・石川啄木記念館 玉山区渋民字渋民9
石川啄木のおいたちや移り住んだ場所場所での生活の様子・友人や文学仲間との交流についてなど展示している記念館と、2棟の屋外展示とで構成されています。
記念館内部の展示では、代用教員時代の英語の教案を興味深く見ました。几帳面な文字で、すべて英語で書かれています。教えた相手は小学生です!
給料の前借を依頼する手紙がきれいに表装されていたのには驚きました。啄木もびっくりでしょう。それなら教案の方も表装した方が良いのでは・・・。
ここの見ものは屋外展示。啄木の母校であり、代用教員を勤めた渋民尋常高等小学校校舎と、代用教員時代間借していた斉藤家が移築展示されています。↑の写真が小学校で、右側に少しだけ写っているのが斉藤家です。右手前の黒いものは啄木生誕110年を記念して建立された啄木像。子供たちに慕われる日本一の代用教員像です。
小学校の一階部分。扉などを外してあります。男子用の囲炉裏、女子用の囲炉裏とわけてありました。
2階の教室。おどろく程天井が低く、教壇に立ってみたら頭が天井に届きそうでした。机は二人がけなのでしょう。ちょうど40人分。床板には隙間や節穴があいていて1階が見えます。窓は障子が入っているのですが現在はその外側をビニールで覆っていました。昔は障子一枚だったのでしょうか。冬は寒かったことでしょう。
よく残っていた!と感心してしまう建物です。
↑斉藤家の一室。啄木が「書斎であり寝間であり裁縫室であり・・・」と語ったという部屋です。
斉藤家の様子。手前に畳敷きの部屋(前の写真)、次に仏壇等のある部屋、次に板の間、一番奥が馬屋か納屋のような場所。当時の生活用具が置かれていますが、啄木一家が使用したものではないそうです。
実は私は啄木のことを「食わず嫌い」でした。最近妙に気になります。短歌もすばらしいと思うようになりました。
もっと長く生きて、人間的にも成長してさらに大きな何事かをなすべき人でした。26歳で夭逝してもこれだけの評価を得ている人ですから。