新古今和歌集の部屋

大火記 天明団栗焼


大火記 伴高蹊

そも/\こたびばかりの火は京にてためしなしといふ。宝永の火は今も語りつたへておそろしき事にいふめれどそは京の町十がろくとかや。そのさき応仁の乱れの火もかの記にすさまじくかけれどもこたびはなし。中昔鴨長明の記に見ゆるも大風地震などつゞけて書たれば身の毛もよだつやうなれど火ばかりとりはなちては京の中みつがひとつといへり。こたびは洛中洛外をかけて九分にあまり残れる所ははつかに方広殿のめくり祇園知恩院粟田のわたり西本願寺はあやうくてまぬがれはた東寺北野となん。されば禁裏仙洞をはじめ奉り諸宮公卿の御館ともひとつに烟となれり。かけまくもかしこき御うへ/\もかた/"\にあがれまつらせたまふ。


天明の大火
天明八年一月三十日鴨川の四条大橋南に有る団栗橋東詰付近の民家に放火があり、折からの東風に煽られ、鴨川を越えて広がり、二条城、御所と延焼し、京都1967町のうち焼失したのは1424町と京都の7割、洛内は8割消失した。

参考文献
資料京都見聞記 第四巻
編集:駒敏郎他
発行:宝蔵館
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