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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

インドネシアの線路検測車 (16年8月)

2019-07-04 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 今週土曜の夜7時半からNHK BSプレミアムで放送される『行くぞ!最果て! 秘境×鉄道』は、インドネシア特集ということで、ジャカルタ鉄経験済みで今からワクワクしておられる方も多いことかと存じます。番組の前半はジャカルタ編のようで、ジャカルタとバンドゥンを結ぶ老舗特急「アルゴ・パラヒャンガン」が密林の中の巨大鉄橋を渡るシーンの空撮が公式HPで予告されており、さらに日本中古電車も登場する模様です。



 しかし、番組の後半は……落花生。様をはじめごく僅かな鉄だけが乗車を果たした、スマトラの激ヤバ森林鉄道!! これは楽しみ過ぎます……。
 というわけで、スマトラの森林鉄道のヘロい車両とは全く異なりますが、何となく風貌がユーモラスなインドネシアの車両として、国鉄所有の軌道検測車の画像をアップしておきたく存じます。神出鬼没で、小粒ながらも如何にも重々しそうな車両が通過し、思わず「何じゃこりゃ〜!」と内心叫びながら連写しまくったものです (笑)。

09年のジャカルタ回顧 (2) 都営6000橙帯

2019-04-06 20:07:00 | インドネシアの鉄道


 昨日は、いつもお世話になっております落花生。様の東京ご転勤 (?)と、パクアン急行様の一時ご帰国を記念しまして、そして何と言ってもMRTJの開通を記念しまして、都内某所の某インドネシア料理屋にて盛大に宴席が催され、合計10数名の参加者によってビンタンビールの小瓶が50数本空になるという大盛会となりました。席上ではもちろん、日本・インドネシア・タイ・ミャンマー・台湾といった、1067&1000ミリゲージ党お馴染みの国々に関する四方山話に花を咲かせたわけですが、個人的には「インドは地下鉄でなければ意外と文句言われず撮れる。釣掛近郊電車を撮るなら問題ない」という複数の経験談に激しく反応してしまいました (笑)。今年の夏は久しぶりに、超浦島状態の解消を目指してジャカルタを再訪したいと願っているのですが、他にも行きたい国はあり、乗りたい車両はあり、されど隙をみて数日の休みを取るのはなかなか難しく、どうにも困ったもんだ……と、心地良い酔いの中で思った次第です。
 そして多くのご参加の皆様が感慨深く仰っていたのは、秩序あり清潔なMRTJの開通やステンレス客レの大繁盛に至ったほどにまで目まぐるしく移り変わったインドネシアの鉄道事情と経済・社会の全般的な変化でした。あとそういえば、インドネシアに限らずタイやミャンマーなどでも最近はデッキのドアを開け放って外気に身を晒すことに対して喧しくなったとのことで、これもまた時代の流れか……と思う一コマでございました。そしてその他、さまざまな密談 (笑) や不確定重大情報がもたらされるなど、食事も話題も超お腹いっぱいのひとときとなりました。まずはこの場ながら、幹事役を務めて下さったKucing様をはじめとして、ご参加の皆様に心よりお礼申し上げます!



 また、パクアン急行様からは、インドネシアにおける中国中車の猛烈な (?) 営業活動の一端を示すかのようなパンフレットをお土産として頂き、むかし中国に通っていた者としては何とも有り難い限りです。
 というわけで、数年前の「中国鉄道展」(落花生。様と会場に潜入したのも懐かしい思い出です) 及び、その直後のジャカルタ~バンドゥン高速鉄道の中国落札ドタバタ芝居を改めて思い起こさせるような、インドネシアのインフラを巡る一帯一路グレートゲームが展開されていることが仄見えてくるものですが、その帰趨は自ずと、中古電車輸入禁止措置正式発動以降における中国中車製新車の大量増殖の可能性でしょうか。あるいは、当面は全車日本製であるMRTJにしても、路線延長や増発に伴う増備は中国中車が落札しないとは誰も断言できますまい。マンガライ立体交差とブカシまで複々線化の完成の暁には、ボゴール線とブカシ線を分離してそれぞれ超頻繁運転が可能になり、スルポン・バンテン線の沿線開発も加速度的に進む中、怒涛のような205系の譲渡を以ってしても全然車両が足りないことは明らかで、その穴を埋めるのは引き続き日本の中古なのか、それとも中国中車なのか……2020年代以降の中長期的なジャカルタ鉄道事情を大きく左右する重大な転換点が待っているのかも知れません。(INKAの新車じゃないのか~?とも思うのですが。少なくとも、ウリナラ企業の口車に乗せられて、またまた安物買いの銭失いをすることなかれ!と思うばかりです。運用開始から僅か2~3ヶ月で全編成離脱してマディウンに送り返されたHolec ACという噴飯ものの電車もありましたし……)。
  そして、中国が現在、「イスラーム死ね!ハラール死ね!外国の事物に関心を抱き外国とつながるのは止めて偉大な中国文化の懐と党の恩恵に包まれろ!」(「氏ね」ではなく「死ね」)と本気で言っている過酷極まりない少数民族弾圧をやりつつある中、既にごく一部のインドネシアのムスリム・エリートは、そんな中国と経済関係を深めることの矛盾に気付いているわけですが、ほとんどの一般庶民はまだ何も知らないとか。しかし、既にトルコ政府は激しく中国に抗議している通り、行く行くは一帯一路なるもののインチキ臭さが、全てのムスリムに認識されてゆくことでしょう。そのとき、中国中車から大量に電車を買う契約をしたインドネシア政府が、人口の9割を占めるムスリムから総スカンを食らう……という混迷の未来図すら見えて来ざるを得ません。

 何はともあれ、ジャカルタ初訪問時以来の様々な変化が脳裏を去来する中、アジア経済危機やジャカルタ暴動の記憶も生々しい混沌の時代に突如大挙してジャカルタに渡り、今日のジャカルタ冷房電車時代の礎を築いた都営6000系の功績は余りにも偉大であったと、改めてしみじみ思います。もともと極めて地味な電車であり、ジャカルタでも積極的な追っかけの対象にならず、いつの間にか全編成離脱して、今は話題に上ることはほとんどない都営6000ですが、MRTJ開業に際して敢えて、ジャカルタにおける都営6000全盛期の模様を外付けHDの中から掘り起こしてみた次第です。「また都営が来た……」とぼやいていた頃が本当に懐かしいです (急行は本当に速かったため、遥かボゴールに向かった編成がすぐジャカルタ市内に戻ってくるかのような感覚がありました)。

09年のジャカルタ回顧 (1) 細目銀色非冷房

2019-04-04 21:05:00 | インドネシアの鉄道


 かねてから日本の支援によって建設が進められてきたジャカルタのMRTがついに開通し、試運転・仮営業も含めた詳細がパクアン急行様のブログ及び東洋経済ネット記事を通じて紹介されています。諸々のインドネシア特有の難しい問題はさておいて、まずは世界最悪級の交通渋滞地獄に陥っている大都会において、KAIジャボタベック事業部→KCJ→KCIに次ぐ大量輸送機関が新たに誕生したことを祝いたいと思います。そして、MRTJの沿線は中間層が住む高級住宅街&ビジネス街ということもあって、MRTJは開業当初から極めて整然とした秩序とともに運行されているとのことで、約10年前に初めてインドネシアを訪れた当時は屋根上乗車やドアしがみつき乗車が当たり前、落書きもありまくりのカオスであったことを思えば、誠に隔世の感があります。



 このことはとりあえず、鉄道に乗らなかった中間層が新たにMRTJの顧客になったということであり、庶民が利用するKCIとは別世界であるためかも知れません。とはいえ、KCIにしても全車冷房化・屋根上乗車消滅・窓ガラス割れ激減を実現しているわけで、まさにこれこそ経済発展というものか……という感慨を抱かずにはいられません。
 というわけで、約10年前の初訪問時に撮影したきり外付けHDの肥やしになっていた画像を掘り起こしてみました。日本製のステンレス・非冷房エコノミ電車のうち、何らかの理由で正面窓がHゴム支持の細目窓に改造された編成です。落書きがイヤだな……と思い、撮ったもののアップせずお蔵入りしていたのですが、今改めて、滅茶苦茶なカオスだった10年前のジャカルタを回顧するにあたり「そうそう、こんなのも撮っていた」と思い、レタッチした次第です。とにかく、何もかもが懐かしい……。

インドネシア・懐かしのArgo旧塗装小窓

2019-02-17 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 現在、インドネシアではとある秘密計画が進められており、私もあわよくばこの計画に合わせて久しぶりにインドネシア遠征 (短期間の往復につき、遠征というほどでもないか……) を敢行することになるのかもとワクワクしていたのですが、当該秘密計画の全貌を知ってガックリ……。現在の役職上絶対に欠席できない会議と重なってしまい、参加できないことになってしまいました。超トホホ……。



 ともあれ、そんな秘密計画の成功をはるばる遠くから祝福しつつ、今や急速な塗装変更で懐かしの存在となってしまった、アルゴ波打ち模様塗装+小窓の組み合わせ画像をアップ致します。1等エクセクティフの客車は、最新のステンレス客車が登場する前においては大窓が基本でしたが、一部2000年代の新造車や、相当古い客車を徹底的に更新修繕しアコモ改造した車両については、小窓が採用されています。ジャカルタ界隈では、ガンビルとチルボンを結ぶ「Argo Jati」が、ドル箱区間の旅客サービス向上を図ることと合わせて小窓1等車全面採用列車となっており、ごくごく一部のヲタにのみ注目されていましたが、今こうして眺めてみますと、この旧塗装は本当に懐かしい……。
 (なお、1枚目は2015年、2枚目は2014年撮影です。後者は現在完全立入禁止なうえ、そもそも景色そのものが大工事によって変わってしまいました)

ジャカルタ・架線下のランカス鈍行 (2015)

2019-01-07 12:30:00 | インドネシアの鉄道


 去る年末、若くしてジャカルタ鉄道事情の大御所の座を不動のものとされているパクアン急行様が一時帰国され、都内某所のインドネシア料理店で歓迎の宴が開催されたのですが、お店が我々一行の午後7時からの予約の前にどうしてもシンガポール・ムスリムご一行の予約を入れたいと事前に申し入れて午後8時からに変更となり、しかも当然 (?) 先客が8時前に帰るはずもなく、一時は本当にヒヤヒヤものでした。しかし無事に入ったあとは、美味いインドネシア料理とビンタンビールをガンガン楽しみ、口福の限りを尽くしましたし、勿論いつも通りに日本と海外の濃いぃ鉄話題で盛り上がったことは言うまでもありません。そしてパクアン急行様からは、一同どよめく重大発表が……(^O^)。私の年間予定とうまく合いますかどうか、早くもヒヤヒヤものです! そして終了後は、パクアン急行様とともに東急Qシート初乗車♪ というわけで、幹事役のKuching様、パクアン急行様ほか、ご参加の皆様には大変お世話になりました!



 それにしても、パクアン急行様のブログを介して知るインドネシアの鉄道事情は、ここに来ていろいろな変化が激しく、しばらくご無沙汰していると浦島な脳内を整理するのに一苦労です。「ステンレス客車の急増→古い客車の余剰大発生→廃車置き場確保のためチカウムだけでなくプルワカルタの廃車山脈取り崩し」という話題は (※)、ひところプルワカルタに入り浸った (笑) だけに感慨深いものがありますし、インスタ映えするスポットとして廃車の山を撮りたいインドネシアのパンピーの皆様と、撮らせまいとするPKDがしばらく骨肉の闘争を繰り広げていたというのは何をか言わんや……(最初から廃車即解体にしていれば良かったのに! ^^;)。また、国産INKA製電車KFWが集中的に故障しまくった結果、カンプンバンダン・フィーダ運用を除いて完全離脱し、タンジュンプリオク線は日本中古8連で来るようになったというのも、昔の超過疎なタンジュンプリオク界隈を記憶する者としては衝撃です (嗚呼……103系が残っていれば!)。そして、スルポン=バンテン線のランカスビトゥン電化開業が実現して以来、路線も沿線も変化が著しく、あっという間にマジャ~ランカスビトゥン間が複線化されたほか、棚田や畑がニュータウンへと急速に変貌しつつあるという……。昔の田園都市線、いまのスルポン線、といったところでしょうか。
 すると、マジャ~ランカスビトゥン間に架線が張られながらもなかなか電化開業の気配が見えず、相変わらず客レ鈍行が往来していた2015~2016頃の画像が、一気に昔の光景に思えて来ます。上はランカス駅、下はマジャ駅での撮影ですが、マジャ駅の橋上駅舎も建設中で、この当時はマッチ箱のような駅舎、デコボコな駅前だったのもウソのようです。いやそもそも、ランカス電化開業後は未だ訪れていないため、ランカス駅に205系が停まっているということ自体、写真では理解していて実感が湧かないのですが……(^^;;)。

※クラブツーリズム・海外の旅パンフレット最新版のうちインドネシアの部分に、鉄ヲタ向け・ジャカルタの日本中古電車乗車ツアーの記載があり、最大の目玉としてプルワカルタの廃車の山を訪ねる云々が記されていますが、「詳しくはWebで」とあるためアクセスしてみたところ、このツアーの催行自体がキャンセルとなったようで削除されています。担当者氏がパクアン急行様の記事を見て、あるいは既に催行したツアーで寄ってみたら追い払われて、プルワカルタにはもう行けないと判断したのでしょう。
……何故こんな事情を知っているのかと申しますと、私の親が毎月クラツーのパンフレットの送付を受けているからです (笑)。