
本日1月7日は、日本の歴史にひとつの巨大なピリオドが打たれてからちょうど四半世紀。……そう、1989年の今日、昭和天皇崩御という計り知れない衝撃の朝を迎えてから四半世紀となってしまったのです。その直後、全ての日本国民は、当時の小渕官房長官が新元号を発表する瞬間を固唾を呑んで見守り……そんな静かな緊張感の中から平成の御代がスタートしたのを昨日の出来事のように思い出します。
平成となって満25年。いろいろと痛快な出来事もあれば計り知れない出来事もあり、それぞれの方にはそれぞれの平成観があることでしょう。それは「平」「成」という文字とは裏腹に、内外ともに大きく揺れ動く激動の時代であることは誰も否定出来ないでしょうが、かといって他の時代が激動の時代ではなかったとは到底言えないわけで、総じて「いま」との比較で昔が良く見えたり悪く見えたり、トータルではトントンの収支で時代は回っているように思うのであります。
しかし……こと鉄道趣味に限って言えば、私はこう叫びたい。
嗚呼昭和! 嗚呼嗚呼昭和! 嗚呼昭和!

世界の一等国からボロボロの敗戦国へ、そして奇跡の復興と高度成長、その一方で多くのゴタゴタに悲喜こもごも……。それらの全てが昭和天皇とともにあり、その御代のもとで日本の鉄道は間違いなく最も多様で面白い時代を迎えていたはずです。精密な匠の技が、見る者・乗る者のココロを激しく揺さぶる、工業製品としての質感と重量感にあふれた車両の数々……。天下の大幹線から末端の零細なローカル線まで、運行形態面で多様を極めた列車の数々……。そして特異な車両も大量生産な車両も、それぞれがそれぞれに独特の存在感を放ち、職人気質丸出しの鉄道マンのハートによって支えられていることが一目瞭然でした。勿論、私自身は平成という時代が昭和よりも良くないというつもりは毛頭なく、平成以後の車両が国際的に見て極めて高い水準を誇る精巧な車両であることには同意しますが(とくに、こと最新車両の海外輸出という点についていえば、私自身もナショナリスト丸出しの強い関心を抱き、その活躍に拍手を送らずにはいられません。とくに、日本企業が得られる利益や車両デザイン面で、ロ○ムが相当うまい汁を吸ってきたここ10年来の趨勢を考えれば……)、鉄道車両が放つ重みやオーラは確実に減り、列車運用面でも多様性を失いつつあるわけで(車両面や運用面での多様性は複雑性と同義で、それが省力化やシンプルな合理主義と反することは重々承知ですが)、結局趣味界の現状も多くの場合昭和の面影を追い求めていることが多いような気がするのは私だけでしょうか?
しかし、嗚呼昭和!と叫んだところで、最早鉄道という視点からみて昭和が戻って来るはずがないのは確かです。昭和の鉄道少年としてヲタになってしまったヲッサンは、今後も加速度的に消えゆく昭和の車両をさらに溺愛しながら、そして模型で多少なりともココロの空洞を埋めながら、今後も全く新しい時代を生きて行かなければなりません。恐らくこのような態度が、これからしばらくの日本の鉄道趣味界の主流となるのかも知れません。否、既にそうなっているのか (汗)。
そこで鉄道趣味という観点から「昭和」を消費するとしても多種多様なアプローチがあるでしょうが、ボロい……しかしシンプルで合理的な精神にもあふれた通勤電車を酷愛する立場としては、やっぱり今後も消えゆく昭和の通勤電車を追い求めることになりそうです。
というわけで、そのひとつの象徴として、昨年夏の京都出張ついでに撮影した奈良線ウグイス103系をアップしておきます。ここは221系の運用が増えたとはいっても未だに各駅停車を中心として103系の極楽浄土ですが、2014年度以後のJRWは久々に通勤電車の大量新造に乗り出すとか何とか……。そうなると、近い将来奈良のウグイス103系も激減することが予想されるわけで、乗るのも撮るのも今のうちであることは間違いないでしょう。