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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ヤンゴン熱鉄記 (11) キハ58 1514

2013-04-25 00:00:00 | ミャンマーの鉄道


 現在ヤンゴンで活躍している日本中古DCは、酷使がたたって減少の一途をたどり、とくに国鉄型DCに限って申しますと……短編成化や運用減のため終日運行しているのはキハ52 110=RBE5011のみという惨状であるのですが、その後北海道から到着したPDCがヤンゴン界隈の助っ人して参入したという情報はなし……。バゴーで目撃したPDCの試運転も、どうやら試運転を兼ねたネーピードー送りだったようです (-_-;)。やはりヤンゴン界隈における日本中古DCの抜本的新境地は、キハ38のデビューを待つより他にはないのでしょうか (そのキハ38もネーピードーに行ってしまうとしたら、どうしようもなく再会も面倒になるのですが。滝汗)。
 そんな中、私の訪問時には辛うじて、他に朝晩のみの運用として、キハ58 1514+キハ47 503=RBE5019+RBE2573が動いておりました☆ (*^O^*)。しかし……この2両は「早朝インセイン出庫→朝6時台にヤンゴン中央駅発車→コンピュータ大学に学生を輸送したのち昼寝→15時台に発車する2本目の下校学生輸送列車としてヤンゴンへ→18時頃折り返してインセイン行となり入庫」という、何ともトホホな走行距離の運用に固定されており (毎日100kmに満たないはず)、3月では朝6時台の撮影は暗くて叶わない以上、撮ろうと思えば夕方のコンピュータ大学発の列車を狙うしかありません。



 そこで、そんなキハ58+キハ47を、如何にも雰囲気たっぷりな場所で連写・激写しまくり、かつ撮影後そのまま乗ってしまうことが可能な場所は何処か……ということを考えに考えた挙げ句白羽の矢を立てたのが、まさに線路市場の駅・ダニンゴンだったのです (^^;)。勿論、ハローガ行の客車列車で終点まで行き、駅前でバイクタクシーを拾ってコンピュータ大学まで行くということも可能でしたが、まぁここは雰囲気重視、コンピュータ大学はまたいずれということでも良いでしょう (そもそも、ハローガまで行くとド田舎過ぎて駅前にバイクタクシーがいない[又は出払っている]という可能性も ^^;)。
 というわけで、混合列車の停車シーンを撮影したのち、駅事務室でヤンゴン中央駅までの外国人用切符を購入していたところ、あらら……思いのほか早くコンピュータ大学からの1本目の列車 (松浦) が来てしまいました (滝汗)。まぁ松浦よりも大事なものが次に来る……ということで、気を取り直して待つことしばし、ボロボロになりながらも奮闘するRBE5019参上!!! v(^O^)v 混沌の線路市場の風景と車体が完全に一体化した極上の絵巻にひたすら感激しながら激写し、そのまま線路側から乗車したのでした……(爆)。
 車内は、コンピュータ大学の下校列車ということで、さぞかし大混雑なのか……と思いきや、何故か1ボックスを占領出来てしまったという余裕の乗車率♪ ヤンゴン中央駅をはじめ至るところに点在する跨線橋に支障しないよう車高を下げた関係で、窓の位置がミョーに低いことにはちょっとした違和感を感じながらも (笑)、車内は紛れもなくキハ58……。嗚呼!毎日定期運用されて一般客の利用に供されているキハ58 (但し部品取りのためエンジンは半減され、キハ28状態となっていますが) に乗車出来るのは、最早世界広しといえどもミャンマーに渡った車両のみ。いすみの車両は毎週末動くとはいえ、何のかの言って観光客&鉄ヲタ用ですから (そういえばキハ52を含めて乗ったことないなぁ……房総のあっち側というのは、相州からはイマイチ遠い異次元世界に感じるのです)、本来のローカル輸送車両らしい雰囲気は、故郷の山河を遠く離れた熱帯の地でしか有り得ないのです! 整備の悪さは、どうしても盛り上がりを欠くエンジン音や、真っ黒に汚れた化粧板からして明らかであり、下手をすると今度ヤンゴン地区に投入されるDCと入れ替わりで放置・廃車となってしまうかも知れませんが、その日まで最後の奮闘を全うして欲しい……と念じつつ、鈍足な車内から夕暮れのヤンゴンの街を眺め、中央駅の一つ手前・パヤーランで下車したのでした。

東横副直約1ヶ月 (下) 西武6000系

2013-04-24 00:00:00 | 都市民鉄 (首都圏)


 東横線の新参者軍団として、東武9000系が素晴らしいのもさることながら、西武6000系も全く負けない……否、本数の上では完全に東武9000系を圧倒して、その魅力を大いにアピールしているように見受けられます♪ 元々西武6000系は、バカ殿様という些か拍子抜けする通称 (?) とは裏腹に、洗練されたビードプレスの外装、非常に安定した乗り心地と高加減速ぶり、そして戸袋窓の存在にもよる明るく機能的な車内などなど、どのスペックをみても完成度の高い車両であったわけで……。そこで東急ファンのはしくれとしましては、正式に西武も東急に乗り入れることが決まって以来、田都における東武30000系と同様に東急への乗り入れを歓迎したい気持ちで期待していたのですが、実際に特急表示で快走 (撮影した区間はカーブの連続につきトロいですが ^^;) する光景を激写し眺めるにつけ、ををを……まさに東横新時代、という感を新たにするのです。同じビードプレス車体のVVVF車にして、やはり極めて機能的で美しい車内を誇る東急9000系との競演が叶わなかったことは唯一最大の遺憾ですが……。



 そんな西武6000系、今回の撮影後実際に乗ってみました。午後から怪社に行くため、特急 (渋谷から急行) 飯能行・菊名1204→池袋1238という行程で移動したのですが、いや~~素晴らしい!の一言に尽きます。綱島あたりから武蔵小杉に至るまでの、スピードが絶頂に至るあたりでは、5050系ですと相当ムリヤリ感のあるモーター音にビミョーな揺れを伴うものですが、西武6000系であれば実にどっしりと余裕たっぷりで安定した乗り心地です♪ 明るい車内に座り心地の良い椅子も快適としか言いようがなく、東急9000系無きあとの東横線における新たな「当たり車両」と言っても過言ではないでしょう (東武9000系も早く乗ってみなければ……)。
 もちろん、戸袋窓に貼られた「笑電くん」のイラスト (この絵の表情、個人的にはどうも馴染めずワイコー……汗)、そして「シートの切り裂きは犯罪です!」と書かれた黄色いステッカーが「やっぱりこの電車は西武なのね」という事実を感じさせもします (^^;)。また、路線図に「正丸」「西武秩父」といった駅名が並ぶあたりも、東武の半直開始に伴い田都車内で「男鹿高原」「会津田島」といった駅名を初めて眼にした際と同じくらいの新鮮な衝撃を感じます (いや、西武の場合は埼玉県内ですのでまだ違和感は少ないですね ^^;;)。そして「ハゲタカファンドの無茶苦茶な要求に対して断固として抵抗するので応援よろしく!」という趣旨の中吊り広報宣伝もまた、西武の「いま」を痛感させるというわけで……首都圏の鉄道文化の多様性を東横線の車内でもビンビンに感じるという全く新しい時代に突入している、と言えましょう。
 こんなことを考えながら、やがて代官山で地下に潜って行き渋谷に到着~。当然かなりの下車客がいるものの、日中の半蔵門線渋谷口と同じく結構多数の乗客が引き続き乗っており、しかも立ち客も少なくないというのはオドロキです。明治神宮前・新宿三丁目でも多くの乗降があり、「東横線に乗って山手線内に来た客を、山手線を介さずにそのままメトロ各線に流して行く」というメトロの思惑がモロに当たりつつあることに「一本取られた」気分になりつつ、「もう着いたのか」というオドロキとともに池袋で下車したのでした……。

※車両の所属に従って「都市民鉄 (首都圏)」カテゴリとしております。


----------------以下激しく妄想につき注意-----------------
 村○ファンドの餌食になりかけた阪神の場合には、阪急が同業者として救いの手を差し伸べたわけですが、西武の場合は果たして他の鉄道会社が救いの手を差し伸べることになるのでしょうか? まぁ東急は○AL問題があったばかりですし、昔の伊豆・軽井沢利権の行きがかりからして絶対に有り得ないよなぁ……(汗)。個人的には小田急が手を差し伸べ、ついでにそろそろ年季が経つ小田急百貨店新宿店や西武新宿駅ビルの建て替えのついでに、小田急と西武新宿線が大胆に結ばれ、西武新宿線は新宿駅横付けの悲願を達成……という激烈な妄想を考えなくもないのですが、まぁ小田急もかつては箱根山利権を激しく争い、未だ「箱根フリーパス」と「箱根スマイルクーポン→箱根旅助け」が統合されないという間柄ですので、やっぱそこまでの関係にはなるわけねーか (^^;)。とはいえ、不可能や有り得なさが突如大転換するのも人の世の面白さというものですが、いや待てよ、大工事の際には、今や東京の戦後史を語る上で欠かせない文化財的価値があると個人的に勝手に思っている「○い出横丁」を潰さなければならないですし (そういう問題かよ!……滝汗^^;)。いずれにせよ、かつての堤商店の弊害は未だに深い……。

東横副直約1ヶ月 (上) 東武9000系

2013-04-23 00:00:00 | 大手民鉄 (東武)


 世間の注目を大々的に浴びつつ、東急東横線とメトロ副都心線の直通運転が始まってから、早いもので約1ヶ月が過ぎました。当初こそ「渋谷駅の地下が深過ぎるうえにホームが狭い」「行先がいろいろあり過ぎて分けが分からん。ダイヤ乱れの際には大混乱では?」という懸念が相次いだものです (私も全くそんな懸念がなかったといえばウソになります ^^;)。とはいえ、この1ヶ月を振り返ってみますと、そんな外野の右往左往など何処吹く風、運行そのものは総じて非常に順調に行われているように見受けられます。その背景にあるのは、田都半蔵門と東武の直通の際、車両扱いの不慣れさで混乱が生じたことの轍を決して踏むまいという決意に基づく (?) 周到な訓練運転の実施然り、東京メトロの皮算用の通りに多くの客が副都心線へと直通し、したがって乗換駅としての渋谷駅の重要性がやや下がっていること然り (山手線の利用客がガクンと減ったとか)、渋谷駅の階段が多数あるため号車ごとの乗車率が平均化していること然りでしょう。というわけで、実は意外と丁寧に考え尽くされた新たな展開を前に、ファンはただ一気に増えた車両と行き先のバラエティにニヤニヤしていれば良いということのようです (渋谷乗降は大変ですが^^;)。



 というわけで先日は、そういえば未だ東武6000系と西武6000系の東横線内営業運転シーンを撮影していない……ということを思い出しまして、午後からの仕事の前に1時間ほど撮影に励んでみました。勿論、今後はいくらでも撮影の機会があることから、わざわざドンヨリ曇った日に行く必要はないのかも知れませんが、やはり1ヶ月過ぎても未撮影というのは精神衛生上よろしくありません。加えて、今度の週末からは東急4110F・ヒカリエ号のデビューに伴い、沿線はしばらくの間ヲタで埋まることでしょう。ゆえに、多忙の中で僅かに出来た撮影タイミングを大事にするのが肝要です。
 そこで、幼稚園の頃まで住んでいたいつものカーブに繰り出してみたところ……滅多に来ない東武車は見事9000系で来てくれました♪ 50070系では全く写欲が湧きませんので、いやはやホント、東横線における東武車撮影はハイリスクなギャンブルです (爆)。東横線内を走る9000系そのものは、既に昨年初秋の試運転の段階で撮影しているのですが、やはり営業運転で、しかも特急川越市行という花形運用で撮影すると、感慨もひとしおというものですね……(*^^*)。東横線にギンギラコルゲートの直流モーター車が戻って来たという点においても、東武9000系の存在は実にウレシく、甲高さと重みが同居したモーター音がカーブの奥から次第に高まり、目の前で最高潮に達し、再びカーブの奥へと消えて行くという一連の過程に聴き惚れてしまったのでした♪
 さてと……今後は他の種別&行先の組み合わせ、すなわち「通特森林公園」「急行和光市」「急行志木」「急行渋谷」(暗い時間の「急行森林公園」は省略 ^^;) を何時撮影するか……ですが、平日の朝に時間を確保し、しかもカブられるのを避けなければなりませんので、かなりハードルは高そうです (滝汗)。

※車両の所属に従って「大手民鉄 (東武)」カテゴリとしております。


 何か遅れてるな……と思ったら、やっぱりカブられてしまいました。
 しかも5050に……(-_-;)。

 とはいえ、これ自体東急東横線と東武東上線の直通運転をモロに示すものですし、5050の側面には副直記念ステッカーが貼られていますので、ある意味では記録性が高いカットと言えるのかも知れません。


ヤンゴン熱鉄記 (10) 線路市場の駅

2013-04-22 00:00:00 | ミャンマーの鉄道


 首都のすぐそばで魅惑の混合列車・・・



 下り列車が来たら一体どうする??と心配になります (^^;



 駅の外れではブーゲンビレアが咲き乱れ・・・



 撮り鉄中に線路遊びガキが「撮って♪」と乱入する国は楽しい国 (笑)。

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 アジアの鉄道をアジアの鉄道たらしめているのは、線路と日常の商売の空間との極めて密接な近さ……すなわち線路市場の存在であり、そのことが醸し出す「生のカオス」に満ちた情景にあるのかも知れません。例えばジャカルタ・ドゥリ駅の線路市場は、デンジャラスこの上ない世界が完全に日常と化していますし (パクアン急行様のブログによりますと、最近復活しつつあるようで万歳!)、列車通過直前に一斉に日傘を畳むことで知られるタイのメークロン線・メークロン駅の線路市場は、今やすっかり観光資源でもあります (今回往路バンコクで2泊したついでに初訪問しましたので、いずれアップ致します)。ベトナムにも駅が市場なのか、市場のために駅があるのかよく分からないハロン駅というところがありますし、台湾には商店街のド真ん中を20m級DCが走る十分界隈があり、韓国に至ってはそもそも漢城地下鉄の車内が無許可市場のようなもの……(笑)。すると、日本にはもうそんなカヲスな空間は存在しないので、「日本はアジアではない=脱亜」という結論を導くことも可能なのかも知れませんが、まぁ辛うじて腰越商店街を行く江ノ電を一般鉄道とみるのか路面電車とみるのか……にかかっているでしょうか (汗)。
 さて、今回訪問したミャンマーにも、如何にも!これぞ!線路市場!という雰囲気の駅がヤンゴン近郊に存在します (地方に行けばもっと多数あるでしょうが……)。ヤンゴンから西北に北上してピィ方面に向かう本線とヤンゴン環状線が分岐するダニンゴン駅です♪
 この駅を今回是非訪れたいと思った契機は、下準備としてあれこれ検索をかけまくり、環状線の沿線風景を反時計回りで走る列車の車内から録画したYouTubeを眺めていたときのこと……。環状線北端の如何にもな農村風景が続く中、余りにも列車がトロく「ええい!時間短縮で早回しだ!」というわけで、ピィ方面からの線路との合流点まで進めたところ……そのすぐ先に現れたのがドンピシャな雰囲気の線路市場!そこで、さらに検索をかけて現れた環状線路線図と照らし合わせると、この駅はダニンゴン駅と呼ぶことが判明! Googleマップで鳥瞰しても、駅の脇には大規模な市場があり、その一部が駅までハミ出ている……ということが分かります。いやはや、出発する前にこれだけのことが分かってしまうとは、本当にネットさまさまです。
 というわけで、キハ52に乗ってヤンゴン中央駅に到着した後は、すぐにダニンゴンまでの切符を改めて購入し、ハローガ (ダニンゴンから環状線に入らず、ピィ方面へしばらく直進したところにある、コンピュータ大学支線との分岐駅) 行の近郊客レに飛び乗っていざダニンゴンへ! この列車は……キハ52でヤンゴン中央駅に戻る直前、マラゴンから隣のパズンダウンまでの複々線区間で競合し、「あ~、あの列車、手許に控えた時刻表ではハローガ行じゃん……。出来ればダニンゴンに行くために乗りてぇなぁ」とヒヤヒヤしながら眺めていたのですが、パズンダウンとヤンゴンの間には一時的に複線に戻る区間があるため、結局ハローガ行が優先発車……。
 そこで、一旦は「ヤンゴン中央駅で次のハローガ行、または時計回り環状線ヤンゴン行までしばらく待たされるのはイヤだなぁ」と諦めたものの、天は我に味方せり! 6番線の外国人用切符販売事務室で切符をゲットした後、線路を速攻で横断して (爆)、発車直前のハローガ行に乗れてしまったのでした♪ その後、僅か10数キロの距離に1時間を要するというチャリンコ並みのスピードでチンタラ走るロングシート客車で日干しヘロヘロ状態になりながらも、いざダニンゴン駅に到着すると俄然シャキッと気分は回復! 駅構内には午後の斜光線に鮮やかに照らし出された豊饒の世界が広がっていたのみならず、たまたまピィ方面からの長距離混合列車が到着して20数分も停車し続け (始発駅は不明ですが、アッパークラス車両も連結されていましたので、明らかに中~長距離列車のはず)、貨車から手渡しで線路に積み下ろした野菜をさらに市場へと運んで行く……という、まさに鉄道原風景としか言い様のないドラマが展開したのでした♪♪
 しかしダニンゴン駅訪問は、より重要な目的のためでもあり……所詮この悶絶モノな光景も前座に過ぎないのでした (続く)。

濃尾三州鉄遊覧 (22) 美濃町線保存車!

2013-04-21 00:00:00 | 保存・園内・特殊車両


 昨年4月、三河での用事のついでに3日間にわたって敢行した中京圏鉄道バス大周遊……その余りにもチンタラとした備忘録作成も、ついに最終回となります (長引きすぎだろ……滝汗)。新緑の季節とは裏腹に暗い雨が降りしきる中、一体何のためにわざわざ長良川鉄道の軽快DCに乗って美濃市まで来たのかといえば、もちろん名鉄岐阜600Vの保存車を拝観するために他なりません!
 周知の通り、名鉄岐阜地区600V線は、名鉄全体の赤字削減策とクルマ社会化した地元の冷淡な対応が重なってしまい、2005年3月限りで全線廃止となってしまいましたが、早いものでそんな衝撃的事件から約8年……。今や岐阜バスの路線バス時刻表にアクセスするにつけ、とくに黒野界隈などは、そこに15分間隔で電車が走っていたこと自体が想像できないほど、無残に公共交通が凋落してしまったことを痛感せずにはいられません (美濃町線筋はそれほどでもないようですが)。そして、そんな岐阜600Vの残り香を味わおうと思えば、福井鉄道・豊橋鉄道・土佐電鉄を周遊しなければならないわけですが、岐阜600Vの名を広く知らしめた名車である510形と600形が、一足先に廃止された美濃駅を活用した保存館にて丁寧に保存されているのは特筆に値するでしょう!



 というわけで、降り止まない雨ながらも聖地巡礼への期待を抱きつつ、まさに侘び寂びな風情の美濃市駅から緩い坂を下って行きますと……意外なほど呆気なくお目当ての保存車両群が眼前に! 訪問した日は保存会の皆様が清掃作業を行っておられ、遠慮しながら旧ホームへ進んで行くと、そこはまさに岐阜600Vの佳き時代が凝縮された別天地だったのでありました……。一片の静寂の中、ピカピカな塗装が実に見事な保存状態のモ512・モ601が並んで鎮座し、しっとりと雨に濡れて艶やかな表情を魅せている光景に、ただただ言語を忘れてシャッターを切り続けずにはいられなかったという……(*^^*)。むしろ、完全にフラットな光線と、車体の艶を際だたせる雨露からして、こんな天気こそこの2両をこのアングルで撮影するのに相応しいとも考えられ、これはひょっとすると私の訪問に合わせた演出だったのかも知れない……と思い直したことは言うまでもありません。
 なお、この2両の外観は素晴らしい状態ですが、車内はいろいろ物置として使用されているのは少々残念。まぁとにもかくにもこれだけの雰囲気が保たれていることに感謝せよということでしょうか。また、隣の撮りにくい位置に留置されているモ593も非常に美しい外観を保っています♪ というわけで、去り際には保存のための浄財入れに寸志を入れさせて頂き、また季節を改めて訪れたい……と思いつつ美濃を後にしたのでした。
 以上をもちまして、何と丁度1年前の話となってしまった中京圏大縦断鉄活動の記録は完結とさせて頂きます。お楽しみ頂き誠にありがとうございました m(_ _)m