
関鉄竜ヶ崎線の主力は2両のキハ2000形でありまして、普段はいつ訪れてもこの車両が行ったり来たりしていますので、面白くないと言ったら確かにイマイチ面白くないのですが (^^;)、実はもう1両、予備的存在として、国鉄キハ20を種車としたキハ532 (形式名も全く同じキハ532) が在籍しています。かつて竜ヶ崎線には他にも、旧型DCの車体を載せ替えた同じような風貌の車両が走っていましたが、関鉄への興味に目覚めた頃には既になく (遅い -_-;)、キハ532は関鉄の中でも片開き扉+グロベンという味わい深いスタイルを残す唯一の存在となってしまいました。
そんなキハ532、もし定期的に運用されれば竜ヶ崎線訪問の意欲も増すというものですが、旅客サービスやイメージを考えれば出来るだけキハ2000を運用する方が良いに決まっています。というわけで、キハ532は滅多に動かない……。

それでは、キハ532の活躍に出会える可能性が高いのはいつかと申しますと……キハ2000が全般or重要部検査で長期間稼働できないときだと思われます。3年前の夏に初めて竜ヶ崎線を訪れ、たまたまキハ532に乗った際にも、キハ2000は台車を抜かれた状態でした。但しこのときは、竜ヶ崎に到着して「さぁこれから撮るぞ!」と思った矢先に車両交換で入庫……(T_T)。そこで、ちょうど3年が経った先日、「キハ2000の検査の都合でキハ532が動いているかも……」と当たりをつけ、リベンジを目指して訪れてみたところ、見事大当たりです!! (*^O^*)
ただ……ただでさえ暑さがピークに達する8月上旬にあって、この日はとにかく暑かった! とにかく日陰だろうが何だろうが熱風が吹きつけ、随所で撮影しながら入地と竜ヶ崎のあいだを歩き切ったときにはもう汗まみれ地獄でした (爆)。余りの炎熱に集中力も下がり、しばしばシャッターを切るタイミングを間違えましたし……。それでもやはり、青々と育った稲をかすめて走るキハ532を激写してリベンジを果たした喜びは何者にも代え難いものがあります!
思うに、この車両も常総線のキハ101・102と同様、スカ色 (常総筑波鉄道色) を塗って頂けないだろうか……と思います。クモハ51・54などを思い出させる (?) 窓配置を持つこの車両には多分似合うだろうと思うのですが、そんな妄想を思いつくのは私だけでしょうね。スミマセン (^^;)。
この車両はもう10年近く前に一度だけ乗車した事がありますが、予備者的存在で稼働率が低く、その上竜ヶ崎の車庫でも庫内で寝ている事が多いですので、姿を納めるのは難しいですね。
ただ竜ヶ崎線の車両は、学生が休みに入って乗客数が減る今の時期に検査を行うという話を聞いた事があり、この時期は普段より狙いやすい様ですが、暑さは大敵ですね。
また旧塗装への復元に関しては、キハ350が纏っている以前の塗装(朱色とクリーム)にしても面白いかもしれませんね。
それにしてもこの車両、1両しかない上に窓割りは不均等、運転台も片方は右側…本当に通好みな車両ですが、末永い活躍を期待したいものです。
おはようございます、コメントどうもありがとうございます。
よそ者にとっては非常に出会いづらいキハ532、たしかに稼働率が上がるのは、朝の学生輸送がなく、キハ2000の両開き扉の威力を必要としない夏休みと考えてほぼ間違いなさそうです。但し、夏休みのいつ頃かというのが次の問題になりそうで、こればかりは運次第といったところでしょうか。
旧塗装はもちろん、関鉄旧塗装も実現すれば夢のような話です。但しその場合も、運用になかなか入らないという問題は残るでしょう (苦笑)。
今後のキハ532ですが、とりあえず酷使とはほど遠い状況で、しかも実質的には常総線の旧型DCと同じ性能となっていると思われ部品も潤沢にあるでしょうから、余程のことがない限り少なくとも今後10年はのんびりとした活躍を続けるだろうと予想しています。
はじめまして、JZA70と申します。
いつも楽しく拝見しています。
おっとっと様の竜ヶ崎線訪問のページを見て
私も8月19日に行ってきました。
以前は竜ヶ崎まで自転車で行ける距離に住んでいたのに
今は東京の西の外れからわざわざ行かないと行けないなんて苦笑いしながら
行ってみると
幸運にもまだキハ532が稼動中でした。
検査中のキハ2002は台車も付き、社内の整備をしていましたので
運用復帰も間近に感じられました。
私も10年余り非鉄でしたのでその間にキラ星になってしまった車両など、
勿体なかったなと今更ながらに悔やみます。
こんにちは、こちらこそ初めまして、ようこそお越し下さいました m(_ _)m いつもお楽しみ頂いているとのこと、うれしい限りです!
さて、竜ヶ崎線のキハ532、日曜の時点ではまだ動いていましたか~。台車を水海道から運んできて装着する作業をしていたのが10日ですから、随分と長い間調整が続いていたのだなぁ……と思ったら、そういえばお盆休みというものがありましたね (^^;)。でも、もう車内を整備している状態でしたら、恐らく今週あたりからは復活なのかも知れませんね。
そんなキハ532、隠れた魅力にファンが熱い視線を送っていることを関鉄に気づいて頂き、いずれは土日の昼間は走行……なんてことになれば、と妄想しています (^^;
それにしても、以前は竜ヶ崎の近くにお住まいだったのですか! かつては竜ヶ崎線に限らず常総線や筑波鉄道・鹿島鉄道……と、関鉄のシブいDCワールドが炸裂していたのではないかと思います。しかし、それが当たり前だと思っている頃はなかなか記録には励まない……というのはどなたも同じかも知れませんね。
私も、80年代に私鉄ローカルDCの魅力に気づいていれば……非鉄だった空白の10年間を取り戻すことが出来れば……と思います。そういう思いで趣味活動に復活されている方は意外と多いのかも知れません。(汗)
お返事ありがとうございます。
高校まで千葉の柏に住んでいました。
竜ヶ崎は決して近くはないのですが、若さゆえに自転車で土浦まで行った覚えがあります(笑)
折りしもその頃は筑波万博時期でして、常磐線がお祭り状態でしたもので、EF80ばかり追いかけて
茨城の私鉄はおろそかにしていました。
やがて筑波鉄道が廃線になり鹿島鉄道まで・・・
(泣)連鎖反応を起こさなければよいのですが。
そうですね、リバイバルカラーが実現されると良いですね。
勝手な想像ですが、おっとっと様は私と同世代か少し年上でいらっしゃるような気がします。
これからもたまにお邪魔しますのでお相手してくださいm(_ _)m
ちなみに今は長津田工場が割りと近いです (^^;)。
こんばんは、さっそくレスへのレスを頂きどうもありがとうございます!
以前、柏にお住まいだったのですか……。一歩改札の外に出れば、首都圏の中でも圧倒的に年齢層が若そうな、事実上の「東葛県県庁所在地」といっても良いほどのこの街は、釣掛式電車愛好派にとっても聖地のような場所です! 何せ3年前まで、東武野田線に5000系列が走っており、私など一体何度釣掛サウンドを楽しむだけのために柏に降り立ったことやら……(数えてはいないのですが、仕事でストレスがたまるたびにちょくちょく通っていましたので、軽く30〜40回は行っていました。笑)。もちろん、その往復には常磐線の103系で異常に熱い走りっぷりを堪能したものです (*^^*)。
そんな柏、非常にうらやましいところでありますが、筑波万博の頃にいろいろな列車を追いかけ回すとすれば、それは確かに臨時列車中心になるでしょうね……。客レや583系がジャンジャン動員されていて見物でしたが、当時私は中学生になったばかりで、親に頼まれて小学校に入ったばかりの弟を連れ、415系に乗って万博中央まで行った……という記憶ぐらいですね (^^;)。
それよりも、当時の常磐線といえば、筑波万博対策で415系700番台が大量に増備されるまで (それすらもう廃車とは! -_-;)、一日数本の旧型客レが走っており、残念ながら乗ったことはないのですが、デッキのドアをもちろん全開にして乗客が鈴なり状態になった列車が日暮里付近を走るのを見て感動した記憶があります (^^;
おっと、話題がそれてしまいました……。というわけで、筑波万博前後に自転車で結構遠くまで遠征されて臨時客レをバシバシ撮りまくられたということは……むしろ、私よりも多少年上でいらっしゃるのではないかと存じます。
ともあれ、当ブログは昔気質の濃いぃ内容でお送りしておりまして、団塊向けのどこぞの雑誌のキャッチコピーではありませんが「青二才禁止」(笑)、いい加減若くなく (??) 昭和をよく知る世代である三十路以上の皆様に特に楽しんで頂こうということを念頭においておりますので (^^;)、どうぞお気軽にお越し頂ければ幸いです!
ちなみに、私も日々田園都市線で長津田を通過しております (^^;;
こんばんは、柏への熱い想いをありがとうございます。
5000系もいつの間にか無くなってしまいましたね。
私も最後は宇都宮線まで長津田から延々乗り継いで行って来ました(笑)
伊豆の夏が南栗橋まで行ってしまうと返しの時間が開きすぎて苦労しますよね(^^;
東武野田線も昔は3000系がメインでたまに団体臨で5700系(古っ!)
がきたりしていました。今では想像できませんが野田市の醤油工場から貨物が出ていまして
柏で常磐線に繋がる連絡線がありまして、北柏まで運行していました。
昼下がりに東武のEDから国鉄のDD13(一つ目)にバトンタッチしていたのをよく眺めていました。
写真を撮っていなかったのが本当に悔やまれます。
常磐線も旧客はもちろん、白電(当時は赤電でした(^^;))も当時は柏駅通過という冷たい扱いを受けておりまして(笑)
快速も非冷房の103系や千代田線にいたっては悪名高い103系1000番台ですから(笑)
たまに綾瀬で見た小田急9000系や北千住にいる東急7000系がとてもオシャレな電車に見えました(^^;
そういえば東武は7800系という強烈な電車が走っていましたね。床が油の染み込んだ木でしたから。
子供心に電車も住宅事情も西高東低なんだなぁと思っていました。(笑)
万博の頃に私は中3から高1でしたのでおっとっとさまより多少年上かも知れませんね。失礼しました(^^;
当時のメインはEF80プッシュプルの20系列車ホテルでした。今ならすごいことになってるでしょうが
ほとんど同業の方に会うこともなくほのぼのしていました。当時は東海道筋のゴハチの荷レがEF62に変わる時期
でしたのであまりこちらには流れなかったのかも知れません。
<三十路以上の皆様
すばらしいですね(笑)
私の中でも80’sは、鉄道にしても、流行や歌にしても一番印象に残る年代だと思います。
こんばんは、さらにたくさんのレスをどうもありがとうございます!
さすが柏にお住まいだったこともあり、東武への思い入れも相当おありのようですね……(^o^)。田都&半直ルート利用で栃木まで行き、宇都宮線の5050系に乗り継ぐというパターンは私と全く同じです (^^
3000系と5700系……どちらも本当に懐かしいです。3000系につきましては、野田線では乗ったことがなく、大宮駅での目撃や、日光線を訪れた際の春日部駅での目撃に限られてしまい、むしろ宇都宮線と日光線末端部で乗ったことがあるだけですが、あの台車博物館ぶりには圧倒されました (笑)。当時はあの車体に興味が持てなかったことから、余り写真を撮らなかったのが悔やまれます。
そして5700系……林間学校臨などでしばしば目にされていたとはうらやましいです! 私は結局一度も乗らずに終わり、少々撮っただけでしたが、日光線の急勾配をけたたましく駆け上がるあの神々しい走りは未だに目に焼き付いています!
私の7800系をはじめとする東武釣掛式電車への思い入れにつきましては、5050系さよなら運転に関連した昨年12月中旬頃の特集記事をご覧頂ければ幸いです (^^
それにしても……80年代前半はまだ野田のキ○コーマンからの醤油輸送をやっていたのですね……。これも84年の車扱貨物大削減のあおりで廃止されたのでしょうか。北柏に今も残るプチ・ヤード的空間は、主にこのために存在していたのですね……全然存じなかったです (^^;
柏通過……ということで、自宅に現存する1981年の時刻表をいま見てみましたところ、あらら、客レは全て柏を通過していますね (^^;)。その代わりに我孫子に停車していますから、柏と我孫子の地位の逆転ははっきりとしていますね (^^;;;
103系1000番台は、とくに地下鉄線内では抵抗器から上ってくる熱気がスゴかったですね……ああ懐かしい!
そういえば……万博の走るホテル、20系客車でしたね!! 本当に久しぶりに思い出しました! 東海道の急行荷物列車も懐かしい……。どちらも今走ったらいわゆる「激パ」どころの騒ぎでは済まないでしょうね。
そんな激動の、でもとても平和で夢のような80年代……当時は「いまこそが魅力的な時代だ」なんてことは深く考えていませんでしたから、つくづく勿体ないことをしたものです。(^^;;