goo blog サービス終了のお知らせ 

地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

スカブミ線が気動車だった頃 (下)

2018-11-11 14:05:00 | インドネシアの鉄道


 去る9月に発行された、旅行作家・下川裕治氏の『東南アジア鉄道全鉄道制覇の旅』続編(双葉文庫)がメッチャ面白いです。今回はとりわけ、長大な路線網を誇るインドネシアでの乗り潰しに重点が置かれているわけですが、KAIならではの発想による列車運行や、列車名が付いた客レの全席指定席化に大いに翻弄され、日本と同じ発想での乗り潰しが出来ない苦悩の繰り返しに、「あ〜、インドネシア鉄あるある!」と思わずニヤリとしてしまうのでありました。具体的に申しますと、地方の末端路線で毎日1〜2往復の列車が運行されている場合、その列車は往々にして大都市への直通需要のみを考えて設定されており、地方交通としての位置づけではないため、早朝・深夜のみの運行であったり、運賃も短・中距離客を排除して「バスに乗れ!」という暗黙のメッセージを送るため、短距離しか乗らずとも相当長い区間と同じ運賃を取られたり……(目的地と終点がなるべく近い列車に乗るのが賢明です。幹線でも、同じ区間・等級であるにもかかわらず運賃が全然異なるのがフツーです)。
 というわけで、とある支線の列車に支線の分岐駅から早朝深夜に乗ろうとすると、実は最初からジャカルタやスラバヤから通し乗って来る方が遥かにラクだった、というトホホな事態に次から次へと直面し、事前の時刻表研究が死活的に重要であることを下川氏も思い知らされるのでした……。



 そして、もう一つのクセモノが、ネームド・トレインの全車指定席化。これもまた、旅客が全員座って行けるようにというKAIの大御心にして、「立ちんぼのキセル野郎は乗るべからず! 混み混みでなければ車内検札も楽勝! 運賃取りっぱぐれは過去の話!」という気合いの入ったメッセージでもあるのですが、その結果、土曜休日や学校休校日の人気列車の切符は、オンラインで事前予約する地元客で早々に埋まり、短期で訪れる外国人は「立ちでも良いのに乗れないとは……」と泣きを見ることになります。否そもそも、外国人も楽勝でオンライン予約・クレカ決済できれば文句はなく (既にタイは可能)、あるいはその路線に当日売りしかない鈍行列車が走っていれば良いのですが、インドネシアのオンライン予約は海外発行クレカを受け付けないという曲者ですし、そもそも鈍行列車がネームド・トレインとなって全席指定席だったりするという「何じゃそりゃ」ぶりですので何をか言わんや。
 その結果、下川氏はボゴール・パレダンからチアンジュールまで、スカブミ線の乗り潰しをしようとして、2度もSold Outを宣告されるという悲惨な境遇に直面したという……。スカブミ線が日本製KRDで運行を再開した頃は、全車自由席の2等運賃列車でしたし、私がスカブミ〜チアンジュール間の運行再開間もない頃に乗った際にも、フツーに発車間際の購入が可能だったものです。年々、渋滞が酷くなって列車の旅が見直されていること、そして路線再開から時間が経ち、すっかり知名度も広まったことが、毎日3往復の列車満席御礼ということにつながっているのでしょう。
 そんなスカブミ線も、ゆくゆくはスカブミまで複線電化され、予約に苦しむことなく205系など日本中古電車で往復できるようになるとは、世の中本当に変わりゆくものでございます。キハ40系列のインドネシア版とも言うべきKRDの「ブミグリス」が往復していたのも遥か昔であるかのような気がして来ました。

スカブミ線が気動車だった頃 (上)

2018-10-18 08:08:00 | インドネシアの鉄道


 最近、ジャカルタ郊外の山岳路線・スカブミ線が熱い (偏見)。
 いつもお世話になっておりますパクアン急行様のブログを拝見しておりますと、インドネシア国産との鳴り物入りで製造されたもののごく少数にとどまり、運用にほとんど入らず引きこもり状態が続いていた赤罐CC300の用途として、スカブミ線の客レ「パンランゴ」「シリワンギ」(同じ列車ながらスカブミで列車名が変わり、ボゴール〜スカブミ間が前者、スカブミ〜チアンジュールが後者) に白羽の矢が立てられたようで、先日タナアバン機関区〜ボゴール線〜スカブミ線を直通する試運転が大勢のヲタを集めて実施されたとのこと。思えば、スカブミ線は多少の勾配が連続するとはいえ、せいぜい6〜7両の客車を牽引する程度なら非力な (?) 罐でも何とかなるでしょうし、余った超主力機CC206については、スカブミ線最大の稼ぎ頭であろうアクア (ミネラルウォーター) 貨物の増発にでも使えば良いことになります。



 そんなスカブミ線、風光明媚な山岳路線ではありながらも意外と沿線人口は多く、スカブミの盆地には恐らく甲府盆地よりも多くの人が住んでいるはず (パッと見ですが)。そう……実はスカブミ線には「インドネシアの中央東線」としてのポテンシャルが秘められているのです (超偏見)。しかし、確か8年前にボゴール〜スカブミ間の列車が再開されるまでは、基本的に休止線として放置されていました。その後、チアンジュールまで運行が再開され、バンドゥンまで直通まだか……と首を長くして待ち続けているのですが、一方のバンドゥン側・チアンジュール〜パダララン間は、橋脚の老朽化か何かで引き続き休止中……。きちんと軌道改良・輸送力増強に務め、とりわけボゴール〜スカブミ間は一日に3〜4往復とケチなことをせずフリークエンシーを確保すれば、確実に稼げるはずと思うにつけ、もどかしいものを感じておりました。
 しかし最近、どこかでチラ見したのが、スカブミ線の複線電化計画! もちろん、ジョコウィ政権再選戦略の一つでもあるのでしょうが、電化によってとにかく早くて便利になり乗客数もうなぎ登りなスルポン=バンテン線という実例があり、途中のド田舎度という点ではかつてのスルポンから先の区間も今のスカブミ線もそう大して変わりませんので、とりあえずスカブミまで複線電化が成ったのちは、ジャカルタ・コタからスカブミまで所要2時間半〜3時間程度で205系の旅を楽しめるのを期待したいものです。もっとも、トイレをどうするのか……ということを考えますと、やっぱりスルポン線のタナアバン〜ランカスビトゥン間、2時間弱が限界なのかも知れませんが。
 というわけで、そんなジャカルタ鉄道シーンのアツい未来を夢想しつつ、スカブミ線再開からチアンジュール延伸までの間活躍していた日本製KRD「ブミグリス号」の懐かしシーンをお楽しみ下さい。当時は基本的にボゴール電車区に常駐しながらも、週に確か2〜3度、正式な所属先であるタナアバン機関区での整備とタナアバン市場への買い出し客の便宜を図るのを兼ねて、ボゴール線内をノンストップで爆走していたものです。2011・12年の撮影ですが、当時はまだマンガライもボゴールも駅撮り・線路撮りしたい放題で、ヲタ活動するには本当に良い時代だったのを思い出します……。ジャカルタ訪問時には (否、東南アジア鉄活動時には)、如何なる列車も撮れるなら全て漏らさず撮れ!を鉄則としておりますが、数年後にHDをほじくり返して諸行無常を痛感するたびに、ますますそんな思いを強くするものです。

103系中間車を撮る@ブキッドゥリ

2018-08-14 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 モハ103-654 → K1 1 04 11。



 モハ102-810 → K1 1 04 10。



 モハ102-221 → K1 1 04 03。



 サハ103-246 → K1 1 04 02。

--------------------------------------------------
 いつも編成単位で列車を撮っていると、意外と中間車を撮らないもので、後になって後悔しがちです。しかしジャカルタの103系の場合、先頭車は女性専用車ラッピングを貼られてしまいましたので、純正なKCJ色を撮りたいと思えば自ずと、中間車を形式写真的に撮っておきたいという思いがムラムラと。そこで、パクアン急行様のお取り計らいでブキッドゥリ電車区の構内にお邪魔した際には、赤・黄帯が見事に似合う姿を記録しておいたのでした。純粋な103系の戸袋窓設置車が消滅してしまい、今や西の103・105系 (加古川・播但除く。和田岬はどうなることやら……) すら風前の灯火となりましたので、ただただ懐かしい、カッコ良い……という言葉しか浮かびません。

ジャカルタの103系@ブキッドゥリ (14年)

2018-08-12 12:00:00 | インドネシアの鉄道


 昨日は、いつもお世話になっております『Asian Railway Plaza』の井上様のお声がけのもと、ジャカルタの電鉄会社KCIの技術者として南武線車内の忘れ物スマフォを発見したことで世に知られるOmatさんが来日されたのを歓迎する宴が、都内某所のインドネシア料理店にて開催されました。個人的には、2009年から2016年まで毎年今の時期はインドネシアを訪問しているところですが、昨年と今年は仕事が多忙さを増していることから日本にいる……ということで、歓迎する側の日本人鉄ヲタの末席に連ねさせて頂きまして、マンガライ駅の高架化工事やら、細帯車の消滅やら、武蔵野線205系増備やらで引き続き変化の真っ只中にあるジャカルタの地に思いを馳せるひとときとなりました。ご参加の皆様には大変お世話になりました!



 それにしても痛感したのは「皆さん103系が本当に大好きなのだなぁ!」ということ (笑)。103系の話をするだけで、ビールも食事も旨みがグッとアップします。というわけで、これまで撮り貯めていた膨大な量のインドネシア画像の中から「そういえばアップしそびれていた」ということで、KCJ色103系のブキッドゥリ電車区入庫シーンを貼ることに致します。これを撮影したのは早いもので4年前のこと。パクアン急行様が取得された撮影許可に有り難く加わらせて頂きまして、朝方のタナアバン・フィーダ運用を終えた103系がちょうど入線するところを激写したものです。また2枚目の画像は、今や完全に立ち入り不能になった「マンガライのボゴール寄り」の撮影向き空間にてゲットした、ブキッドゥリへの引き込み線にゆっくりと進入するシーンです。
 思い出すにつけ、ジャカルタの計16両のうち、最後まで生き残った8両は整備スタッフの必死の努力で良好な状態を保っていましたが、入線後数年間の予算不足&酷使がたたって満身創痍だったことは否めません。しかも、2014年の時点ではメトロ6000や205系が増えた後であり、103系がジャカルタでも圧倒的に古い電車に見えてしまったという……。とはいえ、満身創痍の圧倒的旧型でも何だかんだで力強く走ることが出来る103系は、やはり偉大な電車なのだなぁ……ということをしみじみと感じます (この年の訪問では103系がスルポン線の運用に入り、マジャからタナアバンまで延々と通し乗るという特典もありました♪)。

第八ジャカルタ炎鉄録 (44) メトロ05KKW

2018-07-25 00:30:00 | インドネシアの鉄道


 いつもお世話になっております日本人ジャカルタ鉄道趣味界の大御所・パクアン急行様が、このたび短期間ながら一時帰国されており、昨日はご実家及び私の用務先にほど近い町田のタイ料理店にてプチオフ会が開催されました。何の因果か、ジャカルタよりも俄然○ソ暑くなってしまった中だけに、スパイシーなメシが猛烈に美味く、その勢いで日本とアジアの鉄道事情をアツく語るひとときとなりました♪ パクアン急行様ほかご参加の皆様には心よりお礼申し上げます!



 今回の会話の内容は相当程度ヤバいものですので、ほとんど割愛させて頂きますが、まぁ一言でいえば、ある車両をある路線に入れるにも、そこには悲喜こもごもあり、といったところでしょうか。あとインドネシアの話題に関して申しますと、自動改札機のシステム更新失敗で一時的に紙の切符が復活したことには一同新鮮なショック (笑)。そして、インドネシアの超豪華客車クラス・ラグジュアリーや、 INKA製フィリピン国鉄新車投入予定の話題など、日々ますます変わりゆく列車・車両の陣容についても語られましたが、どうしても最後は「ガンビル駅の配線は○ソ」というところに行き着いてしまうのであります。そして、何事も縮小傾向の (?) 日本の鉄道事情に話題が及ぶと、やはり一同、景気が良くない表情に……。様々な問題の大きな原因として、国鉄分割民営化が約30年を経てボディーブローのように効いてきている、という緩やかなコンセンサスに行き着いたのでした。
 あと……○○○につきまして、この話題は特筆したいのですが……嗚呼、まだ秘密性が強すぎて書けない (^^;

 というわけで、早いもので約2年前の撮影となってしまったジャカルタ撮り鉄の画像から、メトロ05系の女性専用車ラッピングつき車両を選択して貼ってみます。……とゆーか、これで2016年の訪問分は完全に打ち止め・ネタ切れです (^^;)。半年前の願望としては、来たる8月に再訪希望でしたが、その後少しずつ面倒な依頼仕事が増えたのと、ジャカルタでは8月下旬にスポーツのアジア大会が開催されるのを前にして、鉄道駅及び沿線の警備も強化され、撮り鉄するには余り面白くない環境になることが予想されましたので、当面は再訪を先延ばししたかたちになります。
 それはさておき、最新の日本首都圏混雑ランキングの類を見るにつけ、複々線化が実現した小田急は大幅にランクを下げ(快速急行は相変わらずの混みようですが -_-;)、メトロ東西線が横綱級に混むと伝えられる昨今ですので、ジャカルタに05系を譲渡するくらいなら、主要駅ホームを12〜15両対応にして長大編成を走らせ、そのためにも05系を東西線に引き留めておいた方が良かったのでは?と妄想しなくもありません。とはいえ、03系すら続々と北館林送りとなっている昨今ですので、メトロが05系を処分してしまっても痛くも痒くもないのでしょう。
 ジャカルタで当初、圧倒的に新しいイメージを放って登場した05系は、8連であるが故にいつの間にか12連や10連と比べて「使えない編成」扱いされているのかも知れませんが、環状〜ボゴール線運用では今後も引き続き重宝されることでしょう。

誤字訂正Special Thanks to パクアン急行様。(滝汗)