甚六ぶらぶら日記

岩手の穀潰し主婦・甚六の覚書

永福寺

2008-01-31 19:47:35 | 盛岡散歩


 ・永福寺(真言宗豊山派) 下米内2-1-1

 盛岡五山の一つ、盛岡城鬼門鎮護寺、藩の筆頭寺院、「盛岡」の地名の由来・・・まさに盛岡藩とともにあった寺です。
 創建は平安遷都と同年の794年。坂上田村麻呂が建立した奥州六観音のひとつ、十一面観音堂に始まったと寺伝にはあります。当初の三戸から盛岡へ移り、現在の境内の北側にあたる盛岡山(現桜ヶ丘団地)の三万余坪の敷地に京都の比叡山になぞらえ七堂伽藍が立ち並んでいたということです。
 明治維新を境に、神仏分離・廃仏毀釈の流れにもまれ一時廃寺同様になってしまいましたが、密教寺院の姿を取り戻す努力が続けられ、大正13年復興に着手、昭和17年かつての東坊跡に本堂再興、昭和52年回向堂「覚善院(蓮華坊)」再建。


 JR山田線のすぐそばです。山岸駅に列車が着くとやがて窓のすぐ外にこのお寺が見え、昔から気になるお寺でした。大寺院ではありましたが現在はこじんまりしています。
 お寺ではありますが鳥居があってその中には神門(山門?)代わりの大樹に注連縄。お参りするときは拍手を打つべきかどうか、悩むところです。


 水掛不動尊。奥には旅姿の弘法大師像が見えます。


 小さな踏切を渡った向こう側に覚善院があります。お地蔵さんの前に獅子。

 永福寺42世筑波の僧正と三代藩主重信公との連歌
(上の句・重信公)「幾春も華の恵みの露やこれ」
(下の句・僧正) 「宝の珠の盛る岡山」
 これがたいへんめでたい、ということで「盛岡」の名の由来となったと言われています。


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