遠野郷中世城館録

奥州陸奥国遠野(岩手県遠野市及び周辺地域)の城館跡の探訪調査記録のご紹介

中沢館・伝承無き大型館跡

2009-11-14 14:32:14 | 青笹

 

 

概要

 青笹町中沢地区、六神石神社より西方向に位置する山野に残され、瀬内という集落にあり、沢の中に突き出た山脈に築かれた館である。

 西側は急な谷へ落ち込む急斜面を形成し、東部分も隣接山野との谷を利用して境となしている。

 北側山頂が主郭であり、背面は三重の堀切で背後のさらに高い山との尾根を切断しており、その堀は東側谷へ下り、西側は内側2本は山野を巻くように下り、ひとつは途中から主郭下部の中央を横断して東側へ落ち込み、さらにもう一本は館内最下部の中央部分を横断して東側へ至っている。

 堀切は高さもあり、見応えがあります。

 主郭は中央、北側部分の山頂部であるが、3段程確認できる段差の東部分が最も広く、現在は稲荷社が祀られている。

 また稲荷社が鎮座する東側の斜面はL字型の地形をしており、下部に向って3~5段の比較的大型の帯郭が配されている。

 主郭部斜面から始まる空堀二重が取り巻くように東端部分を駆け下り、境を成す谷へ落ち込みながら下っている。

 主郭と東部分のL字型を形成する郭、ふたつの郭を持つ館跡と思われる。

 遠野においての山城跡としては比較的大型館跡で、かなり大がかりな土木工事が施され、遺構もよく残されている館跡でもあるが、館跡に関しての伝承は皆無であり、その事績は全く以て不明である。

 

最下部の空堀跡

 

中央部分の土塁跡

 

主郭部分頂部

 

頂部東側下の平場に鎮座する社

 

社の東斜面帯郭

 

上記画像の下部

 

堀切

 

歴史等

 館主は一説によれば中沢外記と伝えられるがその事績含み館との関連等の謂れは語られていない。

 ただし、中沢外記という武士については、阿曽沼氏遺臣の中に名がみえ、実在の人物であったと思われる。

 寛永4年(1627)八戸氏(遠野南部氏)が八戸根城から村替えとなって遠野へ入部した際に旧主、阿曽沼家臣の中に中沢外記(遠野旧事記)50石の名がみえる。

 その後の中沢氏に関しては調査等はしていないので不明。

 

 いずれ、中沢地区を治めていた一族であるのは間違いないものと推測されますが、館規模やその威容と勢力が必ずしも一致しないこともありますが、館跡の威容や大規模な土木工事をみると比較的中世遠野においては大きな勢力をもった館主一族だったものと推測されます。

 

 なお、遠野三山のひとつ、六角牛山近隣の地域でもあって六角牛山信仰等に関わる地域であること、また俗説ながらも長慶天皇伝説が残される地でもあり、今後の中沢館跡研究等も含めて興味ある土地でもある。

 

    添付画像は2007年12月撮影

    3度の探訪ながらも複雑すぎる残存遺構により図面は描けず・・・