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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

香港加油!東鐵線の近車製SP1900形

2014-10-01 00:00:00 | 中国の鉄道


 香港が熱く燃えている。ごく当たり前の自由を守るために。
 そこで、主要なデモ会場となっている香港島の中心街を走る2階建てトラムをアップすることで、遠い日本からのささやかな応援としたいところではありますが、デジカメを導入してから一度もトラムを撮っていないことに気づきました (滝汗)。マクロレンズとライトボックスと三脚をセッティングしてお手軽スキャンをするのも、夜遅く帰宅した中では少々面倒臭い……。
 そこで、約3年半前に撮ったきり、マスクが個人的にイマイチなためアップしていなかった、東鐵線の新型車両(とはいっても登場から10年以上)であるSP1900形をアップしておきます。この車両は近車製ということで、広州まで向かう直通車の香港側車両ともども、実は何気に応援するべき存在ではあるのです。



 ここからは鉄道とは一切関係ない、政治がらみの超チラシの裏がかった話ですので、コメントはご遠慮下さい。
 そもそも香港は1842年から1997年まで英国の植民地であったため、中共やその御用メディア・学者は、「香港には民主はなかった。それを行政長官直接選挙でより高い次元で実現するのだから、我々こそ民主を与える存在だ」とぬかしております。しかし、香港には総督の政治を変える力はなかったものの、英国流の法の支配と自由はあったわけで……。それが一応中国返還後も特別行政区という名のもとで一応保たれてきたものの、このたび中共が行政長官普通選挙推進にあたり「行政長官はもとより何事も北京のいう通りにする愛国的存在でなければならない。北京に楯突くヤツは民主のフリをした破壊者で許せぬ」という方針を示したことで、香港の自由が失われると思った人々、とくに将来を担う若者が立ち上がったというのが今回の展開ということになります。
 しかし残念ながら、中共は大陸内部への波及を恐れて絶対に妥協しないでしょう。中共は「全ての決定権は北京の全人代にある」と吠えていますので、香港特別行政区そのものが取り消される可能性もあり、その前に大惨事にならないとは断言出来ません。香港が国際都市であることに鑑み、手荒なことはしないだろうという論評もあるようですが、中共が最近日本やベトナム・フィリピンに何をしたかを考えれば、それは些か楽観的に過ぎると思います。
 そんな恐れにもかかわらず人間の尊厳を守ろうとする香港人加油!!

 起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し 
 醒めよ我が同胞(はらから) 暁は来ぬ
 暴虐の鎖断つ日 旗は血に燃えて 
 海を隔てつ我ら 腕(かいな)結び行く
 いざ戦わんいざ 奮い起ていざ 
 嗚呼インターナショナル 我らがもの

 この歌がこれほど、現存する世界最大の社会主義国家への抵抗の歌としてふさわしいとは、何という歴史の皮肉でしょうか。あの世の馬克斯先生と烈寧先生は、アンタらに共鳴した連中がかつてなく人間性を鎖で縛っていることにどう落とし前つけてくれるんですかねぇ? この歌の歌詞も、今や自由な海洋文明の共有しか人類の共存は有り得ないという観点から「旗を青く染め」と言い換えた方が良いのかも知れません。

『中国鉄道時刻表』発刊記念・緑皮車画像

2014-08-31 00:00:00 | 中国の鉄道


 日本の鉄道趣味の底力は、たとえ外国のネタであってもその国の関係者や趣味者が想像もつかないほどの著作を生み出すところにあると思うのですが、そんなことを改めて強く思う逸品として、このたびサークル「中国鉄道時刻研究会」から『中国鉄道時刻表 (2014年夏・Vol.1)』が発刊されました! 発売開始は、参加者の凄まじい熱気のためにホール内に雲が発生するといわれる某お台場巨大イベントでのことでしたが、個人的にはこのイベントは訪問したことがなく、訪れた瞬間に熱中症で倒れそうな気分になりそうですので (笑)、どうせ書泉に並ぶだろうと割り切って一昨日無事ゲット! 購入時点では約20冊が平積みになっていましたが、果たして今頃は……。
 ところで、この時刻表は一体何が凄いのかと申しますと……CNRの列車時刻が完全に日本式に並べられていること! もともと中国では、CNRの子会社である中国鉄道出版社が長年来『全国鉄路列車時刻表』を定期的に刊行しており、90年代前半くらいまでの列車本数が全然多くなかった頃は路線ごとに割とよくまとまった内容でありましたが、一方で停車駅が少ない直快・普快 (急行) 以上の列車と直客・普客 (鈍行) では全くページが分けられており、緩急両方参考にしてマイペースで旅行するには少々面倒なものがありました (まぁ当時既に、鈍行なんて地元民専用列車でしたので、実用的には問題なかったのでしょうけど)。ところがその後、列車の本数が経済発展とともに激増し、様々な方向への直通運転が増え、かつ種別も千差万別となるにつれ、同じ路線を走る列車が全く異なるページに掲載される程度が甚だしくなっていました。旅行の携行にも便利なB6サイズのコンパクトで限られた誌面に膨大な列車を掲載する以上、徹底して省スペースを追求すると、結果的にそうなってしまうわけですが……。そこで、主要駅を利用する外国人にとって最も標準的な見方は、まず巻頭の「大站時刻表」でお目当ての行き先に至る列車を探し、指示されたページを見ることになるわけですが、これはどちらかと言えば飛行機や高速バスの時刻表的な発想であり (まぁ実際、CNRは高速化するほど飛行機に近い利用法になりつつあるのですが)、路線ごとの運行状況を綿密に確認したい日本的鉄ヲタ脳の持ち主にとっては年々煩悶が深まるという問題がありました。



 それを一気に解決するべくこの時刻表が採用したのは、ズバリ「日式」! 既に、外国の種別ごとに分かれた時刻表を「日式」に改めたものとして、『日式台湾時刻表』がありますが、個人的には台湾程度ならわざわざ日式を使わなくても何とかなるかな、と思っているのに加え、何と言ってもあの薄さで1000円とは高い……。というわけで、台湾のそれはまだ買ったことがなかったのですが、台湾よりもはるかに路線ごとの一大集約が待たれていた中国について「日式」が現れ、しかもB5・240頁の堂々たるボリュームで1900円とは間違いなく安い!! 膨大で複雑怪奇なCNRの運行形態を解析したうえで時刻表作成ソフトで路線ごとの基礎フォーマットを作成し、そこに数字を丹念に打ち込んで行くという献身的な作業を考えただけでも、これは間違いなく「人民のために服務する」「自力更生・刻苦奮闘」の境地で滅私奉公する崇高なヲタ精神の賜物であるとしか考えられません……。主編の何氏(私も以前、中国鉄オフ会でお会いしたことがあります)は在日新華僑でおられますが、ご両親と共に来日された子供時代から日本の学校教育を受けてどっぷりと日本の鉄ヲタ文化に浸っておられ、さらに編集協力者各位も日本人鉄ヲタでおられることは間違いないでしょうから、これは明らかに奇書『中国鉄道大全』に引き続き「中国にありそうでなかったものを日本在住鉄ヲタの底力が創りだした」ものと言って良いでしょう。
 以前『中国鉄道大全』が出版された際、そのウワサはネットを介して中国にも伝わり、「我々が欲しいと思っても到底手に入らないものを、あるいは我々が先につくるべきものを、何故小日本が作ってしまうのだ!! クヤシー!でも欲しい!」という怨嗟めいた悲鳴が上がったと側聞します。恐らくこの『中国鉄道時刻表』も、中国にその存在が伝われば間違いなく、中国の鉄ヲタが限りないショックを受けることになるでしょう……(そして、巻頭と巻末の日本語による読み物&ガイドを除けば、基本的に漢字と数字の羅列ですので、意外と中国から購入希望の引き合いがあるのでは?)。
 個人的には時刻表そのものの圧倒的な内容もさることながら (京広線下りだけで10頁近くを割くのは圧巻。また、かつて陸の孤島であった福建に向けて動車が頻繁運転するようになったのは、他のエリアにおける高速専線の繁栄以上に、ここ20年で最大の変化でしょうか?)、緑皮車大好き人間のはしくれとして、何氏のオンボロ緑皮車に寄せる愛に感じ入った次第です。とくに、春節輸送に駆り出された緑皮車を乗り継ぐレポートはある意味でハードコアで圧巻ですし (モスクワ行き国際列車に用いられていた18系客車が臨客に落ちぶれているというのは衝撃的発見では?)、黒龍江省のチチハルからCNR最北端の漠河・古蓮に向かう普客6245レが、1頁の上から下までダーッと数字がならぶ飯田線鈍行のような存在として描かれているのも、ある意味でこの時刻表における最大のこだわりなのでしょう (笑)。同じ路線の列車を全て同じ表に載せるという本書のこだわりを以てしても、全国的に衰退の極みに陥った普客しか停まらない小駅のためにスペースを増やすのは得策ではなく、普客は他の優等列車と同じ表にまず主要駅のみ掲載され、さらに別表として全停車駅を載せるという方式がとられています。しかし、この6245レが走る路線は、優等列車が割と小まめに小駅にも停車することから、最初から全駅を表記した表に優等・普客が記載されています。この結果、この路線が載っている52・53頁が最も日本の時刻表に近い雰囲気になっているわけですが、裏を返せばそこまでCNRで小駅が高速化・複線化とともに廃止 (または旅客営業休止) されている現実を知ることが出来るわけです、はい。
 というわけで、オチも何もありませんが、こんな奥が深い時刻表の出現を記念して、手持ちの緑皮車画像のうち未公開なものをアップしておきます (1枚目は、80年代の末に登場して耳目を驚かした北京~上海直達特快用空調YZ22が、落ちぶれに落ちぶれて北京郊外のローカル線[既に旅客営業廃止]で用いられていましたの図。2枚目は、瀋陽駅南の事業用車だまりに潜入して満鉄客車や22系客車を撮りましたの図)。しかしまぁ、これらも2006年に撮影したもので、最近は時間もなければ、そもそも出張もないということで、全然中国とは御無沙汰です。まぁ昔ほど面白くはないので全然どーでもいいやと言えばそれまでですが、やはり緑皮車の最後の巣になっている東北をのんびり旅行したいなぁ~という微かな願望はあります。まぁそれも多分実現しないでしょうけど (汗)。

中国東風4型のN模型化記念・瀋陽の赤亀

2013-12-15 00:00:00 | 中国の鉄道


 先日は「社会主義日本エレクトリーチカ」なる「史上最凶のケツ作」を完成させたことにより、師走のヘロヘロな脳内に自ら刺激を加えたわけですが (爆)、その一方では傑作な完成品をゲットすることによる幸福感を得たいと思うのも、所詮ブルジョア社会のドレイとして生きる小市民である以上、致し方のないところであります (笑)。そんな、ボーナスゲットで少々良い気分に陥っているヲッサンを狙った模型年末商戦の目玉といえるのは、KATOの飯田線旧国クモハ53であろうことは衆目一致するところでしょうが (恐らく、某N模型情報サイトにおけるKATOの年間最高傑作に選ばれること間違いなしでしょう!)、この先には大晦日直前恒例となった京急鉄コレも控えているわけですから、全く油断も何もあったものではなく、ただひたすら財布を固くガードしなければなりません。
 そんな折も折ですが、このたび個人的な超弩級の物欲大放出!の機会が到来することになりまして、呆気なく財布の守りが陥落決定……! 中国国鉄N模型の記念すべき第一号である東風4型・緑&オレンジ両バージョンをゲットォォォォ!!するはこびとなったのです (*^O^*)。



 これが出るという情報は、先月開催した「落花生。様歓迎・インドネシア鉄の宴」のついでに、いつもお世話になっておりますKucing様から伺っており、既に蒲田での毎年恒例模型ヲタ祭りにて試験的に販売がなされたようですが (私は富山に行ってしまったのでパスしたのですが、そんな隠し球があったとは……)、そこで「東風4・N火車模型」というキーワードでググッてみたところ (もちろん簡体字で入力)、うおぉぉっ!製造元メーカーの公式HPが出て来ました! Kucing様によりますとこのメーカーは、中国での潜在的な鉄道趣味市場に着目した台湾企業が中国に投資して工場を稼働させ始めたとのことで、Nについては究極の名車 (?!) である緑皮車YZ22の製品化が予定されているだけでなく、台湾の既存N模型メーカーである鉄支路模型が未だ手がけていない車両として台鉄DR2700を製品化する予定!! 公式HP(簡体字)の意匠もなかなか美しく、今後については大いに期待できます……。また、日本での販売体制の構築も進んでいるとのことですので、詳しい話が分かり次第お伝えしたいと思います♪
 まずは近日ゲット次第、改めてレポートしますのでお楽しみに~(楽しみにする方はほとんどいらっしゃらないことは百も承知ですが ^^;)。
 というわけで、そんな東風4型のN化を記念して、2006年の夏に瀋陽界隈で撮影した赤亀様の画像を掘り起こしてアップしてみます (1枚目→撫順駅。2枚目→瀋陽駅南側)。嗚呼……昔はこんな感じで線路用地内撮影もフツーに出来て良かったなぁ……と。(現在では都市近郊に限らず地方でも線路脇は柵で囲まれていますし、この御時世、日本人が撮っているとスパイ扱いされる可能性はゼロではないと思います……まだそういう話までは聞いていませんが)


 やっぱ誰が何と言おうと中国の客車といえば 硬 座 車 YZ22だろ!!……と叫びたい私は、80~90年代の中国バックパッカー旅行黄金時代の味を知るヲッサン (まぁホンネは、何時でも硬臥車YW22に乗りたかったのですが……^^;)。
 怪社で中国人の若手に「オレは昔、真夏に空調なしの緑皮車で、上海から延々と数十時間乗り続けたもんよ!」と言いますと、彼らは一様に顔面蒼白になり讃辞を惜しみません (笑)。今どきの中国の若者はヤワな独りっ子ばかりですので、そんな連中に日本との対決なんて出来るわけないのです。



 2006年頃、瀋陽~撫順間のシャトル快客(全国時刻表に載っていない!)に用いられていた緑皮YZ22は、乗車時間が短いのみならず既に高速バスに客を奪われていたため、車内は汚れようがなく……個人的に数知れず乗ったYZ22の中でも一番キレイな車内であったのを思い出します。キレイでありさえすれば、この椅子の座り心地も見かけによらずまぁまぁですので、フツーに長時間の乗車も出来なくもないのです。なお2006年当時、東北に残存していたYZ22の多くは二段窓化改造を受けておりましたが、撫順シャトル用編成は原型窓を保っていたため、とにかく懐旧と感動のショート・トリップでした (*^^*)。撫順駅の跨線橋も間違いなく満鉄時代そのままでしたし……。
 はぁ~それにしても、今やこの撫順駅にせよ、名物・撫順炭鉱電鉄にせよ、一体どうなってしまっているのやら。撫順の電車は利用客の壊滅的激減によって運休となって久しく、貨物のみ細々と続いているそうですが。

中国鉄オフ会記念・緑皮満鉄客車を偲ぶ

2013-01-04 00:00:00 | 中国の鉄道


 やや旧聞になってしまい恐縮ですが、去る年末、都内某所の中華風居酒屋にて、リンク頂いております『中国鉄道倶楽部』Borgen様の一時ご帰国、及び『不思議な転轍機』はいらーある様の北海道からタイへの年末年始鉄旅途上 (気温差50度以上!) の東京ご滞在に合わせ、中国の鉄道事情に造詣の深い多士済々が雲集する極めて濃いぃ宴会が開催されました! 私自身はと申しますと、ここ数年のあいだに中国を訪れた機会は一昨年・震災直後の香港・深セン界隈のみで、あらゆる意味で激変している中国鉄道事情についてはネットで側聞するばかりの疎い人間となってしまっておりまして、中国に関連した鉄道車両として昨年春にベトナム・ハノイで満鉄客車や昆河線からのもらい物車両にフィーバーした程度ですが、有り難くもお誘いを頂きましたので、ベトナムで撮影した写真やら、怪しく製作した華中鉄道客車社会主義日本エレクトリーチカやらを携えて参加させて頂きました! 
 そして会場では、日中関係が悪化した今となっては恐らく未来永劫類似本は出ない可能性があるという点で奇書として語り継がれるであろう (?)『中国鉄道大全』を著者サイン本にして頂いたり (^O^)、様々な方から様々に濃いぃお話を伺うなど、あっという間の約4時間となりました。また、はいらーある様のご友人である店員の方が濃いぃ鉄でおられ、ウェルカム画像として壁に相鉄6021が貼ってあったのには一本取られました (笑)。何はともあれ、当日はBorgen様・はいらーある様をはじめ、皆様には大変お世話になりました! m(^^)m 
 そこで以下、ざっと備忘録を綴るついでに、中国国鉄の良き時代を象徴する緑皮満鉄客車が放置されていたシーンの未公開画像 (上・北京鉄道博物館脇。下・瀋陽駅南側。いずれも2006年撮影) をアップしてみた次第です。



●「和諧」という名が付く動車組・機関車が激増し、入れ替わりに東風4形 (緑亀) 牽引の緑皮車が牽引する鈍足な列車が激減したここ3~4年、中国の鉄道は一気につまらなくなった。
●これに比べれば2000年代半ば~後半は古いシステムのまま列車本数がかつてなく多く、一番面白い時代であった。もちろん日中関係・日本人に対するウェルカム度も今と比べれば破格に良かった。このタイミングで中国に長期駐在し、いろいろ撮り歩けた人が究極の勝ち組。
●80~90年代はSL三昧にして緑皮ワールドという最高の時代であったが、外国人に対し未開放のエリアが非常に多く、撮影もヤバい雰囲気がまだまだあったことから、田舎の慢車で多数残存していた日本製・満鉄製客車を撮り乗りまくり!というわけには行かなかったのは残念。
●もしかすると今や中国も旅客よりも貨物の方が面白い? 中国高度成長をエネルギー面で保証した大秦線の超ロング石炭列車は凄い……。しかし、そんな大秦線が日本のODAで建設されたことを知る中国人が誰もいないのは憤懣に堪えず。
●現在もSLが多数現存するのは……遼寧阜新・新疆哈密三道嶺など。
●現在辛うじて東北の鈍行や各地の短距離ローカル列車で残る22系緑皮車は、乗り撮り出来るのもマジで今のうち。
●高度成長期に造られた各地の巨大な駅舎はどれも見かけ倒しのハリボテで、瀋陽北駅は地下の漏水が深刻で早くも立て替えとなるほか、北京西駅もマジでヤバい。造っちゃ潰しの繰り返しで勿体ないし、それこそがチャイナ・クオリティの鉄の現実。しかし常に造って壊せば少なくともGDPの足しにはなる。C国共産党万歳! (嗤)
●車両メンテナンス技術力の根本的欠如という点では、最近鳴り物入りでリニューアル開業した上海~金山衛の近郊鉄道はその象徴ではないか? かつてYZ31やYZ21などボロボロの緑皮客車が思い出した頃に走っていた路線が、今やCRH2 (はやて) によって運転されているのは面白いと言えば面白いが、裏を返せば新造から僅か3~4年で最高時速100数十kmの運用に惜しげもなく投入されること自体、高速車両としてのメンテに限界があり使い捨てに近いことを意味している。
●いっぽうCNRは近距離都市間輸送用としてCRH6を開発中であるが、見た目からしてチープでショボ過ぎ!
●近年ぼちぼち増えつつある中国人鉄ヲタが模型を愛玩するにあたっては、なけなしの小遣いをはたいてバックマン等のHO客車単品を購入し、各自それを持ち寄って運転会で連結する……という楽しみ方をしているようだが、各自が自宅で運転を楽しみたいという需要はあるはず。そこで、中国の住宅環境にも日本で高度に発展したN模型は好適であり、マイクロエースあたりが中国市場向けに中国型を発売すれば当たると思うし是非欲しい! あるいは、CRH2・CRH380Aを日中同時発売して欲しい! しかし日中関係悪化により、日本で満鉄型ではない中国型が発売される機会が永遠に去ったのは何とも残念。(個人的にはN700・台湾700T・E5はやぶさを既に購入し、その横にCRH2・CRH380Aを並べて「日本技術による高速鉄道・卓上の大東亜共栄圏」を実現したいのですが。爆)
●中国の鉄道事情が数年前ほど面白くなく、日本人にも居心地の悪い空間になってしまった今や、中国以外のアジア、あるいは欧州・米州は俄然面白い。
●しかし台湾の客車列車事情は急速に寂しくなりつつあるので今のうち。
●「西方快車」様にご教示頂いた、米国加州オークランドの複線併用軌道はマジでスゴい! アムトラックの2階建てスーパーライナー客車が平然と走るとは……。帰宅後さっそくググッて動画を見たところ気分は鼻血噴水大放出!
●計画経済時代のボロい車両が数多く残り、物価が安く、撮影制限もないに等しい東欧 (除:リトアニア) は、共産趣味も兼ねる鉄ヲタにとって最後の楽園である。(鉄道車両だけでなく社会主義時代の巨大建築名が飛び出して一同恍惚。笑)
●ロシアもウラジオ近辺を除けばそれほど撮影にはうるさくない?

……私が座った近辺では、記憶の範囲ではこんな内容が飛び交いましたが、そのことからしても如何に濃厚な宴会であったかがお分かり頂けるかと存じます。

砂礫のミカド・90年代の中国甘粛にて

2012-09-16 00:00:00 | 中国の鉄道


 ここ数日の中国が本朝に対し見せつけている異常な「文攻武嚇」ぶりは、中国史の教科書あたりで読んだ毛沢東時代、とくに文革期の「打倒米帝・打倒ソ連修正主義」のスローガンに似て凄絶なものがあります。もちろん「日本に妥協的な裏切り者=漢奸」扱いされれば彼の国では生きて行けないという、1995年以来の愛国主義教育で極めて強まってしまった問題がありますので、「表態」(態度表明)を強いられた政府やメディアからして集団ヒステリーな状態になっていることが見て取れ、「反ファシズム」などと言いながら中国自身が滅茶苦茶ファシズムの罠に陥っているとしか思えません。そんな言い草をいちいち受け容れては、本朝の国家主権と尊厳が立ちゆかないという問題がありますので、これはもうチキンレース状態になるのもやむを得ないでしょう。以前から何となく分かっていた潜在的問題が、ついにリアルになったということで。とゆーか、中共自身が日本に圧力をかけるつもりで自ら煽ったこの芝居、ネット上の「略奪放火何でもあり」な凄惨な画像を見るにつけ、既に中共自身がコントロールを失っている状態なのではないかと (棒読み)。
 そんな世情をへっぽこブログのテキトー管理人なりに眺めるにつけ、誠に残念ながら、少なくともこの国は完全に、日本人にとっての旅行市場ではなくなった……と思います。かつて日中友好全開の時代、中国の遙かなる大地への旅を誘うテレビ番組を見過ぎ、『地球の歩き方』中国編を読み過ぎた結果 (あと、ヨーロッパやアメリカに行く金は全然ないこともあって ^^;;)、何度もフラフラと中国の田舎で貧乏旅行を楽しんだことがある私としては、曰く言い難い寂しさを禁じ得ません。



 もちろん、当時も勿論いろいろ歴史がらみの問題はありましたが、少なくとも旅をしていて不愉快になることなんて、壮絶な「ニーハオ・トイレ」 (笑) や、列車の切符がロクに手に入らない「没有」「無座」攻撃、それに列車・バス乗車時の押しくらまんじゅう闘争 (誰も列を作ろうとしない) 以外さほどありませんでした。あ、いやいや、こう書いているうちに他にもいろいろ思い出して来ましたが、それはこちらが用心すれば防げる問題でもあるので省略。そういえば、「金儲けは反革命だった時代の名残で、革命的に無愛想な服務員」の釣り銭投げ飛ばし攻撃もありましたが、それは慣れれば何でもありません (笑)。というわけで、総じて日本人だと言えばどこでも必ず親切にしてもらえましたし (本当です)、何と言っても古き良き風情がそこらじゅうに充満していたのが楽しかったのです (まぁとにかくボロかったですけど)。
 しかし今や、都会の余りにも広すぎる道は歩行者の存在を拒むかのようにクルマで埋まり、味のある街並みは荒々しい勢いで「おから建築」の安普請ビルに変わってしまい、SLはおろか緑亀様 (東風4型) や緑皮車までもが急激に減っているとは……。その一方で物価は相当高くなってしまいましたので、そんな国に観光に行きたいという気分自体が萎えてしまったのは私だけではないでしょう。そんな折にこんな事態。嗚呼、90年代中頃までの楽しい中国よカムバァァック! (-_-

 というわけで、昔のポジを引っ張り出して、マクロレンズを使ってお手軽にデジタル化するお遊びの一環として、泣く子も黙るカラカラに乾いたド田舎・甘粛省で撮影したSLをアップしてみましょう (フィルムはカラーですがモノクロ化しています)。1枚目は90年に嘉峪関市内(万里の長城の西端)でレンタサイクルで移動中に撮影した解放型。砂漠のど真ん中に忽然と建設された工業都市から、祁連山中にある鏡鉄山鉱山へ向かう産業路線をオーバークロスするところですが、ちょうどヤードの入換中で、解放型 (さてこれは満鉄工場製?それとも戦後製?) がしずしずとやって来ましたので、辺りを見回した上で速攻でパチリ (^^;)。いっぽう2枚目は、96年に包蘭線の白銀西駅で硬臥車内から撮影した建設型ですが、ここから先の支線は、中国SL迷な日本人鉄の間では非常に有名な機密路線ということで、まぁこんなカットも貴重?……なわけないか (^^;;)。ともあれ、この当時は原則鉄道撮影禁止なのでは?と思っていたことに加え、個人的にも基本的に非鉄期で、貴重なポジフィルムはほとんど名所旧跡や街並み撮影に回してしまっておりましたので、鉄道写真は他人の視線を忍んでこっそり撮影したごく僅かなカットしかないことが本当に悔やまれます……(当時の西北地域で撮影したのはマジでこれくらいです。滝汗)。