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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

タイ国鉄激変前? (5) 10系風3等客車

2016-05-29 00:00:00 | タイの鉄道


 客室側窓10枚の車両 (洗面所無し?)……BTC1028。



 客室側窓9枚の車両 (洗面所あり)……BTC1350。



 腰回りにグレー帯・黄色は細帯……BTC1206。



 12系のクーラーを流用? 電源荷物車……BFV1024。

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 日本国有鉄道消滅という取り返しの付かない天変地異から来年4月で30年。道理で、電車や気動車も含めて国鉄型車両が加速度に減りつつあるわけで、鉄ヲタ界一般における国鉄型車両飢餓現象はますます深刻になっているように思われます。
 それを象徴するのが、去る4月下旬に運行された大井川鐵道のEL牽引・午前中から夜まで旧型客車乗りっぱなしツアーでしょうか。他のあらゆる脚色を廃し、釣掛サウンドを発する罐が率いる客車列車に純粋に揺られ続けて弁当をつつくというもので、しかも1人1ボックスで相席無し保証付きということですので、かつてワイド・ミニ周遊券や18きっぷで旧客の旅をしたことがあるヲタでしたら誰もが飛びつかざるを得ない内容……。勿論、大井川・津軽鉄道(冬季限定)で旧客は定期的に運転され、JREでも臨時列車で旧客が動員されることもありますが、大井川にせよ津軽にせよ乗車距離は長くなく、JREの場合相席必至ですから (見ず知らずのヲタが4人も1ボックスに詰め込まれる列車に、私は乗りたくない)、今回の大井川の徹底的にヲタ目線に応えた企画は、もう一度でも良いので1ボックスを占拠して長距離客レの旅をしてみたいというあらゆるヲタの願望を叶えるものでしょう。しかし果たせるかな、倍率は凄まじくなり、抽選外れで死屍累々の惨状となったとか……。今後も何度でも催行して下されば、ツアーバス問題以来経営が極度に不安定化している大井川鐵道にとって福音の定番となるでしょうが、ちゃんと頻繁に催行して頂かないと、何度でも乗りたいというヲタの応募殺到を捌き切れず、さらに欲求不満の死屍累々を重ねてしまう恐れがあります。
 そして、諦めた人は台湾の南廻線へ……。しかしその南廻線にしても、いくら風光明媚な中をスハ44風車両で旅することが出来るとは言え、乗車時間は必ずしも長くないため、「もう終わりかよ」という遺憾は残ります。東部・西部幹線で平快車が走っていた頃までが華だったのですが、その当時台湾旧客の魅力を知っていた日本人ヲタは僅少……。一方、そんな台湾の旧客も、いつまで毎日運行を続けるか分かったものではありませんし、たまに団体客がドッと乗ってきて雰囲気が最悪になることもありますから油断できません (私も経験あり……-_-)。
 というわけで、日本の旧客テイストを完璧に共有する客車に長時間乗り、しかも1ボックス占拠という幸福を味わいつつ、日本の本線急行客レを彷彿とさせる時速100km/h前後の高速走行とドッシリとした乗り心地に興奮するとしたら、タイ国鉄の3等車こそナイスな選択であると言えましょう。とくに、東本線の空いている時間帯の列車or区間と、南本線のトンブリー~ランスアン鈍行は超オススメ級ですね……。ランスアン鈍行は、東京~大阪間に匹敵する距離で、朝出発して夕方着くという理想的な列車ですし、少なくともトンブリー→ナコーンパトムでは1ボックス占拠も不可能ではありません (微妙な乗車率ですので他の客が入ってきてアウト!となる可能性もありますが)。また、東本線のバーンプルタルアン鈍行(平日運転)は、チャチュンサーオから先は空いており、とくにパタヤ以南はほとんど誰も乗っていないことで有名です。私も次回の訪泰時にはこれに乗りたいと画策しています……。


タイ国鉄激変前? (4) 冷改客車の廃車体

2016-04-27 00:00:00 | タイの鉄道


 冷改2等座席車。張り上げ屋根でかなり優美な姿……。



 冷改2等寝台車。三角屋根の存在感が凄い。



 1950年代製の旧客2等座席車も試みに (?) 冷房改造とは!



 3等車も冷房改造を試みていたということでブッ飛び!!

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 暑季の午後3時の強烈な陽光に照らされたバーンパーチー駅構内で、ヘロヘロになりながらも謎の超高級1等座席車と覚しき車両を激写しまくってハァハァ……と思ったら、そんな高級車両と連結されて放置されている日本製、もしくは日本ノックダウン生産車両の存在感が負けず劣らず凄絶過ぎました……。勿論、現在も活躍している2等非冷房寝台車や3等車の余剰車もゴロゴロしていたのですが、かなりまとまった量数で↑こういった車両が大量に放置されているのを目にしますと、タイ国鉄ではあるタイミングでどういう激変が起こったのか……という想像を巡らせずにはいられません。一応、ツートン旧塗装と、1990年代後半あたりから (?) 採用されたと覚しきグラデーション帯旧塗装が混ざっていることから、1990年代後半あたりにウリナラ製のロング&ステンレスボディ1・2等冷房寝台車が大量に増備されたタイミングで、当時急増していた冷房付き高速バスにも白旗を上げつつ、一斉に運用から外されたのでしょうか……? 逆にみれば、タイ国鉄も古い客車の冷房化を推進して何とか頑張ろうとしていた形跡も垣間見えるわけで、これらの車両が今も現役であれば俄然車種もカヲスを極めて面白かったはずですので、本当に惜しまれることでございます。
 とくに細かい窓が並ぶ10系客車ボディ2等座席車など、雨樋をつければサロ110・111を彷彿とさせるわけで、こういう車両を日本に連れ帰ってイベント用車両にしたいぜ!と思うのは私だけでしょうか? (藍色になった台湾のSP2300を日本に連れてくる訳には行かないですし)
 それにしても、一部の車両は別の場所(バーンスーあたり?)での放置中、地の塗装と窓を覆い隠すかたちで巨大な宣伝ラッピングを貼られていたようで、それが今やパリパリに退色・崩壊して見苦しい……(-_-;)。全ての車両で地の塗装が見えていれば、それこそのぼせすぎて鼻血が止まらなかったことでしょう (笑)。

タイ国鉄激変前? (3) 謎の高級車両廃車体

2016-04-14 02:00:00 | タイの鉄道


 ゴロゴロと大量に放置された客車群。ん……真ん中の客車は?



 何という丸妻丸屋根! 何という大窓!



 台車は日本風のものに換装されていますが、台枠が目立つ……。



 クーラーを屋根に載せた車両も。駅出入口で落書きが残念。

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 タイシリーズの前回記事で、2等座席車に乗りたいと思いつつも結局乗りそびれたという間抜けすぎる備忘録を記したものですが、そんな北線・東北線の列車が分岐するバーンパーチー駅で列車の姿を見送ったあとは、何やら駅構内の東側に大量の放置客車が転がっていましたので、一体どんなものか……ということで、先に帰りの切符(これも2等車が買えず玉砕)を購入したうえで、炎天下じっくりと観察してみました。すると……日本製または日本ノックダウンの切妻客車(これはこれで超貴重な顔ぶれでしたので、後日記事にします)に混じって、全く違う風貌の丸妻・丸屋根の客車が! こ、これは一体……。
 そこで仔細に観察してみますと、このタイプの客車は少なくとも3~4両が放置されており (計3線に大量の客車が放置され、全ての検分は時間的にも暑さ的にもムリ)、いずれも巨大な窓と車体中央部のトイレ・洗面所スペースを特徴としています。そして、窓はどう見ても固定ということで、堂々のクーラー装備……。これはどう見ても、1950~70年代のいずれかの時点で、恐らく欧州のいずれかの国で製造された超!特別な客車に違いない……。この時代のタイ国鉄の客車はほとんど日本がかっていますので、日本ではないルートに特注したということは、ひょっとして当初王室用に造られ、のち一等座席車 (どんな車内?)か何かに格下げされたのでしょうか?? 側面のタイ語を読めないのが遺憾です……(滝汗)。
 それにしてもこのバーンパーチー駅、分岐駅だけに極めて広大なヤードを擁し。その中に駅舎と駅ホームがあって、街に出るにはこの廃車体が転がっている側線を横切る(跨線橋があるものの誰も使わず。笑)という、何ともワイルドな雰囲気なのですが、そこを当初埋めるはずだった貨物列車の姿は全く無し。基本的にタイの国鉄からはヤード型の車扱輸送は消滅し(とにかく道路交通が発達)、東北線からバンコクの東・ラートクラバン界隈にある貨物ターミナルや産業路線のサタヒープ線に入るコンテナ・セメント列車は、東線のクローン・イーシップイェットと東北線ケーンコーイを結ぶ貨物線を経由しますので、結局用無しになったバーンパーチー駅側線は廃車置き場となっています。とはいえ、「放置されてから久しいために草が生い茂り、車両に蔦が絡まっている」という雰囲気(マッカサン工場の放置車を空港鉄道から眺めるとそんな感じ)は全くありません。恐らく、バーンスーの操車場が新巨大ターミナル建設で潰されてしまったため、ここで雨晒しになっていた車両が最近バーンパーチーに移ってきたのでしょうか。


タイ国鉄激変前? (2) 2等車に乗れなかった話

2016-04-01 00:00:00 | タイの鉄道


 日々諸外国の鉄道メジャーの影響が入り乱れて風雲渦巻く東南アジアの鉄道市場にあって、激しい道路渋滞に見舞われるバンコクはひときわ注目を集める地のひとつですが、ここに来てまた一つ吉報が入って参りました。祝!バンコクのレッドラインのシステム、三菱住友日立等企業連合落札!
 このレッドラインは、一大ターミナルの建設が進むバーンスーを核として、既存国鉄線を高架化・電化することによって開業する予定のもので、今回は北線のランシット (ドンムアン空港のさらに先) と、南線のタリンチャン or サーラーヤーまでを請け負って2020年に開業するとか。すでに両区間の高架化は、イタリアの借款で進みつつありますので、日本勢が今回請け負ったのは電化・システム・車両の整備でしょう。8月に開業する予定のパープル・ライン (バーンスーの西から、ベッドタウンとしての発展著しいノンタブリー県へ) は総合車両製が走るわけですが、このレッドラインはAトレインでしょうか? このレッドラインはそのうち、東線に沿ってフアマークへ、南進してホアラムポーンからマハーチャイまで達するようですので (その結果いずれは非電化単線のメークロン線も発展的に廃止)、この最も基幹的な路線を日本技術&ノウハウで運営することになるのは誠に喜ばしいものがあります。



 とまぁここまで書いたところで、本文と画像が全く一致しないのは何とも恐縮ですが (^^;)、要は何が言いたいかと申しますと……とにかくバンコクの中心をこんな客車鈍行がノタノタ走るのは先が見えたということなのです。
 そこで今回のバンコク寄り道では、例によって (?) 日帰り客レ旅を敢行したのですが、既に南線~泰緬鉄道、メークロン線全線、東線アランヤプラテートは制覇していますので、まだ乗ったことがない (滝汗) 北線・東北線に少しでも良いから乗りたいと思ったのでした。その一方、いずれ中国中車製の冷房車が大量に入れば (アナウンスされてから久しいのに全く音沙汰無し)、日本製もしくは日本ノックダウンの旧型客車は大量廃車となってしまうわけですが、とりわけ2等車は座席も寝台も未乗ですので、僅かな滞在でもせめて2等座席車に乗りたい……。
 というわけで、当初はバンコクからナコーンラーチャシーマーまで2等車で日帰りしようと目論んだのですが、早朝のバンコク発時刻が非常に早く、乗車時間も長いため、些かハードすぎる気が……。そこで、北線と東北線の客車列車であれば、2等車を連結している列車もあるのでは?と思い、タイ国鉄公式HPと睨めっこしたところ、何と、昼過ぎにバンコクを出る北線タッパンヒン行鈍行には2等車が連結されているではありませんか!! 鈍行の2等車なら空いているに違いないですし、3等は運賃無料客で混んでいることから、これは渡りに舟! 古都ロップリーまで乗れば、アユッタヤーまでよりも乗車時間が長いし、少々名所見物も出来るし、いろいろと美味しい……。
 しかし……事態は暗転……。ホアラムポーン駅の窓口で意気揚々と「ロップリーまで2等を1枚夜露死苦!」と告げたところ……「ない!」との一言。その代わりに駅員氏がてきぱきと発行したのは、ただの3等車の切符だったのでした……。
 その理由は、いざホームに停車中の列車に近づいてみると一目瞭然! 何と、最後尾に連結されている2等荷物合造車 (1枚目の画像) のうち、2等車の空間は乗務員休憩コーナー兼僧侶専用席となっていたのでした……。
 他にも、例えば2枚目の画像 (スリン行鈍行。公式HPによると、最近DC化された模様?) でも、最後尾に窓が細かい部分を含む2等3等合造車が写っていますが、要するに鈍行に連結されている2等車は悉くこの手の業務用車・僧侶車になってしまっているようなのです……。鈍行で2等旅というのは全く期待出来ないということですな!! しかし連結されていることは確かですので、私が乗ったタッパンヒン行の時刻表に2等連結の案内が載っていたのは、HP編集時の何かの間違いだったのでしょう……。
 とまぁこんな感じで、とりあえずロップリーまで約3時間の鈍行3等旅を楽しもうとしてはいたのですが、高架化工事の影響で一時的に単線化されている区間もあるようで (?) 初っ端からやたらと徐行・長時間停車が続き……ロップリーに着いても全然見物する時間もなく、帰りの列車も一体いつ来るのか見当が付かないような気がして来ました。そこで、東北線の列車も合流し、帰りの本数が増えるバーン・パーチーで下車することに決し、青空のもと北上する列車をお見送り~~(それが1枚目の画像)。
 もっとも、これだけでしたら何とも鬱な話ですが、バーン・パーチーでは超絶なシロモノを見てしまいましたので、どうぞアップをお楽しみに♪
 ただ、ここからバンコクに戻るのが又してもダメダメ……。朝方ウボンラーチャターニーを発車した快速 (バーン・パーチーは夕方4時過ぎ発) の2等車に乗りたいなぁと思いまして、窓口に掛け合ったところ、「無い!3等車ならある!」というつれない答えではないですか……。快速に2等車が連結されていないことはあり得ませんし、『タイ鉄道散歩』ではウボン発のこの列車の2等車はスカスカと記されているはず……。駅員氏が2等を売るのを面倒臭がったに違いない……。しかし、実際に列車が到着してみますと、何と!本当に2等車は満席だった……(@_@)。しかも、指定されたボックスの先客はク○やかましい親子連れで、客レサウンドを楽しむどころではない……(こいつらがいなければ、混雑していても割と静かだったのにぃぃぃ!! -_-メ)。
 全く以て、旧客の2等車に乗る目論見は悉く裏目に出てしまいましたが、見たところ例えば南線のスンガイコロク行快速は2等座席車が2両連結されており、ナコーンパトムあたりで見かけてもそこそこの乗車率でしかないため、今度はこれに短時間乗ったろか……と思っています (本当は終点まで乗り、マレー半島を数日かけて縦貫したいのですが……)。

 2等車に乗れなかった不運は、2度あることは3度ある!! 翌日は久しぶりにメークロン線を訪ね、マハーチャイからの帰りに冷房車 (本線の2等車と全く同じ) に乗ろうと思ったものの、11時台にマハーチャイに着く冷房車併結列車は何と全車普通車……。というわけで、この日は不幸にも検査日に当たってしまった……と諦めたのでした (メークロン線の冷房車は多分1両のみ)。
 しかし、車両交換で午後から出庫する可能性もあるはず。そこでマハーチャイ駅にて、午後1時の冷房車の切符を購入すべく、ちゃんと「エアコン、ウォンウィエンヤイ!」と叫んだものの、結局出札口から出て来たのは10バーツの非冷房普通車切符……。「嗚呼……結局検査か、ちぇっ」と思いつつ、屋根付き市場スペースで列車を待ち、奥の車庫から出庫して来た4連の前から2両目に乗ったのでした。しかも、音鉄をめぐる不運は又しても起こる……。静かな車内だったはずが、発車間際に「何故こんなデカい声が出るの?」と思うほどのババア軍団が隣のボックスに座り、ディーゼルエンジンの轟音をかき消すほどの大音量トークが延々と……。ランポーあたりでたまりかねて先頭車に移ったところ、何と!1ボックス空いていたではないですか……最初から逃げてくれば良かった……。
 こんな感じでひとしきりTHN型DCのサウンドを楽しみ、ウォンウィエンヤイ駅で折り返す列車を激写しようとしたところ、究極の一撃が……。何と、後ろから2両目は冷房車だったという……。をいマハーチャイの駅員!エアコン切符くれと言っただろ!! 午後2時のMaxな暑さと、冷房車に乗りたくても乗れずに大騒音に付き合ってしっまったショックで、本当に倒れそうでした……。

 とまぁこんな感じで備忘録的にダラダラと恨み節を綴ってしまいましたが、まぁ要するに、北線と東北線は鈍行も快速も結構混むぞ、ということで……。あと、メークロン線で冷房車に乗りたいのに3等10バーツの切符が出て来た場合には、強く主張し再確認しましょう……。

タイ国鉄激変前? (1) 総論・並びシーン

2016-03-22 12:00:00 | タイの鉄道


 ド順光の客レ狙いでしたが被られ (-_-;)。でも結構良い感じ。



 4000形DL来たぁぁっ!……と思ったら、この直後にヤラレ雲。



 日本製普通・急行用DCと、ウリナラ製特急DCの並び。



 トンブリーの早朝は、ダイヤ改正でかなり面白くなりました。

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 最近の国内ニュースを見ていますと、「カシオペア」や「はまなす」の廃止によって、臨時ではない客車列車の旅というジャンル (カシオペアも概ね2~3日に一度走りますので、国際標準では定期列車に入れても良いかと存じます) が事実上失われたことへの嘆き節が多々見られます。実際には大井川鐵道や、冬季限定の津軽鉄道に残ってはいるのですが……。
 しかし、日本と雰囲気がそれなりに近似した1067mmまたはメーターゲージの客車列車シーンは、ちょっと飛行機に乗る手間をかければ、台湾・タイ・インドネシアあたりでお手軽に楽しむことが出来ますので、個人的にはさほどの喪失感は抱いておりません。もっとも、最近は台湾がメジャーになりすぎて、かつてのように「ほとんど知られていない宝の山をしゃぶり尽くす」感覚はなくなってしまいました。先日発売のRF誌の投書欄に2本も「台湾にはまっちゃいました」ネタが載ってしまうとは……。実際には台湾の旬はとっくに過ぎているように思うのですが。ちなみに、ベトナムは些か社会主義計画経済の名残が強いので、日本近似情緒の対象からは外れるでしょう。ミャンマーは線路がガタガタ過ぎて速く走れないのと、英領だった当時の雰囲気が未だ強すぎることから、日本的汽車旅とはやはり違います。そしてマレーシアは個人的に未訪問ですので大口叩けませんが、もう一つの旧英領として洗練された雰囲気が強すぎるように思います。
 というわけで個人的にはここ3年来、ヤンゴン遠征のついでにバンコクに寄り道し、タイの鉄道シーンを楽しむことが恒例化しております (私が贔屓にしている鶴丸航空は未だヤンゴン直行便がないためでもあるのですが -o-)。
 
 タイという国は、第二次大戦中に行きがかり上から日本による強い影響を受けたこともありますが、帝国主義の風雲渦巻く中でも一貫して独立を保っており、その鉄道も欧州や日本といった列強による関与を被りながらも、おしなべてタイ自身のイニシアチブも保ちながら建設・運営されてきたという歴史があります。しかもとりわけ戦後は、日本から大量の客車やディーゼルカーが輸入され、またはノックダウン生産されたことから、電気式DLやロングボディ&ステンレスの特急・急行冷房車を除けば、極めて濃厚な日本的雰囲気を魅せる車両が縦横無尽に活躍しています。加えて、駅舎の調度は小ぢんまりと風雅な雰囲気を保ち、乗務員と客は良くも悪しくもマイペンラ~イな気風ですので、まぁ総じて日本的センスとタイ独自のセンスが絶妙にコラボレーションしていると言えましょう。
 そんなタイの鉄道につきましては、RP誌編集長氏が『客車の時代』特集巻 (2014.1) に寄稿された日本系列客車概観や、藤井伸二氏の『タイ鉄道散歩』、そして神的サイト『タイ国鉄友の会』といったところから大まかな情報を得ることが出来ますが、その路線や列車ネットワークの拡大・縮小史や、個々の車両の来歴・盛衰についてはまだまだ分からぬことだらけ。ところが、数年前に購入してはみたものの、多忙のため「さわり」の部分しか読んでいなかった柿崎一郎氏『王国の鉄道』(京都大学学術出版会) を、今回のちょこっと寄り道に先立ちようやく最初から最後まで通読してみたところ、これが実に面白い! 鉄道事業へのイニシアチブをとる有力な王族の存在、あるいはそのときどきの政治家や政治課題によって、鉄道建設に気合いが入るかと思えば放置気味にもなること、あるいは当初「こんなド田舎に鉄道なんて要らねぇ」と思われていたイーサーン (東北部) に鉄道を造ってみたら、鉄道建設による経済発展の効果が絶大だったのは実はイーサーンだったこと等々……。国家の規模がほどほどに大きく、極めて複雑な国際環境に置かれる中で、タイという国の生き残りを目指した人々が鉄道というツールをどう扱おうとしてきたのかということが、手に取るように分かります。あるいは、タイという国が適度に大国であるからこそ、ここらへんの問題をストーリーとして語りやすいという側面もあるでしょう。

 そして肝心の日本製・日本ノックダウン客車 (そして既に動態保存機を除いて退役したD51タイバージョンなどのSL) につきましては、第二次大戦後のドロドロした冷戦突入という時代情勢の中、米国側についたタイが米を食糧不足の日本に輸出し、日本は鉄道車両を安く大量にタイに売ることで、日本の工業力回復・戦後復興と、反共の最前線たるタイの経済発展を同時に促すというカラクリの産物であったということで、妙に納得が行ったのでした。タイは一応大東亜共栄圏の一独立国であり (行きがかり上やむを得ずでしょうが)、日本による戦後賠償の対象というわけではなかったことから、単純な賠償としての車両供与ではなかったのですなぁ~。
 以来、罐は日本/欧州、客車は欧州から日本風へと主力を変えて来たタイ国鉄ではありますが、いい加減1940~70年代製の客車が老朽化しているにもかかわらず未だに大量に現役なのは、1960年代以降のタイの交通政策が道路に偏重してしまったことの結果であり、片側数車線のハイウェイを冷房長距離バスが怒濤のように走る脇を、老朽化した列車が年々利用客を減らしながら走るという情景は、何ともやるせないものがあります。まぁ、そんなタイ国鉄だからこそ、古き良き日本情緒にも通じる鉄道旅の魅力が奇跡的に残ってきたと言えるわけですが……(なお、罐は非常に強力で、線路の状態も良好ですので、メークロン線を除けば鈍行でも軽く90~100km/hは出ます。それがまた、かつて本線を激走した日本の旧客を思い出させるのですなぁ~)。

 しかしここに来て、道路偏重政策の弊害とタイ国鉄自身の疲弊は余りにも明らか (とくに鉄道は、ちゃんと客から運賃を取って稼がなければ設備更新も出来ないはずなのに、タークシン政権のポピュリズムによる鈍行3等運賃無料化政策をはじめ[国民身分証所持客に額面0バーツの切符を発行し、本来の運賃分を政府に請求]、国鉄運賃を意図的に低すぎる水準に抑えまくり……)。そこでタイ政府は、様々な国からの借款を得て、大々的に新・鉄道政策を打ちつつあります。
 日本との関係で言えば、バンコク~チェンマイ新幹線計画や、間もなく開業するバンコク紫線などが挙げられますが、中国によるラオス~ラヨーン港鉄道や国鉄優等列車への大量の新型客車投入 (既にアナウンスされて久しいのですが、まだ全く姿形を現さず……謎です)、そしてイタリアによるバンコク近郊国鉄高架化や東線の体質改善などなど、諸事目白押しです。
 そして今回圧倒されたのが……バンコクの新ターミナルとして、バーンスー高架新駅の建設が大々的に進みつつあり、かつての広大な貨物ヤードの敷地に、巨大なコンクリートの塊が現れていること!! これが完成するあかつきには、現在のホアラムポーン発着の列車は全てバーンスー発着となり、さらに空港鉄道もバーンスーまで延伸され、近郊を結ぶ鉄道路線網もバーンスーに結びつけられるということで、数年後には革命的な光景が現出することになります……。そうなれば、バンコクにおける鉄道アクセスは飛躍的に向上することから、国鉄長距離列車の利用客も増えることでしょう~。
 それは自ずと、現在のホアラムポーン~バーンスー間が事実上廃止 (?) となることを意味するわけで、現在のバンコクの鉄道シーンを記録する時間はもう余りないのです。そこで今回は、以前一度訪れた撮影スポットを再訪し、そこそこ頻繁に (?) 現れる列車を激写したのでした。その模様を、少しずつアップして参りたいと思います……。

 なお、タイの鉄道はミャンマーと同じで、目の前に向かって来る列車の邪魔をしなければ、基本的に駅でも線路脇でも撮り鉄していて文句を言われることはありません。軍政なのですが……ここらへんのマイペンラ~イぶりは流石タイ……。しかしそれは裏返して言えば、自分が線路内撮影をしていて事故が発生しても、それは完全に自己責任で、誰も構ってくれないことを意味しています。このような前提で撮り鉄活動しておりますのでご了承下さい。