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新古今和歌集の部屋

歌論 正徹物語 下 51、61、63、67



51
祈戀にはいづれの神をも讀むべき也。
年もへぬ祈る契りは初瀬山
(年も經ぬいのるちぎりははつせ山をのへの鐘のよそのゆふぐれ
(恋歌二 1142 藤原定家朝臣)

と定家も讀み侍れば佛にも祈るべき也。
攝政殿の、
幾夜我浪にしほれて貴布禰川
幾夜われ波にしをれて貴船川そでに玉散るもの思ふらむ
(恋歌二 1141 攝政太政大臣 藤原良経)

は、貴船へは夜まいる程に、幾夜我と讀める也。

61
卯月郭公と云ふ題にて、
郭公をのが五月を待つかひの涙の瀧も聲ぞすきなき
伊勢物語に
我世をば今日か明日かと待つかひの涙の瀧といづれたかけん
と、行平のつゞみの瀧を見て讀みたる哥也。それを時鳥の涙の瀧にちやとなしたれば、めずらしく成り侍る也。か樣にちと引きかへてならでは讀まれぬ也。待つかひはまつ間也。間の字也。

63
哥に秀句が大事にて侍る也。定家之未來記といふも、秀句の事を云ひたる也。雅經の
やく鹽のからかの浦 (未詳)
などいひたるが秀句也。

67
寝覺などに定家の哥を思ひ出しぬれば、物狂ひになる心地し侍る也。もふだる躰を讀み侍る事、定家の哥程なる事は無き也。
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