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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

タイ国鉄・東本線鈍行の旅 (下)

2015-05-23 00:00:00 | タイの鉄道


 昨日の日経新聞では、懸案であったバンコク~チェンマイ間の高速鉄道案件を日本が請け負うことになることがほぼ決まった旨が報じられていました。採算性の問題は引き続き大きな課題として残るでしょうが、まずは目出度い話です。
 そんな折も折、先日たまたま東京で、タイ人と酒を飲みながらタイの現状について思う存分話をするという貴重な機会があったのですが、とりわけ鉄道については以下のような意見で、なるほどなぁ……と思いました (その人は極めて明確な反タークシン派。但し非鉄)。覚えている限りの内容を備忘録として記しておきます。

 * 鉄道インフラは本来、タイ国家の根幹をなすべきである。それが現状のような、時間が数十年来止まったかのような陣容であるのは何とも残念な限り。
 * しかし長年タイの鉄道は、極めて安定した国営部門であったため、想像を絶する縁故採用によるコネの泥沼と化しており、なかなか自己変革がなかった。
 * そこにタークシン派のポピュリズム政治が加わったこともあり、国鉄運賃が他の物価と比べて不当に安く抑えられすぎている(このことは確かに、乗ってみれば明らか)。しかも普通列車運賃国民無料化政策とは! 貧民に迎合しすぎて設備投資するカネもなかなか無く、高速バスに客を取られるばかりで、まともに競争力のある鉄道産業が育たなくなってしまっている。利用客も利用客で、列車に乗ったら後は目的地に着いてくれれば良いという期待しかないため、遅れについては全くどうでも良く、それがなおさら国鉄の奮起を促さないことにつながる(事業者も客も揃ってマイペンラ~イ……というやつか!! ^_^;;)。
 * 日本の技術でバンコク・チェンマイ間に新幹線を整備したり、アランヤプラテート~バンコク~ダウェー間の東西回廊を物流ルートとして整備するのは最高に大歓迎だ。いっぽう雲南~ラオス~イーサーン地方~バンコク間の高速鉄道は中国ということになりつつある。軍政は大型インフラ案件で日本と中国を競わせ、日中ともにその競争に乗っかっているわけだが、これはタイを地政学的な草刈り場として荒らしてしまう危険なゲームになってしまうので歓迎できない。日中どちらかにしてくれ。自分はもちろん日本派。中国の高速鉄道なんて、ただでさえ衝突したら土に埋めておしまいだというのに、それをタイに輸出したらますます無責任な劣化品を安く造っておしまいだろう。



 ……とまぁこんな感じで、私もタイとの密接な関係がますます強まると良いなぁ~と思うのですが、そんな将来の日泰協力の目玉の一つになりそうな東本線は、当面イタリアの援助で軌道改良が進みつつあるとはいえ、依然として昔ながらの雰囲気です。アランヤプラテート駅の雰囲気も機回しシーンも、あくまでのんびり、超まったり……。線路に下りて写真を撮っていても文句を言われないどころか、帰りの列車の検札時には1度「ああ君ね」と確認したあとは顔パスになってしまいました (あくまで今回はこうだった、ということで……常にそうだとは限らない旨をお断りしておきます)。撮り鉄・乗り鉄している限り、軍政のグの字も、戒厳令のカの字も感じられないのがタイという国です。
 しかし、往路のアランヤプラテート行と比べ、復路のクルンテープ行では、一般の客に対する身分証チェックが入るようになりました。その一因はカンボジア人の出稼ぎ密入国対策でしょうが、別の一因としてベトナム~カンボジア~タイ~マレーシアというルートが、中国新疆から逃れて来たウイグル人の亡命ルートになっているからではないかと思われます(したがって、顔立ちがウイグル=トルコ人と似ている西洋人もかなり綿密に調べられていました)。
 そんなピリピリした雰囲気も、鉄道警察や乗務員による改めが済めば何処吹く風。午後のどうしようもなく暑い車内にも、やがて3時を過ぎると涼しい風が吹き始め、個人的に熱帯の旅で一番好きな時間……夕暮れとなりました。製造から約65年となった半鋼製の車内はオレンジ色の斜光線に照らし出され、車内の人々は暑さに疲れた体を夕風に委ねて心地良い眠りに……。そしてひたすら、乾いたジョイント音が車内に鳴り響きます。そう、この旅情あふれるひとときを全身で感じるために、まる一日ハードな炎天下の汽車旅に耐えてきたというものです!
 やがてチャチュンサオを過ぎると、周囲はすっかりパステルブルーに染まり、屋台の裸電球が線路脇を照らすバンコク市街地に入ると短距離の帰宅客も乗り込んで人口密度が上がります(アランヤプラテートからの帰路は、往路よりも全然空いていたのですが、それはまぁ恐らく、「移動は涼しい午前中に」という人が多いためなのでしょう。そういえば昨年泰緬鉄道に乗ったときもそうだった)。そして19時40分、定刻と大して変わらないタイミング (タイ国鉄にしては珍しい)でマッカサンに到着! 残り僅かな道中となった列車が発車するのを見送りつつ、徒歩10分ほどで空港鉄道のラーチャプラロップ駅界隈にある宿に着き、怒濤の一日を締めくくったのでした。

タイ国鉄東本線で事業用車を愉しむ

2015-05-12 00:00:00 | タイの鉄道


 屋台風調理車? これを模型化しようという猛者大募集!! (^^;



 木造車を戦後日本製客車近似のデザインに鋼体化したと思われる車両。



 こちらは日本製客車を宿営車にしたバージョン (?)。色が結構良い。



 この事業用罐、凄くカッコ良い! 

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 昨晩のテレビ東京『未来世紀ジパング』日本鉄道技術特集では、冒頭にタイの24系客車の映像が流れ、バンコク~チェンマイの13/14レで現役であることが分かって良かった良かった……♪ というわけで、今年3月のタイ画像の続きです。しかし豪華さや快適さとは対極の世界……(^^;
 今回楽しんだタイ国鉄・東本線鈍行の旅は、大幅な軌道改良工事たけなわということで散々徐行運転しまくり、砂埃のひどさとアランヤプラテートでの時間の無さに悩まされた次第ですが、そんな無聊をある意味で慰めてくれたのが、軌道改良工事のために雲集していた事業用車の数々です。上の3カットはチャチュンサオ及びプラチンブリーでの撮影ですが、こんなヴィンテージ級の客車や超ヘロヘロ趣味を激しく刺激するナゾ車両を目にして、アランヤプラテート到達を今回は諦めて途中下車してしまい、しゃぶるように激写したい……という衝動にどれだけ駆られたことでしょうか! (笑) 
 そして……道床用砕石の積み出し基地が設置されているノーン・サン駅では、「こんなカワイイ罐があったのか!」と鼻血が出そうなキュートな罐 (3000形?) がホキ (?) を連結してスタンバイしていました。しかし、既に列車が走り出した後で、今さら飛び降りるわけにも行かず……。
 先日も記しました通り、今回はキハ58流用の宿営車を拝むことは叶わなかったのですが、こーゆー濃いぃ事業用車めぐりの旅をやってみるのもバンコク訪問の悦楽なのだろうと思った次第です。まぁその際には、事業用車常駐駅が何処かを把握したうえで、少ない旅客列車をどのようにはしごするかを悩まなければならないのですが……(汗)。

タイ国鉄・東本線鈍行の旅 (中)

2015-05-09 00:00:00 | タイの鉄道


 早朝5時過ぎから(あるいはもっと前から?)既に三々五々客が埋まりつつあった東本線・アランヤプラテート行の車内は、発車間際になると遅れてやって来た西洋人バックパッカーでいよいよ盛況となりました。カンボジア、そしてベトナム南部へと陸路で移動する彼らは、若者ばかりというわけではなく結構なオッサン・オバサンもおり、長いバカンスを問答無用で取得できる国はうらやましいのぅ……と思うわけですが、それにしても彼らの出足は遅すぎる。どうせ鈍行列車なのだから、発車直前でも余裕余裕♪と思ったのでしょうが、軍事クーデタで潰されたタークシン家が地方貧困層からの人気取りで始めた3等鈍行運賃国民無料化政策(但し、国鉄には発券分の運賃が国庫から支給されるため、無料とはいえ事前に窓口で身分証を見せて切符をゲットしなければなりません)によって、総じて鈍行列車は空いていないという印象を受けます。というわけで、哀れな西洋人に残された席は、常時南側になる難行苦行席……(笑)。酷暑に慣れていない西洋人にとってこれは地獄! 実際、乗車直後は多少はしゃいでいた彼らも、やがて陽が昇ってくると押し黙ったような状態に……。皆様、過去のタイ鉄道関連本に、ガラ空きの鈍行に関する記述や写真が載っているとしても、上記運賃タダ政策が続いている限り、ゆめゆめ油断してはなりませんぞ!



 それはさておき、まだ暗いクルンテープ駅の操車場を、右に左に留置中車両を眺めつつ抜けると、すぐにウルポン停車場(分岐点)に停車~。さらに三々五々客が乗ってくる一方、裸電球に照らされたスラム街の屋台から生暖かい湯気が上り、バンコクの日常がまた始まろうとしていました。さらに東本線に入ると、ひたすらエアポート・リンクの高架線の下を、やや申し訳なさそうに前進 (運賃も車両のグレードも天地の差ですので ^^;)。但し、短距離客であっても、「たまにしか来なくても運賃がタダな方が良い」というわけで、車内はあっという間に大盛況~。各駅で通勤通学客は入れ替わりつつ、やがてラーックラバンでエアポート・リンクと分かれて、一面の水田の中を飛ばすようになりました。
 途中、フアタッケにて、ネットで確認したキハ58流用の宿営車が留置されていないものか……と目を凝らしたところ、うう……いなくなっている……(TT)。
 というわけで朝8時前、チャチュンサオに到着しますと、客の半分くらいは入れ替わりましたが、依然として混んでいることには変わりなし。95%くらいの席が埋まっているような感じです。ここからはバーン・プルタルアン方面へのデラックスな線路(サタヒープ線。但しほとんど貨物用。旅客は平日に1日一往復のみ)と分かれて一旦北上、さらにクローン・シップカーウにて東北線への短絡用貨物線と分かれ、カラッカラに乾いた暑季のサバンナのような風景の中を東へ向かいます。途中、プラチンブリー及びカビンブリーといった駅では、そこそこ客が入れ替わるほか、如何にもタイの田舎街といった雰囲気ののんびりとした市街が広がっており、ホッと一息つくものの、それ以外の駅はホントに寂寥感が漂います。それでも、有人駅であれば、プミポン国王の肖像が恭しく飾られているのをはじめ、非常に美しく好感が持てるのがタイの駅というものです。
 いっぽう問題は……ちっとも列車が飛ばさず、やがて1時間半近い遅れになってしまっていること (T_T)。日本政府が大々的な改良に興味津々な東本線、当面はイタリア政府の援助が入って路盤改良が進んでいるようなのですが(少なくとも沿線の施工関連看板を見るにつけ)、夜間工事が終わった後の午前中の列車は地固めを兼ねているようで、あちこちで超徐行運転……(号泣)。とにかくディーゼル煤煙と砂埃の組み合わせがヒドいだけでなく、全く遅延回復の意志もないため、「あ~あ、アランヤプラテートで街をブラブラし、国境まで往復するヒマがなくなっちまったぜ……」と苦笑するしかなかったのでした。
 とまぁこんな感じで、いよいよ人口密度が減り、一駅間に15~20分かかるようになるとアランヤプラテートに到着! 1時過ぎの到着ということで、何と1時間半遅れ……。とりあえず写真をパチパチ撮っているうちに、ほとんどの客はすぐにトゥクトゥクの客となって国境方面へと消えてしまいましたとさ。
 ちなみに1枚目の画像は、コーク・マコークにて上りクルンテープ行きDMUとの交換待ちの間に撮影。2枚目はアランヤプラテート到着直後に撮影しました。

タイ国鉄・東本線鈍行の旅 (上)

2015-04-20 00:00:00 | タイの鉄道


 首都バンコクに古き良き頭端式の一大ターミナルを擁し、DLが昔気質の(日本人好みのデザインな)客車を牽引し、南北に細長い国土と首都を結んで走り続けるタイ国鉄……。しかし、そんなタイ国鉄が今後も変わらずに牧歌的な雰囲気であり続けるわけではなく、首都に関して言えばクルンテープ駅からバーンスー駅に拠点を移す構想があるほか(進展度は不明ながら確実)、未だ営業運転は始まっていないらしいものの中国罐の大量導入が始まり、客車についても中国製が間もなく100両以上入る予定であるなど(今回のロットは寝台車中心の模様。もし13・14レに依然として24系が用いられているとしても、中国客車の運用入りで確実に息の根を止められるはず……)、「ほとんど注目されてはいないものの、今のうちに味わえるものは味わっておけ」という状況となっています。さらにタイ軍政は、日本と中国を天秤にかけて、高速鉄道をなるべく有利なコストで造りたいと思っているわけで、10~20年というタイムスパンでみれば、首都の発展とは余りにも対照的に旧態依然としたタイ国鉄も大きく変わって行くのでしょう。 
 そんなタイ国鉄の路線網のうち、カンボジアに通じる東本線は、ポト派の苛政に由来する長年来のカンボジアの大混乱、タイとカンボジアの関係の宜しくなさ(とくにプレアビヘア寺院周辺をめぐる国境紛争)などもたたり、国境手前のアランヤプラテートで断絶して以来長い年月が経っておりました。プノンペンに通じるカンボジア側の鉄道も、国境のポイペトからシソポンまでは完全に不通、シソポンからバタンバンまでは稀に貨物のみ、バタンバン~プノンペンは混合列車が毎週1回のみ……という状況であったところ、山賊の出現による運休やら軌道保守の放置やらで、混合列車は完全運休となって数年が経ったとのこと……。



 しかしこのプノンペン~バンコクルートは、さらに東へ延ばしてベトナムのホーチミンシティ(城舗胡志明)、西へはミャンマーのダウェーへと結ぶことによって、東南アジア大陸部を東西に縦貫する一大物流ルートとして脱皮することが期待されています。勿論、既にハイウェイが明確に整備されつつある道路網に一日の長があるのは否定出来ないでしょうが、コンテナを大量輸送するならば鉄道にも商機があるわけで、とりわけ日本企業にとって、通関時間さえ短縮できればミャンマーやタイからの一大輸送路として有望株になる……云々と言われています。
 というわけでそのあかつきには、現在バンコクからカンボジア国境まで毎日2本の鈍行列車が走るのみの東本線も、激しく変貌を遂げることでしょう。あるいは、既に変貌が始まっているのかも知れず……。しかし少なくとも、旅客列車が日本製(一部ノックダウンでマッカサン工場製)旧客で走っているうちに、昔ながらの風情を味わっておくに越したことはありません。
 先日アップしました、クルンテープ駅のドーム下に佇む12・14系ラッピング車の姿は、アランヤプラテート行の東本線鈍行客レに乗るついでの撮影……(^^;)。アランヤプラテート行は早朝5時の時点で既に車内に入ることが出来、とりわけクッションが効く椅子を装備した車両から長距離利用のタイ人乗客で早くも埋まって行きつつあるため、12・14系を撮影したあと罐の連結シーンを撮影し終えるまでに、他の板張り座席車 (1950年前後に日本で製造)のボックスが埋まってしまわないかとヒヤヒヤものでしたが、5時半前に罐が連結され、しかも4100形DLのトップナンバーが本務機ということでガッツポーズ! その後も首尾良く、基本的に北側となるボックスをゲット! 一息ついたところで持参の菓子パンを頬張り、古き良きホームの雰囲気と徐々に混雑し始めた車内(発車間際に、カンボジアへと抜ける白人老若男女バックパッカーがワンサカと乗車……あんたら金持ってるくせに貧乏旅行好きやねぇ~。笑)をぼんやりと眺めつつ、5時55分の発車を待ったのでした (つづく)。
 
 ちなみに、クルンテープ発午後のアランヤプラテート行は日本製ディーゼルカーのTHN系で運転され、しかも4連ですので非常に混雑します(客レは6連)。客車鈍行で東本線を乗り通したい場合は、クルンテープ早朝発が唯一の選択となります。
 あと、この撮影は三脚不使用。フルサイズデジ一眼の高感度対応能力に感謝!

タイの12・14系観光ラッピング車

2015-04-15 00:00:00 | タイの鉄道


 タイにおけるJR中古客車群の活躍は先日アップしました通り、毎日運行の定期列車としてはノーンカーイ急行に用いられるオハ12改め2等冷房座席車が最後になってしまったと思われるのですが (嗚呼……何とか13・14レでも生き残っていて欲しいものです)、貸切運転用の豪華車両として改造された車両が常時クルンテープ駅の片隅にてスタンバイしているのは、既にバンコクを訪れる鉄ヲタの間では有名な(?)話かと存じます。したがって、クルンテープ駅を訪れさえすれば余程のことがない限り、古き良き駅構内に佇むこれらの車両を眺めてしみじみとした境地に浸ることができますが、通常であればこれら貸切豪華車両は構内の一番脇の普段ほとんど使われていない線路に放置され、そこは往々にして余り撮りやすくないという問題もあります。



 ところが何と! ヤンゴン遠征を終えて帰国ついでにバンコクに寄り道し、イースタン・オリエント急行を激写して満足のうちに眠りに就いた翌朝、4時に起床して身支度ののちクルンテープ駅にタクシーを飛ばしたところ (渋滞とは一切無縁の時間帯につき、宿泊しているラーチャプラロップ駅界隈からクルンテープ駅まで15分少々で着いてしまい……速い速い♪)、巨大ドームに覆われた頭端式ホームの非常に目立つ位置に、クルンテープ~ナコーンパトム~ホアヒン観光ルート宣伝ラッピングを施された12・14系各1両がドーンと鎮座しているではありませんか!! もう思わず眠気も吹っ飛び、様々な角度から激写!したことは言うまでもありません (笑)。恐らくタイ国鉄としても、稼働率が低い貸切車両をもっとアピールしたいのでしょう……。というわけで、次回訪れる際には是非この位置に、展望車化された24系客車を置いて頂きたいものです~。
 ちなみに、何故そんな早起きをしてクルンテープ駅に至ったのか……その理由はまた改めて。埃まみれの難行苦行に敢えて挑み悶絶するという狂気の至りな一日を書き連ねるつもりです (^^;)。