新古今和歌集の部屋

方丈記 養和の飢饉「ケイシヌレバ」の考察 医心方による「ケイ」の考察

京都 今熊野観音医聖堂と医心方碑

5 医心方による「ケイ」の考察
(1)医心方による養和の疫癘の推測
 医心方とは、鍼博士丹波康頼が編纂し、永観二年(九八四年)朝廷に献上された日本現存最古の医学書であり、現在は国立東京博物館が所有し国宝となっている。⑬⑭
 この巻第十四「治卒死并傷寒」治諸瘧方 第十三⑬によると、瘧には、「瘧病ハ多種ニテ、各同形ナラズ。温瘧有リ、寒瘧有リ、※陰(病垂に陰。文字番号【二二四七九】)〔於ト禁ノ反シ〕瘧有リ、勞瘧有リ、鬼瘧有リ。」(二〇三頁)と5種類有り、それぞれその症状は異なり、「夏日ニ暑ニ傷レタルハ、秋ニ必ズ瘧ヲ病ムナリ。瘧ハ其ノ人ノ形痩[ヤ]セ皮ハ粟起[アハタ]ツ。月ノ一日ヲ以テ発レバ當ニ十五日ヲ以テ癒ユベシ。誤リテ癒エザルモ月ノ盡[ツゴモリ]ニハ解ス。」(二〇二頁)とマラリアの症状のようで有るが、マラリアも小田俊郎によると⑪「常に一定の症状が現れるのではなく、診断を混乱させるような、いろいろな症状があることに注意する必要がある。」(二七頁)とあり、確定は出来ていない。
 この内、温瘧は治温瘧方 第十五に「春ニ至リテ則チ陽氣大イニ邪ヲ発スルモ、邪氣出ヅルコト能ワザルナリ。因リテ大暑ニ遭ヘバ、脳髄消鑠〈余ト灼ノ反シ〉シ、肌肉消釈シ湊理ニ泄ヲ発スルガ故ニ先ダチテ熱シ而ル後ニ寒シ。」(二四一頁)と気温が上昇するに従って発病するとのことである。つまり、「アクルトシハ、タチナオルベキカトヲモフホドニ、アマリサヘエキレイウチソヒテ」に該当すると思われる。
 又、傷寒証侯 第廿三には、「傷寒、時行、温疫ノ三ツノ名有ルト雖モ同一種ノミニシテ源本小異ス。其レ冬月ニ暴カニ寒エ或ハ疾行シ力メテ汗出ルヲ作シテ風冷ヲ得春夏ニ至リテ発ルヲ名ヅケテ傷寒ト為ス。其ノ冬月甚ダ寒カラズ暖氣多ク西南風ニ及ベバ人ヲシテ骨節ヲ緩堕セシメ邪ヲ得受ケ春ニ至リテ発ルヲ名ヅケテ時行ト為ス。其ノ年ノ歳月中癘氣有リ兼ヌルコト鬼毒ノミニシテ相注[ツク]キテ挟ムヲ名ヅケテ温疫ト為ス。此ノ如キヲ診ルニ侯並[ミナ]相似タリ。」(二九一~二九二頁)と有り、春に発病する傷寒、時行、温疫も養和二年に流行した可能性の有る病名である。
(2)医心方による「ケイ」
 同じく寒治住病方第十一⑬に「小児、寒熱シテ頭痛ミ、身熱ク及ビ一タビ吐セバ、麻子如リノ一丸ヲ服セ。小児※肖(病垂に肖。文字番号【二二二〇八】[しょう])痩[ヤセヤセ]丁奚[アシタヽズ]シ、食スルコト能ワズ、食スモ化セザルハ、将ニ二丸ヲ日ニ三タビ服セ。」(一六七頁)とある。(図1参照)

 槇佐知子氏は丁奚[テイケイ]について、「現代病名にはないが原文にアシタタズの傍訓がある。丁はクギ状のもの。奚はふくれた腹のこと。栄養失調で腹がふくれ、手足がクギのように痩せて立つことが出来ない状態であろう。」(一六八頁)と解説している。
 大漢和辭典によっても、「奚」文字番号【五九三〇】[ケイ、ゲイ]一 ふくれた腹」とある。
 極端な飢餓が生じると餓鬼図や飢餓図のように、手足などは極端に痩せてもお腹は膨れて見える。
 また、傍訓には、「アシタヽズ」とあることから、足立たずはまさに方丈記の「アリクカトミレバスナハチタフレフシヌ」の情景にふさわしい字と考えられる。

5 結論
 以上のことから、養和二年の疫癘はマラリアの再発期の温瘧による大量死とし、「ケイシヌレバ」については、同病に起因する貧血による症状の「下意」又は飢餓で腹が異常に脹れ、足立たずの意味である「奚」という仮説を提起したい。

図1 医心方 巻十四 治卒死并傷寒部「丁奚」部分。

東京国立博物館蔵⑭該当部分線加筆。

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