘)が建立。南門跡、大阿弥陀堂跡、長阿弥陀堂跡の遺構が残っていますが、現存する建物は享保年間(1716~36)に再建された阿弥陀堂のみ。

 5月4日、妻の死を悼む基衡の泣き声に似せて読経する「哭(なき)まつり」を見ることができました。
 

 池のほとりをめぐる10人ほどの僧侶の列。やがて、烏帽子に白装束をつけた人々が待つ阿弥陀堂へ。

 僧侶はすべて阿弥陀堂前のお堂の中へ。(左端が阿弥陀堂)

 阿弥陀堂側の窓が開けられていて、中の様子が見えました。

 「あ~ぁあ~ぁあ~ぁあ~」「お~ぉお~ぉお~ぉお~」といった感じで読経が続きます。これが泣き声ということなのでしょう。
 蓮の葉を撒く仕草。これは天台宗独特のものなのだそうです。

 窓の前にはお神輿。阿弥陀堂の扉も開けられています。

 この後、柩に見立てた輿(お神輿)を僧侶たちが担ぎ、「なきこ」と呼ばれる従者(おそらく白装束の人たち)も加わった葬送の列が阿弥陀堂を3周し、阿弥陀堂の右奥にある基衡の妻の墓碑に向かった・・・ということを新聞で読みました。


最新の画像もっと見る