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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ハノイ以北サウナ鉄 (7) 中国紅皮25B

2016-06-30 00:00:00 | 中国の鉄道


 紅皮中心の編成は間もなく見納め? 手前はRW25B 553465。



 RW25B 552607。



 塗って間もないのにまたも塗り替え。RW25B 553222。



 上記車両と一番違いながら色が褪せすぎ。RW25B 553223。

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 現在急ピッチで塗装変更が進む中国国鉄の客車、何故わざわざカラフルな塗装を、往年の国際共産主義標準色である緑皮にするのかと言えば、まぁ鉄道部(国務院を構成する一省庁から、国有企業グループとしての鉄路総公司に格下げ済み)も例外ではなかった巨大汚職まみれの社会に「反腐敗」の喝を入れる習大大(キンペーの愛称)の安易な思いつきと無縁ではなさそうだ……と思うのは私だけでしょうか。今やベトナム国鉄はおろか、北朝鮮国鉄ですらカラフルな塗装に変更し始めている (撮りてぇ!……早急な日朝国交樹立希望……) といわれる中、米国と天下を分割せんと鼻息荒い世界の超大国様w だけが昔帰りをするというのも何だか可笑しい話ではあります。
 というわけで、ネットをつらつら眺めるにつけ、膨大な量の客車をかなりのハイペースで緑皮化する作業が進んでいるようですが、それだけに消えゆく紅皮・藍皮車を記録するのは今のうち……というわけで、滞在2日目の朝のザーラムにて形式写真撮影に勤しみました。それにしても、退色した車両の退色ぶりはヒドく、国際列車の威厳も何もあったものではありませんな……。まぁ、そんな退色のしやすさも、思い切って緑皮化(退色しにくい?)する一つの理由だったのかも知れません。

 それにしても、私が初めて紅皮車を見て乗ったのは、当時の中国国鉄における最高級列車であった北京~上海・北京~広州間の直達特快が紅皮25Kになって間もない1995年春のこと……。当時のほとんどの列車は悉く非冷房緑皮であった中、前任の22系最終ロット冷房車ですら、青とクリームのツートン姿にまぶしさを感じたものですが、それが突如明るいイメージの紅皮を纏ったリブ無しの25系客車になったということで、腰が抜けそうなほど驚いたのを今でも思い出します。硬座に乗っても、フカフカな椅子に空調付きということで、「これは軟座よりも軟座だな……」という印象すら受けました。そんな25K紅皮でしたので、外国人料金を叩きつけて首尾良く硬臥の切符をゲット出来たときには飛び上がるほど嬉しく、通路の椅子を倒して茶をしばきながら、北京から広州まで夢のような旅をしたのを今でもありありと思い出します (さすが直達特快の25Kともなれば電源車連結ですので、床下で発電機が唸ったりしませんし)。
 しかし今や、そんな紅皮車も、度重なるスピードアップの結果、120km/h制限で大して速くない快速(日本で言う急行程度のノリ)の主力車両となって久しく、かつては最高級直達特快用客車であったことを知る人はほとんどいなくなってしまったのかも知れません。その後の経済発展と列車の本数増のペースが速すぎたからなぁ……。そして、そんな記憶の旅から約20年を経て、紅皮も新緑皮となって歴史の中に去るということで、歳は取りたくないものだ、という一言に尽きます。

ハノイ以北サウナ鉄 (6) 中国新緑皮25B

2016-06-27 00:00:00 | 中国の鉄道


 ベトナム国鉄ハロン線の今回の主役を扱ったところで、標準軌を走るもう一つの車両として、中国国鉄25系客車についても触れておきたいと思います。まぁこんな車両は、はるばるベトナムまで来なくとも、日本のすぐそばの北京上海や大連瀋陽あたりでいくらでも拝めるわけですが、個人的にはその中国自体が2011年3月を最後にご無沙汰で、客レもその際に香港の東鉄線で撮って以来ですので、新緑皮化政策が一昨年来大々的に推進されている中で緑皮化された25系客車を撮影するのは初めてです (^^;)。
 それはさておき、今や中国国鉄客車列車の圧倒的部分を占めるに至った25系客車のうち、南寧~ザーラム間の国際列車に使用されているのは25B系となります。Bは即ち標準Biaozhunの意。90年代に、一般列車の体質改善を図るべく、22系客車と混ぜて使う前提で造られたのがこのシリーズであり、25系単独のオール冷房車編成として製造された25K系が当時実にまぶしい、22系よりも一回り大きめな (?) 一段窓で登場したのと比べれば、ややスペックダウンの二段窓で登場しています。



 ただ、そんな25B系だけに、主に製造されたのは硬座車であるという印象が強く、軟臥で25Bって滅多に見たことがないような気が……。それだけに、ザーラム駅にて5両揃ってRW25Bが停車しているという光景は、ある意味で極めてレアなものであると思われます。
 もっとも、4人コンパートメントのこれに乗り、古き良き寝台列車の旅をしたいか?と問われれば、私自身の答えはNo!です。何故なら、コンパートメントごとに扉で密閉できる軟臥車は、ウザイ客と乗り合わせたときの「損した!金返せ!」感がハンパなものではないからです……(CNRは硬臥が一番!)。さらにこのRW25B、登場当初からの車軸発電機装備車であればさておき (手前の緑皮は車軸発電)、一部の車両はディーゼル発電機を搭載する「キロネ」状態に改造され、撮影時も「グァァーッ!」と凄まじい音を立てていました……。日本の12・14系と同様、電源車無しの編成でも常時空調が使えるようにとの考慮でしょうが、日本で「キハフ」「キハネフ」に乗るのもノーサンキューだというのに、軟席で床下から轟音がするのは如何なものか……と。気動車の走行音はドラマがあって大好きですが、常に同じ音が続く発電エンジン音は、個人的にはキライです……(汗)。

※ベトナム国内での撮影ですが、カテゴリは中国と致します。

ジャカルタの中国高速鉄道展を見物する

2015-09-05 00:00:00 | 中国の鉄道


 最近にわかにニュースを賑わせていたインドネシアの高速鉄道建設問題、結局ジョコウィ大統領が計画を凍結すると宣言して当面沙汰止みとなったようです。この問題の詳細につきましては部外者が知る由もありませんが、何かしらの運命に導かれてジャカルタで鉄活動するようになってしまった一介の日本人としては、やはり強烈に関心を寄せずにはいられない問題ではありました。
 この問題が迷走した一つの大きな要因は、インドネシアにおける昨年の政権交代そのものであったと言えましょう。ジョコウィ大統領は何のかの言って立志伝的な下克上の人であり、自分の出身階層である膨大な一般庶民の民生を考えなければなりません。また、余りにも巨大で多様な島嶼国家であるインドネシアにおいては、ジャワ偏重と糾弾される状況が生まれないようにしなければなりません (現実には勿論圧倒的にジャワ島の社会経済的存在感が大きいわけですが)。それが、就任早々に打ち出された非ジャワ諸島のインフラ整備促進であったわけで、そのあおりでユドヨノ政権時に決まりかけていた日本新幹線案も流れてしまったという次第。ところがジョコウィ大統領が初の外遊として日本を訪れて以来、すっかり高速鉄道に魅了され、やはり持続的な経済発展(既に高速道路でも深刻化している渋滞は、それ自体が巨大な経済損失)に鑑みれば、経済活動の主軸であるジャワ島における鉄道インフラの整備も急務だと考えるようになったのでしょう。



 そんなインドネシアの内部事情に目をつけたのが、反日・抗日を事実上の国是とするチーナ!じゃなくてティオンコック! (日本に対し、大好き!から打倒!まで多様な印象を持つ一般国民はさておき、少なくとも中共というエリート集団が日本の国益と合致しない存在であることは、最早否定できないでしょう) 
 中国はリーマンショック後の経済危機を膨大な財政投資で「克服」し、世界中の多くの脳天気なエコノミストから救世主扱いされてますます鼻高々になったのも束の間。1950年代末の「大躍進」よろしく、後先考えずに生産設備ばかり増やしまくった結果、製品需要が一巡して経済が冷え込むにつれ凄まじい設備&在庫過剰を抱え込むに至り、その危機感がさらなる高速鉄道過剰建設やアジア・アフリカでの焼畑農業的なインフラ投資先開拓につながっているわけです。AIIB、あるいは「一帯一路(陸と海のシルクロード)」などという仕掛けやスローガンは、かつての「大躍進」の惨状再来による中国崩壊を恐れた中共の焦りの裏返しでしかありません。そんな中共は、インドネシアで再び高まる高速鉄道待望論に着目し、何とか日本ではなく自国が受注しようと猛烈な売り込みを図ったものと想像されます。
 しかし結局ジョコウィ政権がどちらの案も凍結したのは、拙ブログの愚見によると、大まかに言ってこんな理由によるのでしょう。

 (1) 中国経済の破滅的減速による世界的な資源価格下落の中、資源大国でもあるインドネシア経済にも相当響いている。
 (2) しかもインドネシア自身、ここ数年の猛烈な経済発展により需要が一段落し、経済がやや低調になったところに、ルピア安が直撃。
 (3) 日本技術に出来れば越したことはない。しかし日本政府が求めている政府保証は、経済面・経営面で不安が拭えない中、どうにもこうにも気が重い。
 (4) それでも何とか安く確実に高速鉄道を整備するべく、日本と中国を競わせてはみたものの、余り安くしすぎるとロクなものが出来ないという懸念。(インドネシアは中国の如き、「党の指示」で住民を立ち退かせることが出来る国ではなく、一定程度用地買収にカネはかかる。また、バンドゥン周辺は火山もある急峻な山岳地帯につき、中国が宣伝するような「安くて速く建設できる高速鉄道」はイマイチ信用しがたい)
 (5) 中国は日本よりもやや高く(この時点で既に中国の輸出競争力が大幅に減退していることを意味)、日本より高利であるものの、工期が短く政治的効用が高い。また、政府保証を求めてくる日本とは異なり、恐らくAIIBを使って中国が手厚く&気前よく金融バックアップをしてくれる見込みあり。しかし、工期は不測の事態がありうるうえ、中国自身の急激な経済破綻により、中国自身にインドネシア高速鉄道をサポートする十分な体力があるのか疑問視せざるを得ない状況に。
 (6) というわけで、結局は現在既に確保してあるジャカルタ~ブカシ間の複々線も活用するかたちで、在来線にもっと速い列車を走らせれば良いのではないか。現在は客レで3時間を要するジャカルタ~バンドゥン間140kmも、急勾配対応の振子式車両の類いにすれば1時間半~2時間以内にすることが出来る。したがって、中国がジャカルタ郊外に造ろうとしている高速鉄道駅に向かうまでの時間(渋滞により時間を読むことが出来ず)と高速鉄道乗車時間の和よりも、ガンビールやマンガライ(将来の総合駅?)とバンドゥン間の在来線所要時間の方が短くなる可能性も大。
 (7) バンドゥンから先、スマランやスラバヤまでの延長も踏まえた高速鉄道計画は、インドネシア経済と世界経済の今後を慎重に占ってからでも良い。

 ……というわけで、今般の決定を前に、わざわざジャカルタの高級ショッピングセンターでパクリ新幹線展、もとい中国高速鉄道展を開催し、インドネシアの中産層に向けて相当気合いが入っていたと思われる中国の目論見は、当面完全なる空回りとなったのでした。この、いろいろな車種の模型やら紹介パネルやらを「これでもか!」と並べた展示会を、落花生。様のご案内で見物……とゆーか敵情視察したのですが (詳しくはこちらをご覧下さい)、なるべく日本の新幹線とイメージが重ならない次世代車両を並べ、日本と似たイメージにならないよう計算しているな~、という感じでありました。
 それにしても、今回は結局日中両国の案のいずれも流れ、ある意味でサバサバと今回の記事をアップしているわけですが、今後中国は自国経済救済のためにも、このような展示会を世界各国(経済がそこそこ発展し、スピーディーな移動への関心が高まりつつある国)で開催するものと思われます。新幹線を売りたい日本としてもゆめゆめ油断できないといったところでしょう。とりあえず、振子式車両の導入による1067mmの高速化という点では、日本の方がはるかに実績があるわけですが……。

中国鉄道博物館の保存SL・前進型と解放型

2015-07-08 00:00:00 | 中国の鉄道


 昨日中国から伝わって来たニュースは、いろいろな意味で黒い笑いがこみ上げずにはいられないものがありました。その一つは、上海証券取引所の惨状……。ここが大暴落すると中国経済に大混乱が生じるわけで、何としてでも暴落を避けようとあの手この手の露骨な介入がなされていたようですが、そうなれば「ここの市場は自由で透明ではないので、何を信用して個別企業に投資すれば良いのか分からぬ」と外部から思われても仕方がなく、外資が猛烈に逃げたと思われる上海B株はグラフが心肺停止状態……(滝汗)。まぁ、偉大で正しい中国共産党が指導する計画経済に戻って行くのが、結局のところ中国人民にとって(そして、荒っぽい膨張に付き合わずに済む世界人民にとって)幸せなのかもな、とも思います。
 いっぽう、そんな偉大で正しい中国共産党様におかれましては、このたびAKB48も真っ青の、世界最大のガールズグループにして共産党公認アイドルである「五十六朶花」(Fifty Six Flowersと訳せば良いのか?……56は漢族と55の少数民族の合計=「中華民族の大家庭 (笑)」を意味) をデビューさせたということで、私も早速ようつべにて謹んでその麗姿を拝見いたしました♪ 「中華児女の健康的な風格」を表現したという、その余りにもダサい雰囲気は、およそアイドルとしての甘酸っぱい魅力を欠いているわけで、これを商業ベースで日本アイドルのライバルにしようとしているのであれば壮絶にアホだな、と絶句するのですが……反面、共産趣味的観点からしますと、これはまさに文革ぢゃぁぁっ!紅衛兵ぢゃぁぁっ!北朝鮮ぢゃぁぁっ♪ とりあえず「我愛北京天安門~♪」「我是龍的伝人~♪」「我的夢想中国夢~♪」などと、愛国主義炸裂の歌詞を歌っているあたり、腹がよじれるほど爆笑させて頂きましたが、今後は是非「向雷鋒同志学習 (雷鋒同志に学ぼう)~tulip」「為人民服務~紀念白求恩 (白求恩=ベチューン同志を記念する)~愚公移山~kirakira」などなど、いろいろイマドキ風にやって頂いてCDアルバムを出して下されば、現代共産趣味運動の奇跡として購入させて頂かないわけには行きません (笑)。つーか服装は人民服を制服とし、市内の移動は黒いチャリンコとせよ。



 というわけで、個人的にはそんな中国もすっかり御無沙汰になってしまったわけですが (まぁネットがあれば、ダーティーな空気を吸わずとも手に取るように雰囲気が分かってしまうという……)、こんなニュースに触れたばっかりに、思わず昔撮った分のHDをガサゴソと漁ってしまいました。というわけで、未だアップしていなかった画像として、北京の中国鉄道博物館にて保存されているSLのごく一部をアップしてみましょう。
 1枚目は、泣く子も黙る中国最大のSL・前進型 (QJ……Qian Jinの略) の第一号機。重量級貨物列車用として、ソ連製の友好型をモデルとして設計・製造されたこのSLは、登場したときには和平型を名乗ったものの、間もなく中ソ冷戦へと真っ逆さまに陥ってしまいしたので、アメリカ帝国主義とソ連修正帝国主義の両者を打倒せよということで「反帝型 (FD……Fan Diの略)」と命名されたわけですが、やっぱ露骨すぎるネーミングだったためか、文革の黒幕の一人だった林彪が墜落死し米中接近が見え始めた頃から、無難かつ「発展」の観念に照らして問題のない前進型となって今日に至っています。しかしまぁ個人的には、反帝型でも良かったと思うのですけどねぇ~。略称のFDは、何やらキヤノンFDレンズみたいでカッコ良いですし☆ (そういう問題かよ! ^^;)
 ただ残念ながら、個人的な付き合いは薄かったです。90年代にバックパッカーとして中国を旅行したときには、各地にまだゴロゴロしており、とりわけ90年代初頭では田舎の路線で急行列車を牽引することもありました (たとえば蘭州~西寧間でQJが牽引する直快に乗ったものです)。しかし、鉄道写真撮影原則禁止と思っていたもので、撮らなかったことこそ口惜しけれ……。
 今や前進型は全中国でほぼ失職し、現役で残るのは集通鉄路(内モンゴル自治区の草原を横切る集寧~通遼間の路線)の動態保存機程度とされ、最近観光列車として動き出したとのことですが、ネットで画像を拝見するにつけ、専用の客車にラッピングをしているのが何ともダメダメ過ぎますなぁ~。
 いっぽう2枚目は、満鉄が生んだ超傑作・ミカイ改め解放型 (JF……Jie Fangの略)。余りにも性能が良いため、日本が大陸から手を引いた戦後もしばらく新造が続き (まぁどうせ、強制的に留用した日本人技術者に造らせたに違いない)、さらに貨物用の建設型や入換小運転用の上游型のベースとなったわけですが、嗚呼……これも90年代初頭にはあちこちで煙を上げていたわけで、返す返すも、90年代前半に撮影がほぼ自由であると知らなかったこと、そして当時まだデジカメが存在しなかったことを残念に思うばかりです。

中国鉄道時刻表第2号を読む・東風11形

2015-04-27 00:00:00 | 中国の鉄道


 先日日中首脳会談が開催されたとはいえ、中国をめぐるあれこれには依然として鬱陶しい情勢があり、とりわけ鉄道という点をめぐっては新幹線・都市鉄道輸出をめぐる熾烈な攻防などもあるほか、巷でウワサの某銀行にしても、リーマンショック以後の景気対策で一気に鉄道インフラを造ったところ、早くも生産設備・人員が余剰となってしまったため、いろいろな国から甘言で集めたカネをそんな中国戦略分野国有企業の救済目的で使いたいだけなのではないか……とつらつら思うものです。とはいえ単純に、膨大な鉄道網を日夜、寝台車や食堂車も付いた多種多様な長距離列車が行き交うことを考えれば、中国の鉄道はそれなりに非常に面白い存在であることは否めません。

 そんな中国の鉄道をめぐってはかねてから、鉄道省あらため鉄路総公司の子会社である中国鉄道出版社が全国版時刻表を発行し、さらに各地の鉄路局や鉄路公司が個別地域の時刻表を発行してきたわけですが、年々列車本数が増えて整理がつかなくなり見づらいという問題があったため、これを一気に打開するための秘策として、日本国内の鉄サークルである「中国鉄道時刻研究会」が《日本式》を売り物として昨年『中国鉄道時刻表』を発売、同人誌としては爆発的な売れ行きを記録したらしい……という話は記憶に新しいところです。まぁ要は、1980~2000年代の、まだ日本人を標的とした鬱陶しい話が全然無いか極めて少なかった時代に中国で鉄道の旅を楽しんだ世代=ヲッサンやヲ爺さんが、昔なつかし感情も抱きつつ大挙して購入したものと想像しています。
 以来約半年が経過し、その間には昨年末のダイヤ改正があったこともあり、このたび第二号が発売されたとのことですので、私も去る金曜日に神保町で買って参りました。本来であれば、予告された発売日であった22日にゲットしたく、夕方神保町の書泉に寄ったのですが、ブツ未だ来たらず……。まぁ致し方なく、品切れが起こりうる中ゲット出来ただけでも良しとしなければなりません。こういう有用かつ資料性が高い労作は今後も継続的に出ることが好ましいと思いますので、私は全然ノータッチの部外者ですが、勝手に宣伝させて頂きます (笑)。

 今号では冒頭に、編集及び中国における運転体系の都合上、「必ずしも《日本式》ではない(=完全な《日本式》とするのは止めた)」との重要な断り書きがあります。それは例えば、北京から草原を経由して西北の蘭州に抜ける伝統的路線である京包・包蘭線が、途中の寧夏・銀川界隈を境に分割され、北京~銀川間は銀川~宝鶏間(という新参者路線)と、銀川~蘭州間は太原~中衛間(という新参者路線)と一体化されて掲載されているという要領です(北京~包頭~蘭州ルートが好きな私は腰が抜けそうになりました)。このため、各頁の見出しからは路線名が消え、経由ルートのみが示されており、前号との違いが結構大きいためショックを受ける方も多いのかも知れません。それでも、その大変更を補うために、路線図に示されたエリア番号(全国をa~eに分ける)・ルート番号との対応は良く出来ていると思います。こういった、列車の大まかな流れに沿った誌面再編という点を除けば、同じルートを通る列車が概ね順序通りに示されるという《日本式》ではあるということで、前回のスタイルを概ね踏襲しているように思います。



 そして目を惹くのは、CNRの旅における「食」をめぐる巻頭特集でしょうか。まぁはっきり言って、今も昔もCNRの食堂車については高くてマズイという評価が多く(勿論例外もあり)、とりわけ食堂車が列車員の憩いの場に化けてしまっているため、うっかりメシ目的で足を踏み入れると睨まれるというイヤ過ぎる問題もあります。私がむかしバックパッカーとして散々CNRの長距離列車を利用したときはそれがイヤで(あと、長編成列車の混雑する車内をかき分けて食堂車に到達するのが面倒臭いという問題もあり)、食堂車の服務員がブリキの車販ガラガラカートにぶっかけ飯やぶっかけ饂飩入りの発泡スチロール容器をしこたま積んで売りに来るのを愛用していたのを思い出します。これとてまぁ美味くはないのですが、中国らしく温かいメシにありつけるのが長所であったと言えます。とはいえ、これとてもコストパフォーマンスが良いとは断言出来ないため、1990年代半ばに急速にカップラーメンが普及し始めると、あっという間に車内は濃厚なスープの臭気に満たされるようになったと記憶しています。熱湯はどうするのかって?……そりゃ~デッキの開水炉(サモワール)に汲みに行くも良し(緑皮車ではこれが石炭炊きであったため、車内は常時石炭臭い)、列車員がたまにデカい薬罐を持ってやって来るタイミングを狙うも良し(これらの熱湯サービスは無料というのが中国の特色)……こうしてメシを食らったあとは、蓋付きコップに茶葉を入れてガーッと熱湯を注ぎ、流れる風景を眺めながらチビリチビリと飲む……これが中国の長旅というものです。しかしまぁ今日ではエキナカも発達し、石炭臭い緑皮車もどんどん引退しているわけで、計画経済時代の名残も遠くなりにけりですな……。
 ちなみに、車販は車販で、客がヒマを持て余した頃合いを見計らって何でも売りに来るのですが、私が経験した中で一番笑ったのは……北京から旧熱河省のド田舎を経由して瀋陽・丹東に至る列車(この列車はスピード無視で実にシブくて良い)における「チャオシエン ヨウピィァオ~! (又は、チョソン ウピョともいう)」の呼び声 (^^;)。担当客務段の土地柄というヤツですな……。

 いっぽう肝心の列車面は、まぁ有り体に言ってCRHがまたドンドン増えている、というのが最大の変化でしょうが、とりわけ蘭新第二複線が完成し、新疆にCRHが到達するというトンデモな時代になったことが特筆されましょう(一応「客運専線」だそうですが、重量級の罐が引く客レも設定され、速度を落とす代わりに路盤を頑丈にしているあたり、その究極の目的は新疆での独立運動を鎮圧するために速やかに軍を送るためであると睨んでいます。甘粛・新疆間を直通する動車は毎日2~3往復のみという超過疎ぶりも、採算目当てで建設した鉄道ではないことを示しています。他に罐も走る「客運専線」といえば山東省にもありますが、こちらは明確に逼迫する貨客分離用と思われ)。そして、いずれ宝鶏~蘭州間の高速鉄道が開通すれば、北京からウルムチまで4000kmを走るCRHが出来るというわけで……要するに、これが習同志のいう「新シルクロード」の骨幹というヤツです。動車を使う層は最初からヒコーキを使うと思うわけで、それをさらにモスクワまで延ばすなんてどう考えても現代版の万里長城のようなものとしか思えないのですが、とにかく中国は貨客ともにこの構想に相当こだわっているらしいのも事実。
 最近とある会合で、中国から来たそれなりに偉い人が、「日本も是非、日本から中央アジアやロシア・ヨーロッパへの物資輸送にあたっては、近道である新疆ルートを使われたし」とアピールしていましたので、思わず「尖閣問題の嫌がらせで散々通関手続きを遅らせたお宅のボーダーを、何が楽しくて連雲港・阿拉山口と二度も通過せにゃぁならんのだ。ならば時間がかかってもシベリア鉄道経由の方がマシというものではないか……あほくさ」と思ったのですが、日本側の一人が機転を利かせて「まぁそれも良いのではないですか?」と、面子を立てつつ実はどうでも良いと言わんばかりの逃げ口上を述べてオシマイとなったのでした (笑)。
 あと、今後ネパールへ延ばしてインドを脅すために使うつもりのラサ~シガツェ鉄道・1日1往復も目を惹くところでしょう。他の地域・路線の様々な列車につきましては、時刻表の情報をどうぞ……といったところですが、強いて言えば、広州と南寧(広西)・貴陽(貴州)のあいだ、そして杭州から江西省を経て湖南省に至る区間にも高速鉄道が開業し、昔この一帯のド田舎をボロバスで(列車の切符が春節直後で全く手に入らないため……-_-;)命からがら縦断したことがある者としては隔世の感があります。

 話題は全く変わりまして、新たに設定された列車の中から「このスジを提案して引いたヤツは、CNR内部の鉄ヲタの中の鉄ヲタ」としか思えないものをいくつか。
 (1) 【特快 T301/304・T302/303】長春~瀋陽~通遼~集通線~フフホト~銀川~中衛~武威~ウルムチ南
 (2) 【快速 K1517/1520・K1518/1519】瀋陽北~通遼~集通線~フフホト~銀川~蘭州~西寧
 どちらも、東北と西北の長距離移動にあたり集通線を活用したというシロモノですが、途中はひたすら草原や砂漠を走り、鬱陶しい大都会での乗換を要さずして、満洲国をしのぶ東北と南モンゴルの草原、そしてチベットやウイグルといった地域を結ぶという点で、むかし中国の内陸をバックパッカーとしてウロウロしたことがある人ならば誰もが大喜びしそうな列車。
 (3) 【快速 K691/694・K692/693】フフホト~包頭~延安~新豊鎮(西安の東)~安康~小南海(重慶の西)~内江~昭通~昆明
 よくぞまぁ筋金入りのド田舎のニッチな路線ばかりを駆け抜けるものよ……しかも西安と重慶のすぐそばを通りながら通過してシカト!ということで、フフホト周辺と昆明のあいだを移動する際になるべく大都会に寄らずスムーズに移動出来るようにという配慮は滲み出ているのですが、一体そこまでの需要があるのか?と思えるニッチ列車。しかも途中通る場所はマニアックな景色の良さ。
 ※この【マニアックな新列車紹介】は、見つけ次第補筆してゆきます (笑)。

 というわけで、そんなCNRの画像として、当ブログ未収録の東風11型DL牽引シーンをアップしておきます。最近は電化網の更なる拡大やら何やらで、ネットで見かける旅客列車の牽引機が圧倒的に和諧ELシリーズになりつつあり、面白くも何ともないのですが、やっぱ改革開放以来の旅客列車における花形はといえば、東風4系列ならびに、そのDNAを正しく発展させた東風11型だろ……と思うのは私だけでしょうか? しかし今や、罐がどんどん和諧シリーズに変わっているのみならず、優美な25K系客車もどんどん新緑皮化が進んでいるという……。反腐敗キャンペーンとのからみで質実剛健な共産主義標準塗装に戻し人心を引き締めるということなのでしょうが、何かボタンの掛けどころが違うと思うわけです、ええ。