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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

横浜2020新春鉄 (4) 埼京E233系

2020-01-09 18:35:00 | JR発足後の車両


 いま横浜で最もアツい鉄スポットはどこか……? 来たる3月改正では生き残るものの、近い将来「踊り子」からの引退が確実視される185系が走る東海道沿線かも知れませんが、個人的には開業から1ヶ月少々経ったに過ぎない羽沢横浜国大前もなるべく早くじっくり見ておきたいスポットでありました。相鉄JR直通線の開通以来、何度か乗ってはいたのですが、羽沢横浜国大駅は実際に下り立って構内をじっくり観察する機会を得ておりませんでしたので……。
 というわけで、東横線でのちょこっと撮り鉄ののち、1時間少々歩いて羽沢横浜国大駅にやって参りました (運動不足の方には絶対オススメしません。笑)。そして、ちょうどやっていた特急海老名行きの埼京線E233系をパチリ。



 う〜んそれにしても、真新しい駅舎とホームには、いずれ東急からも様々な車両がやって来るのですなぁ。そんなカヲスをワクワクしながら想起せずにはいられません。何しろ、埼京線とメトロ南北線・都営三田線の並びですから……奇想天外の中の奇想天外を感じられます (笑)。

 それはさておき、先日池袋から新宿まで一駅のみ埼京線に乗り、「もし新宿で目の前の2番線に発車直前の海老名行が停まっており、椅子も空いていれば、そのまま乗り換えても良いかな?」と一瞬思ったのですが、大和到着は新宿で約20分待つ小田急の快速急行よりも遅くなるためボツにしました。そして何と、新宿に着いてみると、相鉄JR直通線の折返しホームが3番線に変更されているではありませんか……。どうやら、3番線で埼京線が折り返すということでは、埼京線の新宿始発を待つ客も含めた膨大数の埼玉都民が3・4番線ホームにあふれるという悪現象が蔓延したためとか。そこで現在は、新宿駅南口の1〜4番線への階段の前で、駅員が看板を持って案内していますが、ご利用の方はお気をつけ下さい。

岩手乗物縦断 (5) 盛岡色701系@陸中折居

2019-12-23 13:04:00 | JR発足後の車両


 東北本線は奥州街道に沿っているにもかかわらず、江戸時代までの「軍事上の理由から、道はキツ過ぎない程度になるべく高いところを通るのが良し」という発想と、明治以降の「力学的な効率を重んじて鉄道も道路も通すため、なるべく平坦な場所を選びたい」という発想が乖離しているため、両者がピタリと並行する場所は意外と多くありません。とゆーか凄く少ない……。
 そこで事前に、地図上に徒歩での通過予定時刻を書き込んで行く中で (時速4kmで計算)、線路沿い、とりわけ撮影向きな感じがする踏切を通過する際には (しかも今や有り難いことに、Googleのストリートビューで踏切の雰囲気が事前に分かってしまいます)、最寄り駅の時刻表も書き込んでおきます。ちょうど自分の通過と列車の通過がうまく重なりそうなところで、ポカリスエットを飲んで休憩がてら、撮影大会開催です (笑)。



 というわけで、一ノ関から盛岡まで歩いて北上する中で、うまく撮影出来そうな場所は平泉市街、陸中折居の南、水沢の南、六原駅の南と北、北上駅北の陸橋……(あとは駅撮り) と本当に限られる中、まずは平泉市街のカーブの踏切にて、アウトカーブから激写を狙ってみました (駅から遠くないので観光ついででも利用価値あり)。しかしやって来たのは、地元テレビ局のド派手なピンクラッピングを施した編成で玉砕……(号泣)。
 翌朝気を取り直して、陸中折居の南2kmほどの場所にある踏切(国道4号線の歩道橋があります)の脇を通過したところ、ほほう、電柱が車体にかかってしまうものの、サイドを多めにしながら4連をうまく決められそうです。また、南下する列車であれば、2〜4連なら電柱をひっかけずに撮影出来ます。朝のうちは曇天であったのも天の助け! そこで一発目……盛岡行きは朝ラッシュ対応の4連で、良い感じに決まりました☆ 二発目の一ノ関行きは、盛岡界隈のラッシュにはからまないため2連での登場でしたが、天下の大幹線の雰囲気がしっかり残る中を僅か2連が猛烈にブッ飛ばして来る光景は、「2連といえば基本的に単線のローカル線や地方中核都市の複線民鉄のもので、のんびり走るのが関の山だろ」という固定観念にとらわれている私には、なかなかショッキングなものがありました。しな鉄だってそうだろ……という声が聞こえてきそうですが、しな鉄は駅撮りしかしたことがないもので、悪しからず (笑)。

岩手乗物縦断 (2) 盛岡色701系@一ノ関

2019-12-08 12:58:00 | JR発足後の車両


 仙台市営地下鉄の泉中央駅から歩くこと2泊3日、春まだ遅い一ノ関の駅に着きますと、駅舎と直接つながる1番線は仙台・小牛田方面から来た仙台色編成の折返専用ホームとなっており、跨線橋を渡った2番線が盛岡色編成用ホーム、3番線が大船渡線用ホームとなっています。貨物列車はどうするのかと言えば、3番線と新幹線の間の複数の線路を通ることになっており、私が駅撮りしている間にはちょうど陸前山王(仙台北港)行のタキ1000が通過して行くのをポカーンと眺めるばかりでした。
 そして思い起こせば、仙台の455系が総崩れとなった後、しばし3番線と新幹線の間で廃車待ちをしていた光景も懐かしい……。



 そんな一ノ関駅在来線ホームにて、最も存在感を放っている(?)のは、盛岡色の701系4連でしょうか。昼間の閑散時には2連が当たり前ですが、朝夕は概ね4両編成となり、発車間際には座席が埋まって立ち客もいるほか、土日ともなれば、盛岡方面から電車が着く度に、平泉観光を終えて首都圏方面に帰る観光客が、重い荷物を持ってドドドッと下車して新幹線方面へとなだれ込んで行きます。
 最近発売された昭和39年10月改正時刻表の復刻版を眺めていると、一ノ関駅を出入りする列車は特急・急行・準急のみならず、上野〜青森直通鈍行も複数運行され、そんな居並ぶ長距離列車に対応するための非常に長いホームが今日も残っていますが、一ノ関駅の場合は今や4連がMaxであることから、ホームの余った部分の手前には柵が設けられて立入禁止となっていることこそ悲しけれ。しかし、部活帰りの高校生や、平泉帰りの観光客でひとしきり賑わう一ノ関駅の光景を眺めるにつけ、時間帯によっては短距離大量輸送も必要なご時世に対応した701系も、これはこれでよく考えられた存在なのかも知れないと思ったのでした。
 というわけで、東北本線の終点・盛岡まで、そして一部列車についてはIGRの滝沢・沼宮内まで続く、盛岡色701系とともに歩く旅 (?) が始まりました。もっとも、本数の少なさに加え、線路と街道が若干離れている区間がほとんどであるゆえ、撮り鉄する機会は僅かなのですが (^^;)。

相鉄JR直通開始の朝 (2) E233系特急

2019-12-01 11:09:00 | JR発足後の車両


 昨日から始まった相鉄・JR直通運転のうち、相鉄側から発車する埼京線E233系の記念すべき一本目は、海老名6時28分発の大宮行き。既に相鉄側に送り込まれていたE233系がかしわ台から出庫して、海老名からいざ走り出した時間には、ちょうど日の出の頃を迎えて丹沢が最高に美しいモルゲンロートに染まり始め、埼京線E233系の相鉄直通を個人的に祝うには最高のお膳立てが揃いました。そしてカーブの奥から緑帯の編成が迫り、無我夢中で激写……! この記念すべき一本目の列車に、正面のLEDが切れにくい新造編成を充当して下さるという神対応もあって (運用担当者の方が意図されたかどうかは全く分かりませんが)、紅い丹沢をバックに、JR通勤電車史上初の「特急」(※) が駆け抜けて行くという、究極のシーンを撮ることが出来ました……!



 その約13分後に現れた二本目のE233系は、正面のLEDと一眼レフとの相性が誠に悪いタイプの編成で、表示は縦方向に切れ切れ (苦笑)。まぁ良いです。一本目が最高に上手く撮れましたので……。
 何はともあれ、このような線路配置と背景の風景の組み合わせは、埼京線にも川越線にもありません。疑いもなく、紛れもなく、相鉄の相模大塚駅そのものです。かつては厚木基地に出入りする米タンがED10に牽かれながらのんびりと入換を行い、私が小坊〜中坊だった頃には数え切れないほどチャリを飛ばして飽くことなく眺め続けた相模大塚。そして幾度となく相鉄ヲタを唸らせる撮影会が開催されてきた相模大塚……。そんな相模大塚の構内を、JRから直通してきた電車が颯爽と駆け抜けて行く時代となったのです。願わくば、このような光景を103系か205系で眺めてみたかったものですし、競演する相鉄の電車も先日引退した7000系よりも前の世代の車両であって欲しかったものですが、余り贅沢は言いますまい。
 というわけで、相鉄線内でのJR編成初撮りに大満足した後は (しかし気温は1度台で寒かった!)、これまた記念すべき海老名発川越行きで全区間乗り通すべく、海老名に向かったのでした。

(※) 国鉄時代には、阪和電鉄→南海山手線を戦時買収した阪和線で、戦後の一時期、旧型国電使用の料金不要特急が運転されていましたが、高度成長期以来の国鉄・JR通勤型車両の「特急」表示は疑いもなく、相鉄線内での特急扱いが初めてです。

宮城乗物縦断 (20完) 701系@有壁&一ノ関

2019-11-25 18:00:00 | JR発足後の車両


 くりはら田園鉄道の沢辺駅跡を過ぎ、金成(かんなり)の街を過ぎますと、奥州街道は熊が出そうな森や牧草地の中を進む山越えとなります。その後一旦、山里の絶景を楽しみながら長く下り、東北新幹線のトンネルを脇に眺めたところで再び森の中に入り、やがて仙台藩と一関藩の境にある展望台を過ぎると、どんどん下って有壁の宿場街に着き、JRの線路と直交します。ちょうど数分後に一ノ関行きの701系が来ることから、気合を入れて連写しまくって新元号最初の撮り鉄活動とし、その模様は既に当ブログでもアップしておりますが、宮城県内を南から北へずっと「徒歩鉄」して来た内容を連載してきたシメとして、連写したきり未アップだった画像もレタッチしてみました。



 有壁宿を過ぎると、奥州街道は本当に侘しい雰囲気の山の中に入り、熊除けの鈴をジャンジャン鳴らしながら進んで行きますと、ついに宮城県と岩手県の県境に到着〜。とはいえ、今や誰も通らず林道と化した道に、それを示す標識はなく、スマフォにインストールしたGPS地図アプリで県境越えを確認しただけです (笑)。その後はひたすら緩い坂を下って、やがてJRに沿って歩くようになると、一関の市街地に入って一ノ関駅にゴール! 1番線で折り返す仙台色の701系を撮りながら、白河から延々と続いてきた仙台色の世界 (寄り道も含めて計9日かかりました) がついに北端に達し、盛岡色の世界に入るのだなぁ……という感慨を抱いたのでした。
 その後、新元号になって最初の鉄道乗車を記念して、グランクラスをフンパツして帰る前に、軽く駅そばをすすって小腹を満たしたのですが (グランクラスで提供される和風弁当は非常に上品な味で悪くないですが、量は少なく、これだけですとすぐに腹が減ってしまいます)、2枚目の画面右に見える駅そば屋は、なかなか美味しくて満足です。ちなみに、北上駅新幹線コンコースの駅そば屋は、如何にもNREという感じで、単に腹の中に炭水化物を入れるだけ!という感じですが、盛岡駅ビル1F・駅前広場に面した駅そば屋は、NRE系でもやれば超〜出来るじゃないか!と感動するほど美味です (個人の感想です ^^;)。

 そしてつい先日、KATOの仙台色701系が発売されました。鉄コレの701系もなかなか良いと思いますが、KATOですので当然ライトが点灯し、車体の光沢やパンタ周りの造形も素晴らしい……。同じ「走るんです」な東急5000系列と同じく、実車よりも模型の方が遥かにカッコ良く見えるというヤツの典型ではないかと思い、奥州街道の福島&宮城ゾーンを完歩した思い出とともにウットリと眺めています (キモッ!)。