新古今和歌集の部屋

方丈記における和歌的表現、漢詩的表現 2

下鴨神社 糺の森


3 段落ごとの引歌
 2で挙げた前田家本の詩歌について、段落ごとにまとめてみると表一の通りとなる。なお、和漢朗詠集にある白居易の歌は白居易に、2~3首の引歌が考えられる場合は、歌数で1を割って加算した。

 明らかに四大災害一変事については、和歌、詩歌的な表現はなく、「今、日野の奧に」では23個所と多用している。
 長明が同時代の尊敬する西行の歌が7.8首と多く引歌されているが、師である俊恵のものはなく、その父の俊頼は3.5首となる。また、マイナーながら俊頼が出詠した堀河院御時百首、永久百首(堀河院後度百首)が5首(語句数では2.5首)引歌されている。俊恵のライバルともいえる藤原俊成は、2首となっている。待賢門院堀河、上西門院兵衛の父である源顕仲は、2首と多く引歌されている。顕仲は、長明の三世代前の歌人であり接点は考え難く、同じ引歌の俊頼と同じ百首、題を歌ったために関係和歌としてカウントされたと考えた方が良いようである。
 能因歌枕は、和歌の必須知識と思われるため、「たましき」、「たまゆら」と基本的な枕詞を採用している。
 これらのことから、鴨長明の歌の素養範囲は、西行、勅撰集、堀河院御時百首となる。俊恵に師事し、堀河院御時百首を学びつつも、一歩離れた西行、そして俊成の歌に傾倒していたことが窺える。
 詩の素養範囲は、当時の当然の教養である白氏文集と和漢朗詠集が中心となるが、長明の和歌だけでない漢詩の教養が窺える。
 長明が千載集に撰歌された
思ひあまりうち寝ぬる宵のまぼろしも浪路を分けて行きかよひけり
の「まぼろし」も隔海路恋の題から、白居易の長恨歌「忽聞海上有仙山」をイメージしたものであり、このことからも漢詩についても詳しかったことが分かる。(5)


賀茂川

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