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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

イースタン・オリエント急行を撮る!

2015-03-18 00:00:00 | タイの鉄道


 日本国内の定期長距離夜行列車は次々に運行を終了し、これからは新幹線でなければJR各社ごとの超豪華寝台クルーズ列車が一般の注目を広く集めようという世の流れでありますが、個人的に各社の完成車や構想図を眼にするにつけ、外観・内装のいずれか、あるいは両方にデザイナーのクセがありすぎて何だかなぁと思うものであります。まぁ乗るなら、内装にクセがなく、明確な高級感を誰にでも提示するような車両ですが、その前に……そういう列車は一匹狼のヲタには用はございませんってか、スミマセンねぇ (鬱爆)。
 この点、超豪華列車の老舗・オリエント急行は万事ぬかりがないと思います。一生に一度は乗ってみたいと思わせる何かが確かにありますし、普段は地味な車両の模型ばかり漁っている私でも、KATOのオリ急N模型は持っていたりするのです (笑)。そんなオリエント急行がタイ・マレーシアのメーターゲージ上で運行しているのが、イースタン・オリエント急行!
 この列車の詳細は公式HPをご覧頂ければと存じますが、基本的にはバンコクとジョホールバルの間を、途中泰緬鉄道などに寄り道しながら3~4日かけて移動するようで、したがってバンコク界隈では8~9日に一度目撃できれば十分御の字という極めてレアな列車です。昨年ヤンゴン訪問ついでバンコク寄り道の際に日帰りで泰緬鉄道鈍行列車難行苦行をした際、途中でこの列車とすれ違い、思わず目の玉が飛び出そうなほどの衝撃を覚えたのみならず、彼我の明らかすぎる階級格差を痛感した次第……(笑)。



 というわけで、こんな列車はすれ違うだけでも十分にレアで宝くじ的イベントであるため、スケジュールを公式HPで調べて待ち構えるという異でない限り、撮影など夢のまた夢。況んや、そもそもダイヤ乱れはタイ国鉄の名物。全然来なくて途方に暮れることも珍しくはないのですから、事前に調べて炎天下待つなんてことはリスクが大きすぎます。したがって、そもそもこの列車を狙おうという発想自体、職業写真家でもない限り湧きません (^^;
 ところが何と……全く期待していないときに限って奇跡は起こる!! 何と、夕暮れ近くのド順光の中、バンコクへ向け到着直前のオリ急を撮ってしまったのです!
 ヤンゴンからの帰路、バンコクにて2泊3日寄り道しまして、昼過ぎにバンコク到着後とりあえず線路脇を訪ねてみたところ……午後から夕方にかけてバンコクに到着する列車は少なく、バーンスーからの送り込み回送を含めても30~40分来ないこともままあり、折からの炎天下、激しい挫折感を味わっていたのでした。「嗚呼しまった……やっぱバンコク昼過ぎ到着は止めときゃ良かった。列車が多くないのは分かっていたので、撮りバスの午後にすれば良かった。撮りバスならば片時も休まるヒマはないほど撮りまくりであるものを。しかし、狙いをつけて新規開拓したこの立ち位置、ド順光でサイコーなんだよなぁ……もっと列車来いよぉぉぉ~」……そんな文句をグチグチ垂れながら……。そしてついに日もだいぶ傾き、線路脇の木の影が激しく線路にかかりはじめ……敗北感は募る一方でした (この点ヤンゴンは、環状線・近郊線鈍行が多数設定されていますので、たまにバックリと間隔が開くものの、総じて本数の少なさによるストレスは少ないのです)。
 しっかーし! もう一本何か来るまで待とう、と粘っていたところ、遠くから旧塗装罐が現れ、これだけでも十分御の字ですが、その後ろに連結されている客車は紫色でも銀色でもなく……濃緑のツートンカラーの丸みを帯びた車両!!! 周囲に人がいないのを良いことに、ファインダーを覗きながら思わず「うわーーーっ!オリ急来たぁぁぁぁっっっっ!!!」と絶叫!(^^;) 結局、この日の午後のバンコク撮り鉄は、この一瞬のためにあったのであり、この一本を撮っただけでも十分意味のあるバンコク訪問となったのでした (笑)。
 もっとも、出来れば泰緬鉄道で撮りたいなぁ~。


ST368



BR389



SE339



RS392



PN393



RS399



SD313



SD388



OB398



 なお、編成写真を撮った直後は余りにも気分が動転して、速攻で標準ズームに交換して形式写真を撮った方が良いと判断する余裕がありませんでしたので、前の方の車両は撮りそびれましたし、ふと気が付いて一両ずつ撮り始めてからも結局70mmからの望遠ズーム×1.6 (APSサイズセンサー) で112mm相当となってしまいました。しかも超カツカツ……お見苦しい画像で恐縮です。個別の車号のアルファベットは何を意味しているのか、「RS」以外はよく分かりません。悪しからず……(^^;


タイ国鉄のGE製古典DL、あと2~3年で見納め

2014-09-08 00:00:00 | タイの鉄道


 東南アジアの鉄道が少しずつ確実に変わっているのは、半世紀以上前の日本製旧型客車が未だに第一線でゴロゴロ走っているタイとて全く同じようです。先日、中国の鉄ヲタサイト『北京鉄路車迷網』を閲覧していたところ、ここ2~3年来話がありながら延び延びになっていたタイ国鉄の中国罐購入話がこのたび正式にまとまり、10月に第一陣がタイに到着するようです。最近、タイで軍政が発足して以来、国際的批判に晒された軍政と中共が接近しつつあるといわれ、それがタイの高速鉄道計画にも影響を及ぼす可能性あり……という話が伝わりますが、今回のDL購入話はまぁとりあえず以前からの話であり、直接軍政云々とは関係ないでしょう。しかし、もし性能面で安定し、タイ国鉄が今後中国の鉄道技術に依存してもOK、マイペンライ~♪と思ってしまうとしたら、日本の市場開拓にも影響が出ることでしょう。頑張れパープルライン!



 それはさておき上記サイトには、既に南車・戚墅堰で落成したDLの画像が掲載されています (形式は5101形となる模様)。黄色と花紺色のド派手な箱形罐ですが、基本的に中国のDLのデザインはそれほど悪いものとは思いませんので、まぁしゃぁ~ねぇ~なぁ~という感じです (某ウリナラ製の機関車よりは全然マシ、ということ)。そして、驚いたのは意外とチープで貧弱なスペック。とりあえず書き込まれている内容によると、電気式ではなく液体式で、最高速度は100km/hとのこと。要するに、昆河線のメーターゲージ液体式DL・東方紅21のすっかり古く成熟した技術をそのままリファインしただけで、新たな技術的イノベーションは何もないようです。まぁ、安くても安定したDLを購入したいタイ国鉄と、なるべく失敗とはほど遠い技術を売りつけることで得点を上げたい中国の鉄道産業の利害が一致した結果とみるべきかも知れません。
 そこで、鈍足で非力な罐が入るということで、基本的にはローカル客車列車や貨物小運転を中心とした運用に入るのでしょう。まぁ、置き換える対象であるGE製の古典罐4001形がそのような使われ方となっているため、丁度良いといえば丁度良いということで……(そこで最初からスペックダウンで割り切ったと解釈することも出来ます)。すると、自ずとナムトク線列車をはじめバンコク界隈でも急速にこの新型非力中国罐が存在感を増すことが予想されるわけで、今年は20両、来年と再来年は約20両前後入ることによって4001形を全廃するとのことですので、この古典罐を撮りたい方はお早めにどうぞ……。軍政になってから撮影されたクルンテープ駅の画像も結構ネット上にあるようで、軍政はどうやら撮り鉄に対して手荒な態度には出ないものと思われますし……(もちろん個別の場面ごとにご判断下さい。制止されて撮れないという事態があっても当ブログは責任を負いません)。


泰緬鉄道の旅 (6) 旧塗装のGE罐

2014-06-29 00:00:00 | タイの鉄道


 今回バンコクから泰緬鉄道の現存区間を往復した際には、タイ国鉄の現役罐のうち最古参の部類に属するGE形が牽引した次第ですが、やって来たのは結構派手な新塗装罐であったことから、「嗚呼……やっぱ既に結構塗り替わっているよなぁ。こんな年代モノのデザインの罐が残っているだけでも有り難いと思わなければいかんなぁ」と思ったものでした。しかし、帰路カンチャナブリーにて、大いに一泡食わされるシーンに遭遇……。
 暑季の昼間の鈍行旅は、慣れない者には誠に過酷なもので、カンチャナブリーに着いた頃には既にグッタリ。とにかくひたすら淡々と走ってトンブリーに着いて欲しい……ということのみを思っていたのでありました (苦笑)。しかし、ただでさえカンチャナブリー到着時点で45分ほど遅れていたのに加え、結局夕方のナムトク行との交換もカンチャナブリーで行うことになったため、定時とそれほど変わらない時刻で走っているナムトク行の到着を優先させて、結局カンチャナブリー発車は1時間20分遅れ……。そこで、もし体力的に余力があれば、ナムトク行の入線をド順光で撮ってやるところでしたが、とにかく面倒臭いため、車内からボーッと入線を眺めるのみ (ヤル気無ぇ~^^;)。しかし……何と!ナムトク行の牽引機はGE形の旧塗装罐ではないか!! あー、最初から分かっていれば、下りホームで待ち構えたのに……(ツブれ気味な側面をレタッチで破綻を避けつつ明るくするのは苦労しました。-_-)。



 ともあれ、自分の列車の罐はハズレ、あちらの列車の罐は当たり、という事実を目の当たりにするにつけ、一体全体このGE形はどれほど旧塗装で残っているのか……?という疑問で脳内がグルグル (汗)。その答えは、翌朝北本線・東北本線の列車を撮影した際に明らかとなりました (2枚目の画像)。何ぁ~んだ、新塗装の方が少ないらしいな……ちぇっ (鬱)。恐らく、今年予定されている新型罐の導入 (インラック政権らしくC国製?) によってGE形に大量廃車が出ることを見越してのことでしょうが、今やクーデタでインラック政権時代の諸々の大規模契約をチャラにする話があるとかないとか (軍は反タークシン派の傾向あり)。というわけで、この旧塗装罐の今後は果たして如何に?

 それはさておき、ようやく発車したトンブリー行は、既に夕方にさしかかってしまったため涼風の中を淡々と走ります。もしこれが定時通りで、バンコク付近で涼風を感じるのであれば、怒濤の鈍行旅の心地よい余韻に浸る……という感じではありますが、これほど大幅に遅れると空しい夕風としか思えません (苦笑)。その後ノーンプラドックで南本線に合流すると、今度はクルンテープを夕刻発車して続々と南部諸都市に向かう優等列車との交換待ちラッシュに遭遇してしまい、遅れはますます拡大する一方……(泣)。ナコンパトムを明るい時間に通過するはずが、いつの間にか巨大仏塔がライトアップされて夜空に浮かんでいるという頃合いとなってしまいました。しかしそこまで暗くなりますと、一気に夜汽車モードに突入……! 古き良き客車鈍行の情緒を心の底から味わうひとときは怪我の功名と呼ぶべきかも知れませんが、ようやくトンブリーに着いたのが20時10分頃で、何と約2時間半遅れとなりましたので、さすがにグッタリと疲れました……。トンブリーからナムトクまでは片道200km程度ということで、定刻走っても往復10時間、今回は往復12時間! さすがに鉄ヲタであっても疲れました (滝汗
 何はともあれ、こうして敢行した泰緬鉄道=タイ国鉄ナムトク線を行く旅。戦争の記憶はさておき、とにかくタイに殺到する外国人の激増をうけ、すっかり観光列車化し、席取り合戦という平和な戦いが日々繰り返されているという生々しい現実を目の当たりにした次第です。はぁ~、出来ればナムトク行の発車時間を7時半よりも前にして欲しいですね……。そして、本当にナムトク~タンビュザヤ間が復活するのかどうか、全く見当もつかないという結論です (汗)。


 ニスではなく明るい茶色のペンキですが、素晴らしい雰囲気です♪



 ロングシート化された1949年製客車。まさにオハ41のノリ……!



 マッカサン工場製の日本10系客車タイバージョン車内。
 こういう夜汽車の雰囲気が本当に恋しい……。


泰緬鉄道の旅 (5) ベルギー製古典客車

2014-06-25 00:00:00 | タイの鉄道


 先日久しぶりに3月のヤンゴン鉄活動記録をアップしたついでに、そういえば帰路にストップオーバーしたバンコクでの鉄活動記録も間が開いてしまったことに気が付きました。そのあいだには周知の通り、タイで政変が……。まぁ総じて平静であるとはいえ、政変の前と後では長い時間が過ぎ去ってしまったかのような錯覚がしなくもありません (滝汗)。それでも、少しでもタイの事情が良い方向に向かうことを願って、3月の記録のつづきと参りましょう。
 さて今回、泰緬鉄道=ナムトク線の旅を楽しむにあたり、当日利用した4連のうち旅客が利用できた3両は、旧塗装を維持した日本製客車(10系客車風の客車は日本からのライセンス・部品供与でマッカサン工場にて製作)であったわけですが、業務用スペース&僧侶専用スペースのため利用できなかった新塗装車は、恐らく1949年製のロングシート改造客車をしのぐ最古参客車(戦前製?)なのではないかと思います……。台枠が露出し、優雅に弧を描いた屋根端。そして、堂々たる大きさの窓……。そこでその素性をネットで調べたところ、どうやらこの客車は戦前ベルギー製の最後の生き残りであり、同じ車両が数両現存するうちの一両とか何とか……! そこで確かに言われてみれば、世界に冠たる欧州の豪華列車・オリエント急行の車端部形状を激しく思い出すではありませんか! 乗ることは出来ませんでしたが、そんな客車と遭遇出来ただけでも儲けものでしょう~。



 それはさておき、ナムトク発では罐をバンコク側に連結するのを撮り終えたのち即座に列車に乗り込み、実際に間もなく発車……(滝汗)。折角雰囲気が上々な山間の小駅という風情であるのに、ロクに駅前散歩する時間もなければ、高い位置に留置されているもう1本の編成(ノーンプラドックを早朝に出発し8時台にナムトクに着いた後、夕方まで留置)をのんびり撮影するヒマもなかったということで、何とも後ろ髪を引かれる思いです。こんなドタバタを避けるためには、カンチャナブリー、またはナムトクの手前のワンポーに連泊し、2泊3日ほどかけてじっくりと乗り鉄・撮り鉄・駅前散歩などを楽しむことが必要なのかも知れませんし、週末のみ運転されるクルンテープ発ナムトク(サイヨーク・ノイ)行のDC観光列車を利用して末端部での時間を稼ぐのがベターなのかも知れません。
 何はともあれ、こうしてバンコクへの帰路に入ったあとは、午後の最もクソ暑い時間帯であることに加え、カラッカラな季節につき盆地の中に大量の土埃や焼畑の塵などが残留しているため、もうとにかく暑熱と埃のダブルパンチに参ってしまい、ボックスシートでグッタリとしてしまいました (苦笑)。カンチャナブリーに着くまで、まともに目が覚めていたのはタムクラセー桟道橋とクウェー川鉄橋を通過する際くらいか……。なお帰りの列車は、タムクラセー~ターキレン間を除けば、往路のように混雑することはありません。


 クウェー川鉄橋を渡ったところ。白人女がデッキから足を出しまくり。



 爆薬節約のため人海戦術で削り出したというチョンカイの切り通し。



 タムクラセー(アルヒル)桟道橋ゾーンの全貌!



 これまた岩を削った壮絶な区間……。



 帰りも再びタムクラセー桟道橋を撮る!



 帰路のクウェー川鉄橋手前の風景。雨季の方が絶対キレイだなこりゃ……。


泰緬鉄道の旅 (4) ついに核心部へ!

2014-05-05 00:00:00 | タイの鉄道


 カンチャナブリーにて、トンブリーからの4連を置き去りにした罐は、一旦転線して5連の特別車両を迎えに行き、5連まるごとナムトク側に引き出したのち推進運転で4連に連結、計9連の客車でナムトクを目指すことになります。しかしまぁ、一般車両より特別車両の方が長いとはこれ如何に……。それほど、カンチャナブリー及びクウェー川鉄橋における団体客の着席需要が絶大となっていることを意味しているわけですが、特別車両といっても別段デラックスな調度品があるわけでもなく、完全に一般客車と同じです (苦笑)。これで、多少の茶菓が付くとしても300バーツとは高いよなぁ……(まぁ日本円に換算すれば1000円強で、タイの他の公共交通運賃と比較すればオソロシク高いなぁ、というだけの話です)。それでも外国人観光客がワンサカと乗るからこそ、タークシン及びインラック政権による貧民優遇・超低額運賃に苦しむタイ国鉄も味を占めているのでしょう。
 なお、カンチャナブリー発車時点で、特別席にありつくことが出来なかった団体客が一般車両にも結構乗ってきまして、既に立ち乗り多数。これに対して特別席はかなり余裕があります。しかし……特別席の指定をゲットしているからこそ悠々とクウェー川鉄橋観光に興じることができた客が、大挙して橋の手前のホーム(周囲の土産物屋とホームが完全一体化!笑)にて待ち構えており、私が立っていたデッキのすぐ隣の特別車デッキには、如何にも大人しそうな日本人観光客の皆様が乗り込んで行きました。同じ日本人でも、指定席で優雅に旅を楽しむパンピーの皆様と、デッキに仁王立ちして最高度の緊張状態に突入している筋金入りヲタの私では、全く境遇が違うことこそいとをかしけれ!(笑)



 しかし、デッキ仁王立ちには究極の理由があるのです! 泰緬鉄道のハイライトであるクウェー川鉄橋およびタムクラセー桟道橋を通過する際、客車の窓から身を乗り出して通過シーンを撮ろうとすると、どうしても身を乗り出す度合いが制約されるだけでなく、他の窓から身を乗り出しているヤツに眺望を阻害されることになります。しかし、デッキのステップ及び握り棒という特等席を独占していれば、それこそ大きく身を乗り出して最高の展望を享受出来るというものです!! (良い子は絶対に真似しないように!!)
 そしてもう一つ、デッキに立って激しく正解だった!と痛感する展開がやがて巡って来たのでした……。クウェー川鉄橋を最徐行で通過し、往時の悲惨な歴史もどこへやら、すっかりテーマパークと化した鉄橋界隈の風情を楽しんだのち、注目する人がほとんどいないチョンカイの切通しが目前に迫るスリルを味わい、その後約1時間ひたすら山里の風景の中を走り(意外にも線形が良いことに驚かされました)、ついにタムクラセーの手前の交換駅・ターキレンに到着……というところで、何と!ホームには又しても黒山の人だかり! それは全て某ウリナラ観光客の大集団であり、しかも席にありつこうと殺気立った形相をたぎらせており、車窓越しに既に車内が満席・立ち客多数であることを確認すると、さらに血相を変えて「チョギヨ!」「パルリパルリ!」と、いつものデカい声で右往左往! そして、日本人観光客が多数で静かな雰囲気だった隣の特別車両(勿論全席指定席で、既に満席)にも乱入していったのでした……。某ウリナラに愛想を尽かせてタイを旅行先に選んだ方もいるであろう日本人ツアーの皆様は恐らく苦虫をつぶしたでしょうし、車内はきっと日本人と某ウリナラサラムのあいだで冷戦状態だったはず……(滝汗)。

 それにしても、某ウリナラから来た観光客が泰緬鉄道を見物するということは、なんちゃって戦勝国気分に浸りたいとゆーことなんだろーか、と思わざるを得ません。旧連合国からの観光客であれば、自国の軍人が嘗めた辛酸をしのぶ旅という意味があることは間違いないでしょうし、タイをはじめ東南アジアからの観光客であれば、日本に徴用された労務者の苦難をしのぶことにもなるでしょう。また中国からの観光客であれば、南洋華人がやはり労務者として動員されたという経緯や、泰緬鉄道の一大建設目的が援蒋ルートの遮断であったことからして、抗日戦争の延長として当時の日本vs連合国の戦いの事績を見物するという動機もあるでしょう。そして日本人としては、これほど壮絶な路線を短期間で建設した日本はやっぱスゴい!と半分思いつつ、同時に悲惨な戦争は二度と繰り返さないという思いも強く抱くことになるでしょう。しかし……某ウリナラは当時、まさに日本臣民の一部分として、連合軍捕虜や労務者を監督し酷使する軍属という役回りとなり、BC級戦犯として処罰された人々も多かったことから、泰緬鉄道訪問は日本人とは比べものにならないほど何とも居心地の悪いものであるはず(日本軍に命じられるままに厳しく捕虜に当たらなければならなかったということもあるでしょうが、その一方で日本が掲げる大義を真に受けて、日本に認められるためにも日本人以上に厳しい態度に出た軍属もいたことでしょう。某大統領の父親が日本人以上に模範的な帝国軍人であろうとしたように)。そういう後ろめたさもあることから、なおさら「なんちゃって戦勝国」としてイルボンを叩き、得意な気分ではしゃぎたいのでしょうが、それはちょっと歴史認識としてはどうよ?と思うのですなぁ(まぁどうせ、全てはイルボンが悪い!と言って済ますだけなのでしょうが)。

 をっと乱筆失礼。何はともあれ、トンブリー発車時点での余りの混雑ゆえに、「これは政情不安と関係なく泰緬鉄道は外国人観光客で凄まじく混む。とくにカンチャナブリーから先はヤバいな」とにらみ、デッキという名の特等席を確保し、凄絶な喧噪のるつぼと化した車内とは一切無縁な状況で絶景を楽しんだ私は究極の勝ち組♪ 列車通過で「ギギギギ……」と木がきしむ音がモロに響くタムクラセー桟道橋の最徐行通過を最高に満喫し、桟道橋駅で団体客やトンブリーからの白人客がほとんど下車して車内がスカスカになったあとは、ロングシートに悠然ともたれかけ、昼過ぎの猛烈に暑そうな車窓風景を眺めつつ、ついに終点のナムトクに到着!! 結局、定刻よりも約40分遅れを挽回できず、到着時には既に本来の発車時刻を過ぎていたため、すぐに始まった機回しを横目に速攻でトンブリーまでの切符を購入後、トンブリー側に罐が連結されるシーンを激写したのでした……。