半月くらい前から、左の耳の様子が変だな…と思うことが度々あった。
実際にそんなはずはないんだろうけど、耳の奥がどんどん広がっていくような感覚。
物理的にはありえないと思いつつも。
やっぱり感じるのは、
耳が特大パラボナアンテナのように内側にも外側にも広がっていく…そんな感覚。
同時に、何か今までとは違う周波数の音を耳が拾っているような感覚も出てきた。
特に言葉だとか、具体的な音として入ってきてはいないんだけど。
でもそれまで聞こえてきた、あらゆる波形とは違う…と思えるようなものを
やっぱり 拾ってるような感覚。
そして今朝起きた瞬間 。
ジジさん😺がご飯を催促する鳴き声だけは確かに聴こえるのに。
訪れたのは完全な「静寂」。
ちょうど映像を一時停止した中、
自分とジジさんだけが動いているような…そんな感覚がした。
いつもの 見慣れた私の寝室、部屋の扉、階段。
でもそこには何もない。
確かに、この辺り一帯は住宅地だし、
広い通りからも入っているから、日中も静かといえば静かなんだけど。
でもその静けさではなく完全に別世界。
「音」が消え去り
「時間」もない中
「私」もいない
ただ「動き」だけが生じている。
…いや、動いているのは誰?
「私」もいないんだから。
「ただ気づいているだけ」
2階から1階におりて、しばらくしてから、
一時停止だった映像が再生され、音が聴こえ始めた。
一瞥体験は、これまでも何回も訪れているけど、
色々なバリエーションで起こるんだな~と。
頭では到底理解できないけど。
こうやって、毎日「無」に還り。
そして、毎日「無」から生み出されているのが私達なのかな。
私、自分のブログの副題に「毎日生まれ変わる私になる」って書いていたんだけど、
「なる」んじゃなくて、そのものなんだな~と実感。
(修正した!)
「非二元」と、いわゆる「心」の話しを一緒にすると、矛盾と混乱しかないけど。
クライアントさんとの関わりにおいては、
「私」がそれを「考える」必要は全くないんだということがよくわかる。
ただ、全体性の中に。
恩寵にとけていく場を共に創っていくだけなんだということ。
一瞥体験に意味はないけど。
それを通して「何か」が動いていくきっかけにはなる。
耳のパラボラアンテナが、どんな風に使われていくのかも全くわからないけど、
ちょっと楽しみ。
覚書として。
実際にそんなはずはないんだろうけど、耳の奥がどんどん広がっていくような感覚。
物理的にはありえないと思いつつも。
やっぱり感じるのは、
耳が特大パラボナアンテナのように内側にも外側にも広がっていく…そんな感覚。
同時に、何か今までとは違う周波数の音を耳が拾っているような感覚も出てきた。
特に言葉だとか、具体的な音として入ってきてはいないんだけど。
でもそれまで聞こえてきた、あらゆる波形とは違う…と思えるようなものを
やっぱり 拾ってるような感覚。
そして今朝起きた瞬間 。
ジジさん😺がご飯を催促する鳴き声だけは確かに聴こえるのに。
訪れたのは完全な「静寂」。
ちょうど映像を一時停止した中、
自分とジジさんだけが動いているような…そんな感覚がした。
いつもの 見慣れた私の寝室、部屋の扉、階段。
でもそこには何もない。
確かに、この辺り一帯は住宅地だし、
広い通りからも入っているから、日中も静かといえば静かなんだけど。
でもその静けさではなく完全に別世界。
「音」が消え去り
「時間」もない中
「私」もいない
ただ「動き」だけが生じている。
…いや、動いているのは誰?
「私」もいないんだから。
「ただ気づいているだけ」
2階から1階におりて、しばらくしてから、
一時停止だった映像が再生され、音が聴こえ始めた。
一瞥体験は、これまでも何回も訪れているけど、
色々なバリエーションで起こるんだな~と。
頭では到底理解できないけど。
こうやって、毎日「無」に還り。
そして、毎日「無」から生み出されているのが私達なのかな。
私、自分のブログの副題に「毎日生まれ変わる私になる」って書いていたんだけど、
「なる」んじゃなくて、そのものなんだな~と実感。
(修正した!)
「非二元」と、いわゆる「心」の話しを一緒にすると、矛盾と混乱しかないけど。
クライアントさんとの関わりにおいては、
「私」がそれを「考える」必要は全くないんだということがよくわかる。
ただ、全体性の中に。
恩寵にとけていく場を共に創っていくだけなんだということ。
一瞥体験に意味はないけど。
それを通して「何か」が動いていくきっかけにはなる。
耳のパラボラアンテナが、どんな風に使われていくのかも全くわからないけど、
ちょっと楽しみ。
覚書として。