ごじゃっぺ日記(旧、看悶日記)

京都生まれのにわか茨城県民による雑多な日記です。内容に一貫性はありませんが、どうかひとつ長~い目で見てください。

わが青春の地、京都御所

2020-09-22 15:49:30 | 名所旧蹟の話
去る日曜日、墓参り~あつもりそば~護王神社のあとの話。
京都御所ということが多いですが、京都御苑というのが正しいのでしょう。

護王神社から烏丸通を渡り、御苑の中を寺町御門まで通り抜けしました。

猛暑は過ぎ去り、少し気温は高かったもののカラッと乾燥した気持ちい秋晴れでした。
なのに御苑の中は人気もなく静かです。意外にも観光客が入ってこないのが京都御苑です。

ところで御所?御苑?
塀に囲まれた内側、特別公開時以外は入れないのが「御所」。
御所を取り囲む緑地、自由に散歩できる場所をひっくるめて「御苑」といったところでしょうか。

仙洞御所にぶつかり、塀に沿ってぐるっと寺町御門へ。
塀に近づきすぎると(塀に触ると)、警報ベルが鳴り皇宮警察が駆けつけきます。

さて、意外にも御苑の中はグランドがあります。写真右の松の奥は「富小路広場グランド」。この日は草野球チームが試合中でした。
私の母校は、仙洞御所から寺町通りを挟んだ向かいにある京都府立鴨沂高等学校です。

昔は名門、日本最古の女学校「女紅場」、府立第一高女を経て戦後は鴨沂高校になりました。
昭和40年代までは京都大学の進学者数が指折りの名門校だったのですが、京都府の高校制度変遷もあって、
私が通った頃には名門だった時代は昔話、今でも偏差値50、歴史の重みはともかく平均点取れれば入れる高校になってます。

寺町御門の先にある校舎が母校の鴨沂高校、はるか向こうに大文字が見えます。

さて鴨沂高校ですが、グランドがなかったので御苑の中で体育授業がありました。
現存する富小路広場グランド以外に、仙洞御所の北側には在学中は饗宴場グランドがあました。
ここはラグビーのゴールポストも立っていて、富小路広場とともに、ここも体育の授業でよく利用しましたが…
今はグランドは取り潰されて跡地には京都迎賓館が立っています。

さて、寺町御門と富小路広場グランドの間には銀杏の巨木があります。

私の鴨沂高校在学は、昭和60年4月から昭和63年3月までですが、この銀杏は当時のまま。

雌の木で、大量の銀杏をつけるので10月になると猛烈に臭いんです…青春の匂い。
30年以上昔の思い出がよみがえってきました。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿