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上手になる者は、眞始めから見ゆる也。家隆卿幼くて、
霜月に霜の降るこそ道理なれど十月に十はふらぬぞ
(不詳)
と讀み侍りしを、後鳥羽院は重寶に成るべき者とて、御感ありし也。上手の哥を見置きぬれば、必ず心が先づ上手になる程に、心のやうは詞が自在に讀まれぬ間、心の上手に成りたるが一わろき也。詞は物を見るにもゆらぬもの也。又詞が聞きたれ共、此処がきかねば讀まれぬ也。去程に物を見るに心得有るべき也。
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建保名所百首の題にて初心の人哥を詠むべからず。名所は、その所に昔より讀み付けたるものあれば、今讀む哥も大略は本のもの也。只ちとばかり我物が有る也。初心の時は、名所の哥が好みて詠まるゝ也。それは、安く存ずる也。我らも哥の詠まれぬ時は、名所を讀む也。名所を詠めば、二句三句も詞がふさがるものなれば、さのみ我力が入らぬ也。
高嶋やかぢのゝ原
(高嶋や勝野の原に宿問へば今日やは行かむ遠の白雲)
(壬二集 藤原家隆)
さゞ浪やし賀の濱松
(さざ波や志賀の濱松ふりにけり誰が世に引ける子日なるらむ)
(春歌上 16 皇太后宮大夫俊成)
などいへば、二句ははやふさがる也。我は、はや四十餘年哥をよみ侍りしかども、まだ這百首をば詠み侍らず。昔の人は、皆堀川院の百首を初心の稽古には讀み侍りし也。さりながら堀川院の百首はちと讀みにくき題也。初心にては、二字題などのなび/\としたるにて讀みつきたるがよき也。月花などの内向ひたるにて詠むがよき也。弘長、弘安建治建久貞永などの比おひの題にて讀むべき也。
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かびや、かひやは兩説也。俊成は鹿火屋也。顯昭は、飼屋と申しける也。六百番の訴陳に見え侍る也。
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千五百番歌合の時分は家隆の哥は聞こえぬ也。
寄河戀に、
あだに見し人こそ忘れ安川のうき瀬心に歸る浪かな (不詳)
うき瀬心に歸る浪哉の五句がよき也。うき事はいく度も我心にちや/\と歸るもの也。